新世紀に向けて

黒川[師団付撮影班]憲昭

 「航宙士達はいう。カイパーベルトに法はなく、太陽系の外に神はいないと」
 「違う。人のゆくところにはどこにでも法はあるし、そこに神がいることに人は気づくんだ」

(「いま再びの長き別れ」より)

 二十世紀とはどんな時代だったのだろうか。
 連載を始めるにあたっての承前として、まずこの問いから始めようと思う。世紀末を迎えたいま、この疑問に対する二十世紀人としての答えを出す義務が、我々にあると思うからだ。
 それは新世紀に生まれる次の世代のため。そして、来世紀を生きていかねばならない自らのためにも。我々が参加し築き上げてきた時代へのけじめをつけ、新たな世紀を生きるための道標とするために、これから始まる今世紀最後の二年間の間で、二十世紀に対する一定のコンセンサスを形成することが、いままさに求められているのではないだろうか。
 再度、問う。二十世紀とはどんな時代だったのだろうか。思いつくままにあげてみれば。
 戦争の世紀。民族独立の世紀。コミュニズムの盛衰の時代。アメリカの世紀。宗教・民族対立の終わりと始まり。情報革命の世紀。グローバルマーケットの完成。宇宙時代の開幕。……。
 それぞれの立場や重ねてきた年月によって、様々な答えが返ってくるだろうし、またそうでなくてはならないが、一方において全てを包括するような一つのキーワードが必要なのではないだろうか。なぜならば、二十世紀はこれに先行する二百年あまり続いた歴史の大きな流れがほぼ間違いなく、そのうちのどこかで転換した世紀であるからだ。
 もっと想像力をたくましくしてみれば、これから数百年の後の歴史の教科書に掲載された年表の二十世紀のある年、仮に1945年あるいは1989年あたりにアンダーラインが引かれ、ここでこれまでの時代が終わり新たな時代に入ったと、記入されることになるのではないだろうか。
 個人的には1969年の月着陸をして「地球時代の終わり、宇宙時代の幕開け」としたいところだが、適切なポイントであるかどうか今ひとつ自信がもてない。なぜなら、いま我々が経験している新しい時代の始まりは、もっと人間の実存を根底で支える奥深い所をゆさっぶているという感覚が強いからだ。
 たぶん、その年がこの百年間のうちのいったいどこか、ということについて後世の歴史家達は、いま生きている我々には思いもよらなかった所を指摘するだろう。なぜなら現在起こっている変化は過去からの連続性のある微分的なものではなく、これまでの経験則の当てはまらない相転移的なものであることは確かなのだから。
 我々は非連続的な変化を予測することはできないが、しかし想像する事はできる。もうお解りだろうがその想像のための装置あるいは方法論、これこそがSFの持つ重要な機能の一つなのだ。
 私自身のSFというフィルターを通して抽出された、二十世紀に起こった最大の事件とは、一言でいえば「人という種の質的な変化の開始」ということだ。
 ふつう生物における種は環境の変化にともない、それに最も適応したものが次世代に生き残ってゆく、という方法でその生存領域と数を増やしてきた。つまり生物は環境に対していくつかの例外を除いて基本的に受動的な立場をとってきたといえるだろう。そしてその数少ない例外の一つが我々人類である。
 そもそもクロマニヨン人=人類はその最初に道具と言語の使用により、動物界からの、あるいはダーウィンの法則からの離脱するための準備を始めたといってもよい。それは地質年代的には洪積世の終わり、ヴュルム氷期の頃でだいたい五万年くらい前のことだ。
 自然環境に自らをあわせるのではなく、それを自分たちの都合のいいように変更する。その第一歩である農耕が開始されたのが紀元前四千ほどのメソポタミアの沃野とされている(定住性集落の発生が八千年前くらいとされるからこの数字には検討の余地がある)。ほかの地域でもこのころから同時多発的に耕作が始まり、ここからまず人類は量的な拡大を始めたといえるだろう。それと同時に農業による蓄積が文化の基盤となり、文字の発明による情報の伝達・保存の開始に伴って環境改変のための技術的な進歩が開始された。
