「なぁ、あの山なんて言うのん?」「ん? 鎌ヶ岳」「ふーん、鎌ヶ岳か」
去年の秋、林氏に連れられて、鈴鹿山脈御在所岳藤内壁へ行ったときのこと。
車内から天を突き刺す様なピラミダルな鎌ヶ岳の山容を見て、いつの日にか登ってやろうと思った。
GWは仕事や家業の都合で正味二日の休暇を取るのが関の山だった。あちらの山こちらの山といろいろな計画をたてては次々と潰れていった。計画が二転三転し、結局残ったのが鈴鹿山脈・鎌ヶ岳になってしまった(みじめ)。名古屋からのアプローチは近く、日帰りも可能だが、大阪の場合は半日つぶれてしまう。以前もアプローチに時間がかかり、藤内壁前尾根をP3でタイムオーバーになってしまい下山を余儀なくされた。筆者は突撃型のピークハンター(こんな奴が結構危ない)ではない。駄目ならば引返すだけ(目的達成意欲に欠ける、との見方もできる)。ミゼラブルなんて願い下げだ。
あわただしい出発だったので、忘れた装備も結構あった。なかでもメモ(筆記用具一式)とコンパス(方位磁石、羅針盤)を忘れたのがいまだに悔まれる。
一〇時に家を出て、近鉄(近畿日本鉄道)難波駅に着いたのが一一時二〇分だった。GWということもあって、特急券を求める長蛇の列。行列は露助だけで沢山だ。三〇分並んでやっと特急券が買えた。上本町一三時三五分発、中川乗換で四日市まで。四日市駅に着くと、メンデルスゾーンの結婚行進曲がエンドレステープで流れていて、あちこちで万歳万歳をやっていた。ビルの谷間から目指す鎌ヶ岳の鋭峰が見える。
ここで筆者は何をどう勘違いしたのか、そのまま近鉄電車に乗車して湯の山温泉まで行ってしまった。下車してから気がついた。飛ばされそうな強風だった。二〇分待ってタクシーに乗り宮妻峡まで走る。二四九〇円の出費。本来なら近鉄四日市駅から宮妻峡口までバスに乗り、宮妻峡までは歩くはずだった。一七時に宮妻峡に到着。
宮妻峡フュッテは市営で有料。キャンプ場の他、ロッジ、駐車場、売店、水洗トイレ、協同の炊事場があり、渓流にはアマゴや鱒が放流されていて、渓流釣りが楽しめる。鈴鹿山脈では人気のキャンプ場である。アウトドアには理想的かな。オートキャンプのほうが良いかもしれない。
幕営料一〇〇〇円を払う。管理人さんが好きなところにテントを張ってくれと言われ、風の当らない所にテントを張った。家族連れやキャンパー達で賑わっている。
テントを張れば夕食である。五目御飯のアルファ米に秋刀魚のかばやきの缶詰、FDの味噌汁。お湯を沸かしてアルファ米に注ぎ待つこと二〇分。ラジオを聞きながらの夕食。ニュースによると、山での遭難が多発している。レスキューパーティーを編成して、ヘリまで出動して、どれだけの金額が請求されるかを考えると、他人事ながら恐ろしい。借金地獄だ。まったく世間を騒がせて恥かしい奴らだ(明日は我が身だったりもする)。
サイリュウムを折って照明にする。食べたら寝る。山の生活はシンプルだ。食べているか眠るか歩いているかのどれか。キャンパー達が夜遅く迄キャンプファイアーをやって(実際こんな風の強い晩にするなよな)騒いでいる。明日も強風がやまなければテントを畳んで撤収しよう、そんなことを考えながらシュラフにくるまって寝てしまった。
翌朝、夜明けと共に活動開始。風もなく、清々しい五月晴れ。トイレに行き、洗顔して朝食にする。FDのビーフストロガノフとワカメスープ。稼ぎが悪いためか、ビーフストロガノフなんて食べたことがないと思っていたが、なんのことはない、近頃ではハヤシライスのことをこう呼んでいたのか。知らなかった。
食後、コッフェルを川で洗って、食料やコッフェル、ストーブに飲料水、ライトや地図といった必要最小限の装備をサブザックに詰めて七時に出発した。テントやシュラフはそのまま畳まずに置いていく。よって、今回のコースは必然的に鎌ヶ岳をピストンすることになる。余裕の山行に思われるが、明日のことを考えればこの程度だろう。
出発して間もなく、大阪から来た四人パーティーに水沢岳の道を聞かれた。水沢岳は初めらしいが、鈴鹿山脈ということを考えれば、アルペンガイドのコピー一枚だけで地図も持たないとは、少々心細い様にも思える。地図を見せて道を教えてやる。
カズラ谷出逢いで別れて、独りカズラ谷の渓流に沿って歩く。しばらくすると、滝を思わせる砂防堰堤が現われる。その左奥には本物の滝がある。どちらも豊かな水量で、涼しくて気持ちがよい。本物の滝を巻いて登って行くと道が途絶え、踏み後程度になり所々にコースを示すテープがあるだけとなり、やがてテープも途絶えてしまった。足場の悪いなかを進と落差二〇メートル程の滝があった。左に最近に起こったと思われる崖崩れがある。これは円弧滑りかな。崖崩れの後に比較的新しい足跡を見つける。〇・四勾配が三〇メートル程上まで続いた。砂レキ土が露出していて、水がにじみ出している。木の根や草につかまって、滑り落ちそうになりながらも何とか登りきった。「登ったは良いが降りられない」なんてことになりそうだな。下山を考えれば、なんで細引き(補助ザイル)を持って来なかったのかと、本気で後悔した。
