いやぁ〜、寒くなってきましたねェ。それもそのはず、早いもので、もう十二月ですもんね。寒くってあたりまえですよね。
この連載《捜妖記》も、いよいよ今回が最終回。そこで、有終の美を飾る最後の妖怪は、『ぬえ』です。今回は、ちょっとロングバージョンでお届けしようと思います。
さて『ぬえ』ですが、皆さんはこの妖怪を御存知でしょうか? 『平家物語』によりますと、その姿は、頭が猿、体は狸、尾は蛇で、手足が虎であるとされています。その鳴き声は聞くものの心を蝕み、取り殺し、その魂を喰らうとされています。また、『源平盛衰記』では、頭は猿、体は虎、尾は狐、足は狸という事になっています。いずれにしても、暗雲に乗って空を駆け、凶事をなすんだそうです。
とりあえず、『平家物語』の中の『ぬえ』が登場するくだりを簡単に紹介してみますと、こんな感じになります。
《仁平三年(一一五三年)春。近衛天皇は、夜な夜な都の東三条の森から怪しげな黒雲が湧き起こり、内裏の上空を覆うという怪事に、たいへんなお悩みであったのだという。そこで上達部たちは相談し、当時まだ兵庫頭だった源頼政と、朗等・猪早太の二人に御殿の警護をさせようという事になったのだ。
さて、二人が内裏の南殿に住込んで七日目の夜。東三条の森から湧き起こった暗雲は、いま、まさしく内裏の上空を覆わんとしていた。
「うぬ、来たか?!」と、頼政がキッと上空を見上げると、黒雲のなかに怪しい獣がいる。そこで頼政すかさず弓に矢をつがえ、心のなかで『南無八幡大菩薩』と唱えつつ、ヒョウとばかりに弓を射た。はたして矢は見事獣に突きささり、もんどりうって黒雲の上から落ちてきた。そこを早太が走り寄り、九回刀を突き立ててとどめをさした。
一同が近寄って火をともしてみれば、その獣は頭が猿、体は狸、尾は蛇、手足は虎という妖怪であったという。》
とまぁこれが、『ぬえ』という妖怪なわけですが、こういった獣としての『ぬえ』以外に、鳥型妖怪としての『鵺』もいます。こちらの『鵺』でもっとも恐ろしい表現がされているのは『太平記』の中でして、《元弘三年(一三三四年)七月。紫辰殿の上空を、黒雲を身に纏いつつ徘徊したという妖怪は、口から火をはく人首蛇身の怪鳥であった》と記されています。
もともと『鵺』とは『とらつぐみ』という鳥の一種で、その鳥と鳴き声が似ている事から、これらの妖怪の名前を『ぬえ』とか『鵺』などと呼ばれるようになったのだそうです。また、この鳥の『鵺』でさえ、神代の昔から、夜鳴きすると恐ろしい事が起こるとされていたようです。『日本紀略』という本に、《延喜五年(九0五年)二月二日、空で『恠鳥(鵺)』が鳴いたので、諸神社に幣を奉った》と書いてあるのをみても、その凄さがわかろうというものです。そういえば、何年か前の角川映画のコピーにも、「鵺の鳴く夜は恐ろしい……」っていうのがあったっけね。
ぼくにとってもこの『ぬえ』という妖怪は、特別強い思い入れがあるのです。というのもこの妖怪は、数ある日本の妖怪の中で、もっとも西洋的な要素が強く、生命力にあふれていて、幾度も幾度も影の日本史の中に登場し、その都度退治されたりしながらも、また次の時代の転機には蘇ってくるからです。どうです? あぁ、かっこいいとは思いませんか? こんな事を考えるのは、ぼくだけなのかなぁ……。
余談になりますが、ぼくも以前『月の浜辺』という小説の中で、この『ぬえ』と、天才幻術師・果心居士との一騎打なんてものを書いていたりします……。
ちなみにこの作品には、人間の心の中にある妬みや、憎しみや、恨みや、怒りの思いを増幅させ、人のその姿さえも醜く変貌させて『ぬえ』を造りあげる妖術師のお婆さんが登場するのですが、この婆さんの台詞に、こんなのがあります。
「こいつはね、人だったんだよ。それも、誰よりもよわい人だったんだ。だから、自分の恨みを果す為には人のその姿のままでは無理だったのさ。だからあたしがほんのちょっと力を貸してやったというわけさ。それにね、こいつは、こんなになってもまだ人なんだよ。だから、いつまでもこの姿のままでは生きてはいけないんだ。ほんの短いかりそめの命をけずってその恨みを果そうっていうのに、それをおまえは邪魔するのかい?!」
結局この『ぬえ』は、果心居士との戦いの最中に寿命がつきて死んでしまうのですが、この時もこの婆さんは、「あたしゃね、これからだって頼まれればこの『ぬえ』を造るよ。人の心の中に果せぬ恨みがあるかぎりね……」って言うんです。
あはははは、いや、おはずかしい……。テレテレ……。
話しを変えてしまいましょう。
