外惑星連合軍の巡洋艦、サラマンダーは未完成のまま出撃したため、艦を維持するたまに造船官が多数乗り込んでいた。このためサラマンダーの乗員には、特に優秀な者が選抜されたことは記述があった。それでは当の造船官はどうだったのだろうか。
サラマンダーは外惑星連合軍の保有する唯一の巡洋艦であった。巡洋艦に転用できる技術はそれまで規制されていたため、サラマンダーを建造した技術は外惑星連合にとって虎の子のものであった。当然のことながらその技術を完全に理解し、使いこなせる技術者の数というのはごく限られたものであった。
今後外惑星連合が地球ー月連合に巻き返しをはかるためには、このような優秀な技術者の価値というのは非常に重要であったはずである。外惑星連合の命運を握る巡洋艦サラマンダーで生じる種々の故障に対処するために、彼らは身を切られるような思いでそのような貴重な技術者を搭乗させたのである。
乗員にしろ造船官にしろ、サラマンダーには今後の外惑星連合を担う優秀な人材が多数搭乗していることにより、外惑星連合にとって『サラマンダーを失ってはいけない』というには非常に(航空宇宙軍が考えている以上に)優先順位の高い指令であったことがわかる。このことが中立国に抑留されている非武装の情報収拾艦を強引に出港させてでも、タンカーとの邂逅に失敗したサラマンダーに補給を行なおうとした艦隊司令部の無茶な命令にも反映している。
このように考えてみると造船官を乗り込ませた艦隊司令部にしろ、あるいは乗り込んだ技術者自身にしろ、サラマンダーが撃沈するような事態は考えていなかったように思える。サラマンダーが自己の存在をアピールするだけで航空宇宙軍は護衛艦隊の需要の増加による戦力の分散などで、十分な打撃を受けることが判っているので彼らはあえて危険な戦闘をおこなう必要はないのである。
また作戦中であってもサラマンダーの工事がある程度進めば、寄稿先で造船官を順次降ろしていき、その代わりに航宙士や観測員を補充していくことも十分に考えられる。造船官は寄港先からカリストやガニメデへ民間船で帰っていくと、休む間もなくサラマンダーに用いられた新技術を広め、更に新しい技術を開発しなければならないのである。(もっとも彼らが出撃している間に、残った技術者で新技術の研究、改良は急ピッチで進んでいるんだろうが)
さて巡洋艦サラマンダーを『優秀な乗員たちの安全を確保する』という観点から見ると、もうひとつ押さえておかなければならない点がある。造船官達がおこなう補修作業そのものである。
最初に触れたようにサラマンダーに乗り込む造船官の選抜の基準は、いかに造船に用いられた新技術に精通しているかということである。各人は自分の専門の箇所についてどのような事態が起こってもそれに対処できなければならない。このような基準で人選をおこなうとどうしても設計技術者が多くなり、実作業のできる技術者の率は少なくなってしまう。また多少実作業の経験がある技術者にしてもそれは衛星上のドックでの作業であり、宇宙空間のしかも航行中の船での作業の経験など皆無に違いない。それでも乗り込める造船官のかずが限られている以上、何としてでも彼らに補修作業を手伝わせなければならない。
ここで造船官グループの長である武末中佐に着目してみよう。シュルツ大佐との会話から見ると、かれは艦内のすべての補修工事を自ら監督しているようである。このことから彼は『航行中の船内での補修工事』の経験をかなり積んでいると推測される。もともとは機関士か航宙士であったのかも知れない。サラマンダーには彼のような場慣れした技術士官が数人(せいぜい二、三人だろうが)乗り込み、他の造船官の作業を指導、監督していたのであろう。
自分の専門分野では第一人者である造船官の中には簡単な補修作業などでいちいち口うるさく指導される必要などないと感じる者も少なくない。しかし武末中佐達にしてみれば彼らは実作業の経験もないような連中ばかりであるから、考えられる限りの安全対策を講じるであろう。隠された危険を作業前に予知する『KY訓練』、あるいは自分の作業を口で言い指で指して確認する『指差呼称』、ささいな事故でも皆に知らせることにより大きな事故を防ごうとする『ハット・ヒヤリ』、作業環境を整理・整頓・清掃で整えることによって事故の可能性を減らそうとする『3S活動』などを徹底的におこなったに違いない。(これらの呼び名は日本語由来のものであるのでサラマンダーでは違う名前で呼ばれていたはずだが)
サラマンダー内での安全標語の募集はこれらの安全教育の一環としておこなわれた。標語を考える事により各人の安全に対する意識を高めようとしたのである。以下に代表的な標語を三例あげてみる。
命綱 する一秒で 事故はなし
艦が惰性で飛んでいても
惰性でするな 日常点検設備、作業の安全で
実現しよう ゼロ災巡洋艦
またエアロックのドアやいくつかのスイッチ類には次のようなステッカーを貼り、指差呼称による確認を促していた。
武末中佐らのこのような尽力のおかげでサラマンダーでは航行中には数多くの補修作業があったにもかかわらず、作業上の負傷事故は一件も起こらなかったのである。もっともサラマンダーの航行時間は外惑星連合が期待していたものよりはるかに短いものであったが・・・。