弥山、八経ヶ岳

中野[日本以外全部沈没]浩三

 今年の夏、大峯山脈(吉野熊野国立公園)の弥山(みせん1896m)神社の神主さんがテレビで弥山にはUFOや弘法大師の幽霊が現れたりして賑やかであると言っていた。実際に行けたのはそれから2ヶ月も経った10月19日(土)、あの筆舌に尽し難い手術から11日目、抜糸から3日目、筆者は後先何も考えずに弥山を目指した(医者は大丈夫と言ったのだが・・・)。

 近鉄阿倍野8時10分発の特急「吉野」に乗る。高田市で兄ちゃんが一人、隣席に座った。大台か大峯かで迷っているとのこと。当然の如く筆者は大峯の弥山を勧めるのであった。
 9時10分、下市口着。そこからバスで天川川合まで、角川映画の天川村伝説殺人事件ってのをやっていたあの天川。隣席だった兄ちゃんとはここで別れた。登るルートが違うが弥山小屋でまた会うだろう。行者還トンネル西口までタクシーで行こうとしたが台風や長雨で道が荒れていて大川口までしか走ってくれない。「さっきも、3人連れを大川口まで運んだけど、お客さんと同じ事言わはって、行きも帰りも同じ道は嫌やと言って関電の巡視路から登って行かはった」運転手が言う。考える事は皆同じだ。川迫(こうせい)川に沿ってタクシーで走っていると鉄山(てつせん1563m、洞側は鉄山、川合では三ツ塚と呼ばれているらしい。本当に山頂に岩の塊が3つ並んでいる。国土地理院の2万5千分之1の地図にはピークの標高のみが記載されている)が見えて来る。まもなく行者還岳が見える。川迫川から見ると行者還岳はピークが南に傾いて見えるぐらい南斜面が急勾配になっているのでそれと分かる。大川口まで30分程、2650円だった。
 このまま関西電力の巡視路を登って奥駆道にでても良いかもしれないが、根性も時間も無い筆者はアスファルト道路を「ありがとう浜村淳です」を聞きながらトンネル西口まで歩くのであった。バリゴヤノ頭がまぢかに迫る。弥山のピークは残念ながらガスで見えない。トンネル西口に着いたのは12時を過ぎていた。長いアプローチに見えた。数台の車が駐車していて、六、七名のパーティが昼食を食べていた。ガソリンストーブ(オプティマイス123R)を点火するためにエスビットでプレヒートしようとするが風があってなかなか出来ず、マッチを一箱擦ってようやく点火できた。今度からは強風用のライターを持ってこよう。おんちのウドンとマトンフレークの缶詰が昼食、空き缶を燃やして、石で潰してザックに詰め込んでスタートしたのが午後1時過ぎ。「弥山まで3時間」と書かれた標識に従って標高差40mのブナ林をあえぎながら登り終えると、奥駆道と呼ばれる大峯山脈を南北に走る縦走路に出る。ベンチが二つ並んでいるので腰を降ろして水を呑んで一休み。ラジオをつけると日本シリーズをやっているが興味がないのですぐに消す。奥駆道を南下してきた3人パーティに出会った。関西電力の巡視路から登って来たと言うので、先ほどタクシーの運転手が言っていた3人に間違い無いだろう。
 弥山目指して歩き出す。緩やかな登り下りを1時間近く歩くと聖宝(しょうほう)の宿跡に着いた。理源大師像が座っている。「弥山山頂1時間ゆっくり歩け」の看板が立っている。ここからが山伏泣かせの聖宝八丁と呼ばれる急登にさしかかるが、道が二つに分かれている。右か左かどっちだ?右(北側)を進んだ。ジグザグ道の地図にない道が出て来た。ガスはますます濃くなり、そして話し声が聞こえて来る。女の声かな?男と女の二人連れで、何だ?トンネルの西口にいたパーティではないか。女性が脱落したので男が一人付き添ったとのこと。パーティは分けないのが鉄則だと思っていたが、遭難出来るような所でもないから良いのだろう。「お先です」と言って山頂を目指す。苦しい、もう歩きたくないと思った頃に弥山小屋にたどり着いた。午後5時前だった。コースタイムより30分も遅れている。弥山小屋の受付で登録をすませ、一泊二食付で五千円。小屋にザックを降ろすと天川川合で分かれた兄ちゃんが地図を広げて山談義をしていたので交ぜてもらった。「今着いたんか?遅かったやんか」「うん、タクシーが大川口から先、行くの嫌がってなぁ、しゃーない(しかたがない)から歩いてきてん」