ところで、最近知った事なんですが、なんでも兵庫県の加西市だかのあたりで、この『ぬえ』の石像が飾ってある神社があるんだそうです。ぼくとしてもぜひ一度見学に行きたいのですが、いかんせん、どこにある神社かもわからないし、さらにはその神社の名前もわかりません。どなたか御存知の方があれば教えてもらえないでしょうか。お願いします。ちなみに、京都の二条城の所にある二条公園内の池のそばに『鵺大明神』を祭る祠がある事は知っているのですが……。
という所で、『ぬえ』の話しはここまでです。
で、ここからは何を書くのかというと、冒頭にも書きましたが、この《捜妖記》も今回が最終回。そこで、ちょいとその総まとめみたいな話をすこし書いてみようかと思います。
今年はなんでも妖怪ブームだったんだそうで、ぼくとしても嬉しいやら悲しいやらの複雑な気持なんです。というのも、昨年この《捜妖記》の連載を思いついた時にはブームだなんて思わなかったもんですから、安易に始めてしまったものの、まるでブームに乗るかたちになったみたいで、いささか恥かしいのです。「そりゃあおめえ、自意識過剰ってもんだ」と言われればそれまでなんですけどね……。
もちろんブームのおかげで、嬉しい事の方が沢山ありました。なにせ例年にないほど沢山の妖怪関係の本が出版されたので、これまで手にはいらなかったような貴重な資料本も手にいれる事が出来た事です。
聞いた所によりますと、岩波新書から出版された、水木しげる著『カラー版・妖怪画談』なんかは、予想外の売行きだったんだそうです(もちろんぼくも買ってしまった一人なんですがね)。
さらにこの年末には、国書刊行会から、『鳥山石燕・画図百鬼夜行』という画集が出版されます。七八00円という定価なんですが、きっとぼくはまた買ってしまうことでしょう……(ううう……、この手の本って、需要が少ないせいかやたらと価格が高いんですよね。あぁ懐寒し年の暮れ)。
画集といえば、この《捜妖記》を読んでいる長野の関浩徳氏から、『高井鴻山生誕一八0年記念・妖怪画集』という本をプレゼントしていただきました。いゃぁーうれしいなぁ、役得役得。実はぼく、この高井鴻山の名前は以前から知ってはいたのですが、その作品はほとんど見た事がなかったので、今回あらためて見せてもらった所、他に類を見ないタイプの画だったので、とても参考になりました。この場を借りてお礼を述べさせてもらいます。ほんとうにありがとうございました。かならず年内にぼくからもなにかプレゼントさせてもらいますので、たのしみに待っていてくださいね。ちなみにこの画集は、長野県小布施町・高井鴻山記念館で発売しているものだそうです。
ところで今年はこういった本以外にも、『お化けかるた』なんていう物も手にいれる事ができました。
〈いつも げんきな 一つ目小僧〉で始るいろは四八枚のこのかるた。気にいったものをいくつか羅列しますと、〈ろくろっ首は いがいなびじん〉とか、〈おお顔 ぬっとでる〉〈ゆめにでてくる 小便まねき〉なんていうのがあります。さらには、〈にんげんは ふたつも目のある お化けです〉というのがありました。いやまさに、いいえて妙だとおもいませんか。ぼく自身も、この連載を十二回続けてきて感じたのがこの事でした。『さとり』だって、『雪女』だって、『ぬえ』だって、すべて人間の心の中に棲んでいるんじゃないかってね……。だから、今の世の中妖怪が棲みにくくなったとか、いなくなったなんていうのはまっかな嘘で、人みなこれ妖怪なのではないでしょうか……?
という所で、いよいよ《捜妖記》はこれでおしまいです。
来年からは、新シリーズ《天ちゃんの徒然草子》の始りです。これは、毎回一つのテーマをもとに、それについてぐだぐだと書くと言うものです。これまで同様、楽しんでやってくださいませませ……。
ちなみに一回目は、『古典芸能』についての一考察です。
それではみなさん、よいお年を迎えて下さいね。
はてさてこの《うまいもん巡り》も、一応今回が最終回なのですが、最後に紹介するお店は、神奈川県丹沢山地大山門前町にある蕎麦屋の大国屋さんです。
この大山という所は、その昔、赤軍派が立てこもった所で有名な浅間山の近く(って、今ではこの事件を知っている人も少ないんだろうなァ……)にあります。
ぼくがこの大山に行ったのは、まだぼくが忍者修行にうつつをぬかしていた時でした。このあたりは、ずいぶん昔から修験道行場として有名な所なんですよ。
さてこの大国屋の蕎麦ですが、山芋をつなぎにつかってあるとかで、黒い蕎麦なのですが、これがあなた、シコシコとこしがあって、大変おいしかったのを憶えています。なにぶん場所が場所だけに、とても交通の便が悪い所ですが、関東方面からならば、充分日帰り(ちょっとハードですけどね)が出来るはずです。ぜひ、一度行ってみてください。