2月例会レポート

竹林[奥様はNina]幹子

 前日に積もった雪のせいか−−−大阪では2年ぶりに積もった雪だそうです。2年前といえば、ちょうど「フリ会」の時のてっちゃんの涙雪以来の雪なんですね。名古屋はこの冬はいっぱい積もっていろいろと被害があったのに(もっとも、平野部で雪崩を起こすなどのおまぬけな芸ができるのは名古屋ぐらいしかありませんけどね、、でも名古屋高速のランプに積もった雪が雪崩れて、たまたまそこを歩いていたおじさんが埋まったというニュースを聞いたときは本当にびっくりしたんですよ。まあ、当然おじさんは打撲ぐらいですんだんですけどね(;_;)

 と話が脱線しましたが、前日に積もった雪のせいか、出席者が10名ほどのこじんまりした例会でした。−−−ということが言いたかっただけなのに、、、
 こんなにこじんまりした例会だったから、暗黙の了解があるような「一番遠くから来た人がレポートを、、、」というのに当てはまってしまい、これを書く羽目になった、なんて事情はさておいて。

 今回の一次会でのトピックといえば、

 といった感じでいつものごとく郵便ポストを占領して無事に一次会は終わりを告げたのですが、雪のため、新幹線の遅れが気になっていた(新幹線は思ったほど遅れておらず、無事に帰り着くことはできました)私は二次会に参加せずに名古屋に帰りました。


3月例会レポート

宗[西の宇海、くらげになりたい]利香

三月十七日、天候は曇り。

 いつものようにいつもの通りの例会が滞りなく開催された。と、思われる。何故なら、私は遅刻しての参加であるからである(笑) おまけに、二次会も不参加のため、いつもの例会のほんの一部しか顔を出してないわけで、こんな私に完璧なレポートが作成出来るだろうか? いや、できない。だから、このレポートの信憑性は薄いのだ。
 これらの事から分かっていただけるとは思うが、あらかじめお断りしておこう。このレポートを信じた結果起こったトラブルに対して、私は責任は持たない。

(なんか、えらそーな書き方だなぁ>自分ま、いっか。今回はこれで通そう(笑) 皆様、御無礼をご容赦下さいませ。)

 私が旦那予定(このたび結婚する事になったので、ご挨拶がてら無理矢理ひっぱって来た)と共に、例会の会場に着いたのは四時頃だった。
 差し入れの肉まん(なかなか美味しかった。腹が減っていたからだろうか? 一個六十円というコストパフォーマンスのよさが、良かったのかも知れない)を持って会場に入ると、ドーナツ型のテーブルがあり、その周りで皆さんは一生懸命折り込み作業を行われていた。会場が狭かったのか、ほとんどの椅子がうまっていたので、荷物置きに使われている椅子をあけてもらい席を確保する。
 今回の画報も東京支部の別冊があり、一番の働き者である作業体圭君が不在なので、折り込み作業が難航していた。作業を続けている隊員の方々に、簡単に旦那予定を紹介するが、作業が難航しているせいもあり、誰も聞いていなかった様である。
 画報の折り込みの作業が終了した後は、天羽氏の御子息ガジラくんの独り舞台となった。ホワイトボードに芸術的な絵を書き、また、隊員の皆さんの順位を指定してゆく。まさに元気ありあまるという感じ。日本の将来は安泰だ。
 その間、旦那予定は黙々と画報を読んでいた。宇宙関係のレポートに惹かれた模様(じつは職業が宇宙関係のソフト屋さんなので、ついつい目が行ってしまうのだろう)。しきりとその部分の筆者が、どこの会社の人なのか気にしていた。どこかで会っているかもしれない、と思ったらしい。
 その隣では、テーブルの上で亜美ちゃんがすやすやと寝息をたてている。周りがどんなに騒いでも、びくともせず寝息をたてている。背中とか痛くないのか気になったが、赤ん坊はとにかくよく眠る。
 なんだかんだとやっているうちに、五時。撤収号令と共に、会場を後にして一路二次会会場へと向かう。
 途中、いつものポストに画報を投函する。いつもながら、ポストの前でたむろって、怪しい集団である。私は、他人を装うべくちょっと離れた所から投函作業を見守る。(先を急がず見ているだけでも、怪しい集団の一員。と、他の通行人から見られているのに当人は気付いてない)投函作業が終わると、今回のレポートの担当を誰にするか討論となる。今回、隊員規約よりレポート適任者として二名が挙げられた。亜美ちゃんと旦那予定である。亜美ちゃんにレポートの課題を出すわけもいかず、旦那予定が指名される。例会レポート担当も決まって安心したご一行様は、二次会への道へとついた。 −おしまい−