 午後6時、夕食である。食堂には皇太子殿下の写真がパネル貼りしてある。去年の6月に来て一泊されたらしい。切り干し大根と関東炊き(関東ではオデンと言う)、具の少ない味噌汁に漬物。その皇太子さんと同じメニューとは宮廷料理ではないか、有難いことで。
 食事が終わった頃、聖宝八丁で追い越した女性がお酒を買いに来た。「こっちへイラッシャイ。皆で一緒にやろうよ」と誘われて外に出て一緒にやる。お酒を勧められたが、手術して間もないのを理由に断ったら「何処を切ったの」と聴かれ返答に苦しむ。
 このパーティの一人はヒマラヤに小屋を持っているらしい。1年の内の半分はヒマラヤ暮らしだとか。現地妻がいたりして(冗談ですよ)。楽しいパーティだ。下山は鉄山ルンセだって?羨ましい根性と体力とテクニックである。(あんたは滝沢育夫だよ)。
 それにしてもすごいガスである。視界が5m位だろうか。ヘッドランプのビームばかりが目立ってまるでスターウォーズのライトセーバーみたい。
 小屋に帰って山談義の続きである。皆それぞれの登坂ルートで登って来たのだ。情報交換をする。「この道は廃道になっている」「いやここには新しい道がある」「ここは通れる」「ここは駄目」「水場が枯れている」と言ったぐあい。地図は参考にはなっても、100%信用は出来ないのは常識である。
 午後8時、寝ようとすると、大音響のイビキがゴゴゴゴーと聞こえだし、ほぼ全員が起きだして、なんちゅう迷惑なオッサンやと思いつつ一人機嫌良く寝ているオッサンに視線が集中した。ウイスキーを飲んでその勢いで寝ようとする者、過激なことを言い出す者、じっと我慢する者。我慢出来なくなった筆者は毛布を折り畳んでオッサンの枕にしてやっと静かになったが、30分後には又すごいイビキが始まった。知らんで。
 翌朝、まだ暗い午前5時30分に小屋を出て八経ヶ岳へ御来光を拝みに行く。
 霜が降りていて寒いので、人外協のトレーナーの上からウインドブレーカーを着込んでヘッドランプで道を照らしながら歩く。コル辺りで明るくなってきた。
 昨夜のガスが嘘のようになく、少し雲が出ている程度。森林限界が近いためか、樹木が立ち枯れている。
 八経ヶ岳(山名は、いろいろある様だが、一般的には役ノ行者がその山頂に八巻の法華経を納めた故事に由来するとされている。小島誠孝著、山と渓谷社刊「大峯の山と谷」より無断抜粋)は海抜1914.9mあり、近畿地方の最高峰で、日本百名山の碑が立っている。遮るものは何もなく360度のパノラマが楽しめ大台の山々が見え、御来光を拝むことができた。いつも山の頂上に登ると、何か、笑われるかもしれないが、人間を超越した、何かを感じる。神々のような。
 弥山小屋へ引返して「宮廷料理」を食べ、水を補給して(氷がはっていた)荷物をまとめて弥山神社に参拝し、午前7時に出発。狼平を経て、頂仙岳の登り口に見覚えのある青いザックが置いてある。あの兄ちゃんが降りてきた。「どないやった?」「あかん。まるで獣道や、頂上の見通しも悪いし」だべりながらの下山である。
 栃尾辻で別れて、天川川合を目指すが、下りになって足を一歩踏み出す事に傷口がズキン、ズキンと痛む。栃尾辻までは、ほぼ、コースタイムで降りてこられたが、そこから天川川合までは2時間以上mオーバーしてしまい、しばらく激痛のためうずくまっていた。
 大阪に帰って、曽根崎の酔虎伝(10月例会の二次会)で土肥君を相手に愚痴をこぼす酒が飲めない筆者であった。

教訓:手術後の山歩きは謹みましょう。

弥山、八経ヶ岳
 概略図の破線は今回のルートです。



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