 さて、それから五千年あまりの後、紀元1770年頃のイギリスで産業革命が起きた。それまで、最初のごくささやかな地域的広がりの後、ほぼ定常状態を保ってきた人類の版図と環境改変力はこのときを境に大きく拡大しはじめたのだ。この西部ヨーロッパから始まった波は、それから百年も経たないうちに日本を飲み込んで広がり続け、発生から二百年を経過した時点で地球上の全陸地面積の九十パーセント以上を覆うこととなった。
 ここで繰り返しておくと、人類は誕生から四万年以上かけてようやく農耕の段階に至り、そこからさらに五千年の歳月を経て産業革命を迎え、それからわずか二百年ほどで地球上にそれまであったどの生物も持ち得なかった環境改変能力を保有するに至った。
 量的な変化でいえば農耕開始時の世界人口がだいたい三千万人くらいだったと考えられており、西暦0年で約三億人、1770年には約六億人くらいにまで達していた。だが、その増え方は他の生物と比べて際だって大きなものとはいえないだろう。
 それから人口は急激な伸びを見せはじめる。産業革命から二百年後の1970年には三六億を数え、2050年までには百億の大台を突破するのは確実と見られる。ちなみに今年の10月12日までに何事も起こらなければ世界人口は六十億人となる。
 そして、この二百年間で我々は質的にも大いに飛躍を遂げた。
 試みにあげてみるならば、相対性理論。量子力学。DNAの発見と遺伝子工学の開幕。精神分析。ダーウィニズム。ラジオをその初まりとするマスコミュニケーションの発展。コンピューターの発明と世界規模でのネットワーク化。原子力。航空宇宙工学。……。
 農耕文化の期間における技術蓄積のいわば飽和状態が、爆発的な量的な変化を呼び、それがさらなる急激な技術発展をもたらした。そして技術の発展は文化の過激なまでの変化を促す。
 仮に、古代ギリシャの人間が元禄の江戸にいったとしても、彼はその社会を理解する事は容易ではないが可能だろう。だが、明治時代の日本人が現在の日本社会を理解する事は、同じ国の人間であるにも関わらず古代ギリシャ人以上の苦労をするのではないだろか。それほどまでに前世紀からの日本の文化の変質はすさまじい。しかも世界的に見てみれば日本の変化など、南米奥地に住むククルスク族比べれば、まだしも穏やかだといえる。
 この大規模な社会の変化は、遂に社会学的にみて最も保守的な制度である法体系の基幹をも危険なまでに揺さぶり始めた。
 現在世界で最も普遍的な法体型はローマ法が原型となり、その基本的なコンセプトは変わっていない。それは極論すればこれまでは「自然人」という考え方を基礎にその権利・義務関係をいかに拡張してゆくかが法学の基礎構造であったといえるだろう。
 ここ半世紀前まで我々が共有している人間(=自然人)観はおそらく、人間の一対の雌雄から技術的な手段を使うことなく生まれたものであり、その生誕から死の間に身体に対する人工的な変化を伴わないものだ。今も大多数の人が共有しているこの人間観を、このこれから古典的人間観と呼びたい。そして、この古典的人間観が技術の発達により変更を余儀なくされている。それが現在論議されている脳死問題でありクローン問題だ。
 法律の有効性と妥当性はこれまで我々を守ってきたが、それがいま「人とはなにか」というその体系の根幹をなす部分から、そのありかたを問い直されているのだ。これは最も顕著な人類の質的変化の兆候ではないだろうか。
 次回からこの連載では将来予想される技術の発展とそれに伴って必然的に起こる法律との摩擦を通して、人間の質的変化の方向を探ってゆきたいと思う。そしてそれが最終的には二十世紀という時代を考えるための一つの手がかりになることを期待している。



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