−余談− 荻野編集長から催促の電話がかかってくる迄、レポートの存在をすっかり忘れてしまっていた。私は、隊員見習いなので断る事ができず、まだ隊員に登録されていない旦那予定に押し付けるわけにもいかず、曖昧な記憶を頼りにこのレポートを綴っているのである。どうやらこの辺りで所定の行数をこなしたようなので、筆を置こう。


4月例会レポート

宮地[あだるてぃ]泉

 ども、宮地[あだるてぃ]泉です。このたび旦那の宮地[バグってはにー(中略)]昭祥の転勤にともない、愛知県から滋賀県に転居とゆーことになりました。名古屋の皆さん、お世話になりました。また遊びに行きます。そして先日、無事大阪例会デビューを飾ることができました。関西の皆さんよろしくお願いします。新居は通りの角から3件目、メリヤス工場の塀の影です。遊びに(呑みに?)来てください。
 さて本題。春本番の陽気の中、私が会場に着いたのが3時ころでした。最寄りの森ノ宮駅から会場まで、近鉄の牛マークが眩しい日生球場やらたこ焼き屋さんやらで改めて「大阪だなぁ」と実感しつつ、多少迷いつつもたどりつきました。部屋の中ではすでに人数が集まっており、差し入れのぶたマンやらお菓子やら密造ビールやら赤ちゃんやらが飛びかってました。
 画報の発送作業が始まり、「北朝(ぴー)の親愛なる指導者様」似に見える甲州先生の表紙を折る、折る、おる、オル、(中略)折ってページ順に挟む、はさむ、ハサム(中略)。作業しながら画報発送作業の細かい話を聞いたり、(ちなみに今回から宛名ラベルの印刷がレーザープリンターに変わったそうです。)してるうちに作業も終了しました。発送作業の歌がなかったのがちょっと残念でした。
 作業が終わった後は森岡[星雲賞にノミネートされて、ゲストになれなかった男]浩之隊員の生サイン付き新刊即売会(祝・重版決定)が行われまして、貴重な2冊のサイン本のうち1冊をゲットさせて頂きました(影で「ういりあむ・ぎぶすんってサイン書いてもらおうか・・・」と言っていたのはわたしです。森岡先生、すみません)。他に衛星の企画会議やらなんやらでとりあえず1次会は終わり、2次会の森の宮の酔虎伝に場所を移りました。
 ・・・で、2次会ですが、すいません。夫婦してひたすら食べてました。某ガイナックスのアニメの話やら、歩ちゃん2代目米朝襲名計画やらなんやらでたのですが、はっはっは・・・すいません。知りたい方は大阪例会に参加しましょう!例会はこわくない!たぶん。
 以上、4月の大阪例会報告でした。乱文で失礼しました。


6月例会レポート

松岡[傍若無人な冷蔵庫]研

 えー、申し訳ありません。日曜日に片付けないといけない用事がたまってしまったせいで、例会の行われる中央青年センターについたときには、すでに3時をまわり、甲州画報の発送作業も既に終了していました。というわけで、例会の半分以上の時間にはいなかったことになります。このため、前半に何かとてつもない、これを見逃したと知ったら次の例会までの1ヶ月間悶々とした日日を送らないといけない、というようなすごいことがあったかも知れませんが、私の報告としてはまったく欠落した状態になってしまいます。
 さて、では私が到着してから後は何があったのかというと、ここからはLA-CONで1時間分確保したパネルでどのような企画をするか、という打ち合わせにはいりました。スケジュール的にもそろそろ……ということもあり、各隊員からさまざまなアイデアが出されたのですが、申し込み済の隊員の参加不参加など(つまり、現地での担当者など)、この時点でも未確定の要因なども多く、結局、これという方針はこの場では確定しませんでした。この件については、この報告の載っている画報のどこかに、この時点以降の展開も含めて、関連記事が載っているかもしれません。
 その合間にも、とーーーっても固いせんべいとか、いろいろと小ネタがありましたが、この件に触れると、そのせんべいに負けた拳法の達人など、様々な点にも言及が必要となってきますので、割愛させていただきます。
 と、例会はここまで。移動途中の青少年会館前のポストに甲州画報の発送を行った後、ここしばらく定着している、酔虎伝森之宮店での二次会に突入しました。いままでは2階の座敷が多かったのですが、今月は混んでいたこともあって、3階の座敷でした。ここでも酒の力もあって、様々な大ネタ小ネタが飛び出していました。

 ……と、ここまで読んで「――で、いったい何があったのか、よーわからん」という方も多いと思います。はい、申し訳ありません。例会報告の担当者だというのを、編集長から督促受けるまで、すっかり忘れておりました。あわててNIFTYのHPの書き込みなどを見てなんとか思い出そうとしたのですが、このあたりが限界です。すんません。
 結局、例会の真実を知るには、自ら参加するのが一番ですね(^^;)(って、棚に上げるなよ>わし)


