第七十二話

阿部和司

 幼い頃、怪獣映画は観たいが怪獣は怖いというトホホな私は、映画館などでよく泣き出す困った子供でした。困り果てた父は、なだめるつもりだったのでしょう。今考えてみれば、身も蓋も無い事をいい切りました。
 「いいか! あれは縫いぐるみで、中に人が入っているんだ!!」
 まさにカルチャーショック! 青天の霹靂! 幼い私には想像だにしえない衝撃的事実でした。何しろウルトラマンを観て、東京は毎週怪獣が出てきて危ない。僕は一生東京になんか行かない!と思っていたような私です。
 これはもう何かとてつもない事実を知ってしまった気になりました。
 以来、怪獣映画やホラー映画などをTVで見る機会があっても、小さな声で、「あれは中に人が入っているんだ」と呪文のように唱えながら観たものです。
 そんなある日、私が父に連れて行かれた寿司屋で、事件は起こりました。
 酔っ払った客の一人が、よりによって「や」の付く人に絡んでいったのです。しばらくおとなしく酒を飲んでいた「や」の人も、酔っ払いがあまりしつこいものですから、とうとう切れてしまい、テーブルの上のビール瓶をムンズと掴むと、物凄い剣幕で酔っ払いと対峙したのです。
 もう店の中は、恐怖と緊張で空気が張り詰めました。まさに一触即発。どちらが先に手を出すかという瀬戸際、私は庇う父の背中越しにその状況を見つめながら、
 「あ! あの人たちも中に人が入っているんだよ。怖くないんだよ。」と叫びました。
 一瞬の間の後、店の中に妙な空気が流れ、何だかうやむやの内に、この喧嘩は収まってしまいました。
 こうして大人になった今、振り返ってみても、我ながら良く判らない理屈を吐いたものだと思っています。



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