海鼠と海月と菓子パンの宴(脚色付き)

阪本[初代]雅哉

3月1日 日曜日

 今回の宴の結論のすべては「赤海鼠」である。それ以外の要素は「赤海鼠」の前に吹飛んでしまった。

 人外協とはまったく無関係な事柄の打ち合わせがあって来阪してきた、東京支部長夫妻(仮)+他二人が我家に宿泊した。(我家は明石(昔天皇が流された須磨よりさらに西の海沿いの市。でも今なら関西、大阪から西へJR新快速で3〜40分、新幹線で2駅程度)にある)

 翌日は元町周辺(神戸)へ遊びに行くことになった。

 「ごかいの卵と水海月って、小さいときに区別がつかなかったんだよ」
なにを思ったのか、いきなり某東京支部長が言い出す。釣道具屋の前を通った時に書かれていた「オキアミ、サシアミ」からの連想らしい。
 ただ、その場にいた他の5人にとって“ごかいの卵と水海月を区別できないこと”が

のどの当たりに分類されるか分からない。
 「でもね、水海月は陸に揚がるとぺしゃっとしてて、でも、ごかいの卵は土の中に有ってもぬめッとしているの」
 「だから卵を足で踏んずけてぺしゃって潰してたの」
 「卵は可愛いけど、ごかいは気持ち悪いの。でも、卵を掘っているとその先にはごかいが居るんだよ」
なんだか良くわからないが、どうもそういう事らしい。どうせ、他愛も無い雑談の中の一つに過ぎないので誰も深くは追求しない。
 タコパン(タコが中に入ったパン、はっきり言ってあまりおいしくない)を売っているパン屋の前を通ると、
 「菓子パンは雲丹をぺしゃっと潰したようなもので、、(某支部長)」
 「????(他全員)」
   ・
   ・      <- どうやら地元でそう呼ぶ生物が居るらしい、
   ・
 「でも、見つけたのは全部からからに乾いていて死んでるんだよ」
 「地元では若い&幼い娘に、生きた菓子パンを見せると行き遅れるという俗説が有るに違いない」
 「漁師さんが夜明け前に、海岸で菓子パンを虐殺しているに違いない」
全員がわけの良くわからない話しを続けている。

 明石駅前には「魚の棚」と言う、魚屋が軒を連ねる商店街がある。
 ここは新鮮な魚が有り値段は安いが売り単位が大きいので、二人家族ではなかなか買物ができないけど雰囲気が面白いので人を連れてくると結構喜ばれる場所である。
 愛媛の漁師町出身(だと聞いた)で今は海の無い県に住む某東京支部長にとって、地元の魚介類販売事情には大きな不満が有るらしい。そのためか、魚屋を覗きながら「XXXが有る」、「○○○が売っている」と喚声をあげていた。
で、
 「あぁっ、海鼠。おいしそう。買って帰りたいぃ」
 「買えば良いじゃん」
 「でも、これから遊びに行くし今買っても帰るまでに悪くなってしまう」
 「家に帰ってから買えば良いじゃないか」
 「近所じゃ売ってないんですよ」
生の赤海鼠を見て“おいしそう”と言うのも珍しいとは思ったが、単に一過性のネタだと思いそれ以上は特に気にもしない。
 駅で電車を待つあいだも当然会話は別方向へ進行している。
   ・
   ・
 「こんな大きかったよねぇ」
 「なんの話しをしているんだ」
 「海鼠ぉ」
 「まだ海鼠のことを考えてたのか」
 「だってお正月買いそこねたんですよ」「どうして、みんなは海鼠に心奪われないんですか」
 「なにも海鼠ごときで泣くことないじゃないか」
なぜか目に涙が浮かんでいる。
 「次来るときには絶対にクーラーボックス持って来る」
その後、神戸に向かうまで切々と以下に海鼠がおいしくて、買って帰れないのが悔しいかを力説する。

 ハーバーランド、南京町、メリケンパークなどを移動する。食事もする。その間に、「ねぇ、みんなと別れた後で明石に戻って買って帰ろうか」
なんて会話が夫婦間でなされたらしい。

 以上

 基本的に某東京支部長の話しです。それ以外の登場人物の発言や心象は区別されず、某支部長を交えない会話省略されています。


 カシパンというウニ類はおります。
 カシパン科、スカシパン科の仲間が「・・・カシパン」といった和名で呼ばれます。
 例えばミナミヨツアナカシパン(奄美・琉球以南)、スカシカシパン(房総・相模湾以南)フタツアナスカシカシパン(奄美・琉球以南)など。
 タコノマクラ科、ヘンゲブンブク科、ヒラタブンブク科、オオブンブク科という、わけのわからん名前のウニ類もおります(ヒメタコノマクラ、ライオンブンブク、コオニブンブクなど)。ナガウニ科のように棘が長いいわゆるウニらしい姿をしているのもありますが、カシパン科は棘が短く、どら焼きのようなヘラべったい円形、楕円形をしています。

 こんな和名を(図鑑も見ずに)すらすら言える人は、学名をすらすら言える人と同じように尊敬してしまいます(私はもちろん図鑑を観ないとわかりません)。




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