渇いて、白く濁った空気の中を、4歳のジャムナは人々と共に歩いていた。
疲れて足は重く、引きずる足の下では砂が重くからみ付いている。
風にあおられては、口の中で砂はジャリジャリと苦い味を出し、含む水分や唾をすべてジャムナの体の中から吸い出していった。
目の前を母親が歩いている。
黒く艶やかだった髪は砂にまみれ、白っぽくくすんで見える。
ジャムナは最初、自分の目に砂が入ったせいだと思い、砂だらけの手で、ごしごしと目をこすった。
母の髪の色は変らない。
少し悲しくなって、手のひらで、もう少し強くこする。まつげの砂と、ほほと手に付いていた砂が、『無駄だ』と言っている様に、更にジャリジャリと音がするだけだった。
ジャムナは悲しくなった。
母がジャムナの気配に気づき、見を屈め、スカートの裾のきれいな処で、ジャムナの顔を拭いてくれた。
いつの間に溢れたジャムナの涙は、砂を洗い流し、ほんの一瞬ジャムナにはっきりと母の姿を見せる。
−−−−疲れて、やつれた美しい女の姿があった。
少し微笑んで、再び立ち上がる母の姿を眼でおいながら、ジャムナは口を硬く閉じた。
「ジャムナ! ジャムナ!」
階下で、養父の声がする。 ジャムナは眼を開けた。
白いカーテンが、窓辺で揺れている。軽く身動きをすると、膝の上で自由になっていた本がバサリと落ちてしまった。
ジャムナは足元に落ちた本を拾いながら、自分の腕に砂が付いていないのを確認する。 視線の上に在るのは、4歳の痩せた子供の腕では無く、13歳の健康的な腕だった。
「ジャムナ! 眠っているのかい?」
再び、養父の声がした。あわててジャムナは返事をして、遅めの昼食に同席することを約束した。
やわらかなアイボリーが基調の如何にも女の子の部屋−−−−強い侮蔑を込めた瞳でジャムナは見回す。−−−−
その強い瞳の光を、まばたきで消してジャムナは部屋を出た。開け放たれた窓の外に広がる風景は、ジャムナの居る家が少なくとも中流以上であることを見せつけていた。
「ジャムナ眠っていたのかい?」
優しい笑顔の養父が、ジャムナを食卓の席にいざなう。
ジャムナは、5年前から自分の席になっている場所に座った。
「本を読んでいたの」
目をそらして、ジャムナは答えた。養父の優しさは、ジャムナには重かった。−−−−暖かさが絶え間なく流れ込んでくるから。−−−−
「ジャムナは本が好きだな、どんなのを読んでいるんだ?」
あたりさわりのないジュブナイル作家を二三挙げ、ジャムナはポークシチューを口に運ぶ。ホワイトソースがやわらかな湯気をたてて食欲をそそる。
優しい笑い、優しい時間。−−−−心の痛みは、種類が増えこそすれ昔より減ったとは思えないジャムナだった。大きくなり、判断力がついた分だけ、人の悪意が生み出す刃は、より深く心に突き刺さるようになり−−−−それでも、この5年間の間に敵意を持った人々とだけ付合っていたわけではない。何時でも、何者にも捕われない人々がジャムナに語りかけ、その度に閉じかけたジャムナの心を溶かしていってくれた。
ジャムナはスプーンを口に運びながら、まるでセイレーンの歌から逃れる呪文の様に、頭の中で繰返していた。
「あの日の砂の味を思い出せ! 母の顔を思い出せ!」
少し眼を伏せ気味にする。長いまつげは、その下の瞳の思いを隠していた。
5年間の暖かい生活。それはジャムナに母の思い出や、父への怒りを緩ませるのに充分過ぎる時間だった。人は緊張し続けることは出来ない。何処かで息をつかなければ前へ進めなくなってしまうものなのだ。
ジャムナ自身、敵意に会うときにまとう鎧も、成長と共に強くなったが、好意に対する鎧は持合わせていなかった。
頑な心が、静かに溶けだすのをジャムナも感じていた。
−−−−すべてを思い出にして生きていくものなのかもしれない。そして、養父のような暖かな人と−−−−
ジャムナは水を飲み、心の中でシチューと共に暖まっていた、それらの考えを押し流した。
冷笑が、口許に浮ぶ。何をたあいも無い事を考えているのだと。養父との会話をよどませる事無くジャムナは心の中を整理した。
食事を終えて、ジャムナは図書館へと向かった。
随分前から、ジャムナは外惑星動乱期に関するディスクに眼を通すのが休日の日課になっていた。
何時も何時もそう大した事が見つかる訳では無いのだが、あまり、期待をせずにスクロールさせていく。
----YUU.OGATA----
頭にこびり付いている名前と、瞳に焼き付いている顔が現れた。黒髪の美しい女の顔が、見開かれたジャムナの眼に写し取られる程にジャムナは見つめていた。
「ユウ、、、オガタ・ユウ」
ジャムナは何処かで自分の声を聞いた。
考えが何もまとまらなかった。
熱い想いが、心の中で活性化していくのが判る。
<夫が生活費の支給と共に離婚を宣言−−−>事実上の離婚
同意が無い一方的離婚。その為に母がどんな境遇にまで落ちたのか、この航空宇宙軍の退役士官は考えたのだろうか。
否! 考えたのなら何故母は、痩せ衰えて死んだのか! それ以前に愛しているのなら、何故捨てるように別れるのか!
次々と、優しかった母の事、母と耐えた辛かった事などが思い出されジャムナの頭の中でグルグル回っていく。
硬く握り締めた指が、掌に食い込む。自然と唇を噛む。
泣けばいいのか、叫べばいいのか、ジャムナは自分の心の中の、熱過ぎるエネルギーを開放する術を持たなかった。
心の中で、次々と熱い迷路が造られて行くのが判る。
子供の視点だと、心の何処かでさめた声がする。
『違う! 違う! 違う!』
ジャムナはその声を、必死で否定した。
大好きだった母が、どれだけ苦労したか。
ジャムナは、眼を見開いたまま、乾いていく自分の瞳を感じた。涙よりも、熱い物が何処かで流れ落ちていった。
「君の親父さんが死んだな」
14歳のジャムナの横で、若い SPA
のメンバーが時計を見ながらつぶやいた。つぶやきながら、チラとジャムナの表情を覗く。 ジャムナの顔には何も浮んでいなかった。
ジャムナの心の中は、航空宇宙軍と地球に対する怒りが、重く熱く燃えていた。もう、伏せる必要の無い瞳には、強い光が溢れていた。
「?」
つっとジャムナは、ほほを伝わる物に気が付いた。
暖かい物が、ゆっくりとジャムナを宥める様に落ちていく。落ちるはずのなかた涙に困惑しながらジャムナは必死で涙を止めようとした。
ジャムナには、涙を拭いてくれる母は亡く、暖かい養父の手さえ払いのけた今、戦う事だけがジャムナの選択肢であった。−−−−SPA
のメンバーの声がジャムナを呼ぶ。
顔を上げ、振り返る。
ジャムナの戦いはこれから始る。