わが闘病

黒川[師団付撮影班]憲昭

 叫び声をかみ殺すと間抜けな音になる。
「あびぃ」
「ぎょけ」
「ぐぅぅぅぅる」
 活字にするとこんな感じだ。
 ケンシロウに経絡秘孔をつかれた、スキンヘッドのデブみたいだが、事実なのだからしょうがない。
 隣に座った同僚が心配そうに声をかけてくれた。
「また、通風の発作か?」
「ひぇ、そうりゃなく」
 椅子の上でクレヨンしんちゃんのように身をよじりながらこたえる。
「もっひょ、なつらしひ、いたみぃ」
「夏らしい?」
「んにゃ、懐かしい」
 そう、それはとても懐かしい痛みだった。
「なんだそりゃ?」
「…。
 腰からした」
「淋病?」
「前じゃなくて、
 後ろ」
「?」
「このごろ急に冷え込んできたから」
 ははん、と同僚が呟いた。
「座ると痛い?」
「そう」
「また、急だね」
「数年ぶりです」
「力みすぎか?」
「そんなこともないのですが」
 しかしなあ。同僚は困惑した顔でいった。
「俺もそうだが、前の通風といい、いろいろたいへんだなあ」
「病弱なんです」
「たんに、年喰っただけじゃないか?」
 反論できなかった。
 ここ数ヶ月。
 やれ太った。
 やれ通風だ。
 クスリが増えた。
 ほとんど、闘病記のような感じになってきているが、今月もまた病について。
 今回は、再発、である。
 もう、わかっている方も多いだろうが、今回は、少々微妙な部分の病だ。格調高くいうならば、デスクワークの、あるいは人類が二足歩行を始めた時からの、宿命的な病。
 簡潔にいうと。
 "ぢ"
 が再発したのだ。
 横浜に来るまでは、すっかり忘れていた"ぢ病"だった。
 それまでに予兆はあったのだが、高をくくっていたのが突然きて、今回の珍態となったのであった。ぢ業ぢ得というやつだ。
 はるか昔は、文章にするどころか、隠し通すために必死になっただろう。そんな時代がたぶんあった、と思う。
 そう思いたい。
 ほんとにそんな時代があったんかなあ?
 まあ、どうでもいいといえば、どうでもいいことではある。
 いま、ふと思い出したのだが、建物の目立つところに"ぢ"というマークのかかれたマンションが昔あったが、あれはどんな意味があるのだろう?
 本当にどうでもいいことだけど。

 さて、肛門の一部が腫れて、外側に出る"イボぢ"だが、確かに大学時代はそうだった。
 出血して、急いで薬屋にいったのだが、ボラギノール(だったかな)は、ショーケースの中にあって、薬剤師にそれが欲しいというまでに、かなり逡巡したのも懐かしい記憶である。
 女性の薬剤師がいないところを選んで、クスリを買いにいったような気がする。青春というのは、ひどく気まずいものであった。
 で、それから時はあっという間にすぎ、栄養ドリンクを店先で飲む平成15年になるわけなのだが、どういう訳か、"ぢ"は気にならなくなっていた。
 ここ数年は明らかに直っていたのである。
 別に、居直ったからどうなるというたぐいの病ではないのに、なぜかしら完治していた。
 再発してから二三日は不思議だったが、あることに気がついて疑問は氷解した。
 横浜に来るまでの間、実家ではずっと、ウォシュレット(肛門洗浄機)を使用していたのだった。

 インドネシアでは、"ぢ"の人間が非常に希である。なぜなら、トイレットペーパーの代わりに、水を使っているからである。
 へえ、へえ、へえ。
 日本でもウォシュレットの普及によって、"ぢ"病患者が激減した。
 へえ、へえ、へえ、へえ、へえ。
 あいにく、たぶん放送はされないたぐいのトリビアではある。
 人体の入り口と出口は、構造が似ているそうだ。 入り口が汚いと虫歯・歯そう膿漏になる。出口が汚いと痔になる。確かにいわれればその通りなのである。
 乾燥、低温が病を悪化させるところも、両者に共通した点だ。大きな違いは、自分の目で直接見えるか、見えないかくらいだ。
 さらに、こちらに来てから飲む機会が多くなった。 これも良くない。
 カレー、フライドチキンなどの、香辛料の強い物も、酒のあてによく食べている。
 これも良くない。
 風呂はシャワーだけですませて、湯船につかることも無くなった。
 これも良くない。
 さらに、冒頭にあるように、ようやく冬らしく朝晩が冷え込むようになった。
これがとどめになった。

 ぢ病が再発した原因がわかった。
 そして、これからどういう対策をたてれば一番効果的か、と考えると。まず最初に、ウォシュレットをアパートに取り付けるという案がうかんだが、費用の面と、さらにトイレに電源をとれる場所がないという理由から、断念せざるを得なかった。
 ネットで探すと、携帯用洗浄機、というものがあるにはあるらしいが、これも高価なものだ。
 次善の策として、クスリ屋へゆくというのが浮かんだが、これも主として費用の面と、あとそれほど悪化していないという判断から、先に延ばすことにした。
 そして、結果落ち着いたのは、とにかく患部を清潔に保つ時間を長くする、ということだ。
 そのため、寝る前には風呂に入ること。
 どんなに酒が入っていても、翌朝にまわさない、ことにした。
 さらに、酒も出来るだけ控える、それができなければ、少なくともつまみはかまぼこのような、刺激の少ない物にする。
 という対策を直ちに実行に移した。
 今のところは、それでなんとかなっているので、たぶん正しい対策なのだろう。これから厳寒記に入ってくるが、悪化するようであるならば、またそれはそれで対策を立てることとした。

 しかしながら、ここ数ヶ月間、いろいろとやっかいな病気になるものだ。しかも、それをネタにして、毎回書いているのもひどい話だ。
「なんか太宰治みたいだなあ」
 と同僚に嘆いてみた。
「太宰治というより、中村うさぎ、だろ」
 それは少し方向性が違う。
 私は浪費とは縁遠い生活をしているし、なにより前借りする先もない。
「じゃあ、これから君のことを"だざいくん"と呼んでやろうか?」
「…。
 うさぎくん、の方がいいです」
「それもあつかましいとおもうぞ」
 確かに。
「で、来月はどうするんだ」
 そうなのだ。
 黙っていても日付はすぎる。
 年も変わる。
 むろん締め切りもまたやってくる。
「いっそのこと、来年の正月初日は餅をのどに詰めてみるか」
「それは、筒井康隆がやりました」
「じゃあ年始にいって交通事故。
 骨折」
「それは洒落にならない」
「どこか他に、悪くなりそうな所はないのか」
 そういわれて、真剣に考える自分が恐い。
 実をいうと。
 最近気になる部分が他に無いわけでもなかったりするのだ。
「ほう、それは楽しみ」
 とんでもない。
 もう、痛くて、金のかかるのはこりごりである。
 来年こそは、もう少し品行方正な生活をめざしたいところだが…。
 とりあえず来年の願い事の一つは、無病息災、としよう。

 それではみなさん。
 来年もまた、よろしくおねがいします。



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