登りきったところが尾根になっていて、薮漕ぎをしなければならない。テープやリボンが所々にあるので助かる。予想以上に時間がかかり、もしかして道を間違えたのではとの不安から何度も地図を見る。よく分からん。テープや足跡がなければとっくに引返していただろう。いきなりきれいな一般道に出た。一〇時二〇分位だったと思う。これが正規のルートで、今までは知らない間にバリエーションルートを踏んづけていたらしい。どこで道を踏み外したのだろう(要するに、ルートファインデングすらまともに出来ないということやね。ひらたく言えば、方向音痴です)
一般道に出てしまえば迷うことはなかった。掘割り状の一般道を登って行くとやがて風化が進んだ花崗岩がゴロゴロと露出している。余談だが、花崗岩は黒雲母や石英、長石等の成分からなり、ゆっくり冷え固まったものだから、それらの結晶が大きい。そのため日光に照らされて膨張率の差から隙間が出来る。その間隙から水が染み込んでボロボロの砂になってしまう。これが花崗岩の風化プロセス。花崗岩は風化しやすい。
雲母峰に通じる尾根道との出逢いで水を飲みキットカットを食べて休息。この地図、道がずれている。ここまで来てようやく鎌ヶ岳の山頂が見えた。まるで双耳峰だ。
尾根を二〇分程歩くと左に鎌尾根、右に鎌ヶ岳の標識がある。コースを右にとって少し下って熊笹をかき分けると、岳峠と呼ばれるコルに着く。左にニゴリ谷、右に長石谷、前進すれば鎌ヶ岳を示す看板がある。
ここから鎌ヶ岳頂上まで高度差が約一〇〇メートル。花崗岩のガレ場を登る。時間にして一〇分程度だろうか。落石注意の看板があった。急斜面を登り、頂上付近に鎖場があったが、鎖を使うこともなく、たいした恐怖感もなく登れた。
鎌ヶ岳山頂は思ったよりも広く平坦だった。時計を見ると一〇時五〇分。標高一一六一メートルの頂上には、天照大神社(天照大御神でも奉ってあるのか?)があり、由緒が記されていたが、メモを忘れてきたので今となっては分からない。
多くのハイカーがくつろいでいた。やっぱり名古屋人が圧倒的に多い。上半身裸になったオッサンはどこにでも一人位いるものだ。裸の大将と一般に呼ばれているが。
深緑にツツジの花が咲き乱れ目を楽しませてる。遮るものは何もなく、森林限界を突破したような開放感があり、三六〇度の展望が楽しめる。伊勢平野から伊勢湾、濃尾平野、知多半島、志摩半島が霞んでみえる。真北には一二一二メートルの御在所岳山頂がる。御在所岳の方がここよりも標高は高い。頂上は人工建造物だらけで、ロープウェイがあり赤いゴンドラが往復しているのがここからでも見える。御在所岳は良い山だ。頂上さえなければ……。
インスタントラーメンにFDのほうれん草や牛肉を入れて一緒に炊いて昼食にする。自分の足で登った頂上で、下界を見下ろして山岳展望を満喫しながら食べる食事は、たとえインスタントラーメンと言えど格別と、自己満足する筆者であった。
一二時、鎌ヶ岳山頂を後にする。このまま御在所岳から国見岳にも行ってみたかったが、テントを撤収しなければならない。また南に展開するナイフエッジの鎌尾根がなんとも魅力的だが、立ち寄っていたのでは大阪に帰り着くのが深夜になる。残念だが登って来た一般道を降りるしかない。それは計画段階で分かっていたことだが、アプローチを考えれば物足りない山行だったと言える。時間に制限があるので我慢するしかない。
下山は迷うことはなかった。一時間半で宮妻峡のキャンプ場に到着。登りは道に迷い、コースタイムの倍の四時間近くかかったのに。
テントを撤収して、宮妻峡口まで歩く。三〇分の歩行距離だった。この辺りはお茶を栽培している農家が多い。伊勢茶といって特産らしい。四〇分間バスを待って近鉄四日市駅にでた。近鉄難波まで特急券を買うと、全部満席で乗車するのに三時間半も待たなければならない。これでは大阪に帰れるのは深夜になってしまう。
ちょっと考えれば、ここは名古屋まで三〇分の距離にある四日市。大阪から京都に出るよりも近い。名古屋で下りの新幹線を捕まえればよい。たいした出費ではない。
幸運にも名古屋で『ひかり』の禁煙車座席指定に乗車できた。余った食料をアテに車内で買った缶麦酒を呑む。車内から伊吹山が見えると帰って来たという気がする。デキゴトロジーvol9を読みながら、ウトウトする。眠い……。
まもなく比良山地に夕日が沈んだ。列車は一路西へ向って暴進していた。