7月例会レポート

原田[事務局長]晋一

 どうも皆様すっかり御無沙汰いたしております、原田晋一(誰やそれと言われそうですが)でございます。
 先日(7月21日)、ひさしぶりに(約3年ぶり位に)大阪例会に参加させていただきました。沢山の人が来ていらっしゃいましたので、誰が来ていたとかいうのはよーわからんので、主観的な(適当な?)レポートをさせて頂きます。
 先日、天羽さんから当麻隊長のローカルコン(?)のセッティングをしてもらえないかというご依頼をお受けいたしましたので、その打ち合せも兼ねて今回の大阪例会に参加させていただきました。
 当日ちょっと遅れて午後3時頃、会場に到着いたしました所、ちょうど二次会の話し合いを進めている所で、皆様のだいたいの意向等を聞く事ができました。その後、これを金沢のキャンプ場でやってはどうかという案が出て、結構盛り上がったのですが、例会の終了間際に当麻隊長が出現し、この案はあえなくボツになってしました。
 その後、会議の話題はワールドコンの企画へとうつりました。ほかにも会場では会費の受け付けや「えいせい」の校正作業などが行われていましたが、うわさの封筒詰め作業は何故か今回は見れませんでした。
 その後、会場は森之宮の酔虎伝へ移動、様々な話題に花が咲いていたようでした。(10日も過ぎてからこれを書いているので、実はあんまり覚えていない)ただ、もっくんがどうしたこうした、というのは覚えてるんですが..
 そして梅田へ移動、旭屋書店で作者自ら「星界の紋章」の売れ行きをチェックして飲み屋さんへ移動しました。この時点で8名位だったかな。ここではなんと途中からSFの話題で盛り上がってしまいました。
 という訳でひさかたぶりの例会を堪能した私は帰路につきました。
 うーん、みんな相変わらずやけどちょっと年を取ったかなー、でもたまにはこんなノリもええなーというのが正直な感想でした。

 紙面をお借りしたついでに近況を述べますと、先日(6月22日)子供を授かりまして、ちょうど嫁さんを実家に帰して花の独身生活を送っている最中でしたので、今回の例会には参加しやすかったです。またそのうち嫁さんの目を盗んで、例会に参加したいと思っています。
 また、最近はカタギのイベントに力を入れています。来年11月、神戸で開催されるボランティア関係のイベントに携わっています。フリーマーケット等を企画するつもりですので、本の処分等にお困りの方は声を掛けて下されば古本屋等の出店も出来そうですのでよろしく。


7月例会レポート
またはいかにして我々は知的高等生物を食さんと欲したか

林[艦政本部開発部長]譲治

 果たしていまこの画報を読む人で、何人の方が鯨と言う生物覚えているだろうか?日本の食卓からその姿が消えてすでに二桁の歳月が流れている。
 今回私は大阪支部の7月例会に参加したわけであるが、これには色々と複雑な背景があったのである。話は数ヶ月前に溯る。
 今年のはじめだったと思うが、有志により草上仁ファンクラブ−まぶだちの会というものが結成された。主催者は天羽[司法行政卿]であるという。その5月に別件で大阪に行った私は、天羽さんと会った機会にそれまで抱いていた疑問をぶつけてみた。
「食べるんですか?」
「食べます」
 この短いやり取りの結果、私の7月例会参加は決まったといって良い。ここで少し背景説明をする。
 上方の古典落語に『草神』という話がある。と言っても恐らく知る人は少ないと思う。まぁ、落語のネタをばらすような無粋な真似はしませんが、簡単に背景を説明すると、大昔に国禁に触れて島流しになった京都の公家が嵐にあって巨大な鯨に漂流し、その鯨に百科の学を伝授した。その鯨はさらに哲学しながら何百年も生きて、ある日思うところあって漁村に現れる。ここから先の鯨と漁民のやりとりが落語になるわけだが、この話は見方によっては「日本人は鯨が知的生命体であることを百も承知で食べる民族である」とも解釈できるため、ここ十数年ばかり一切のメディアで紹介されたことがない。しかし当然ながら天羽さんなら知っている筈の話ではある。『草神』とは『草上』と音が同じであるし、仁とは肉の事であるからして、落語の『草神』を知る者にとって草上仁ファンクラブの裏の意味は「鯨肉愛好会」に他ならないのである。
 こうして私も「鯨肉愛好会」の一員として鯨を食べる事になった。しかし、天羽さんによれば「船がいつ入るかまだわからない」と言う事で、結局このXデーは7月になったのである。
 しかし、いざ鯨肉が手には入ったとしてもおいそれと大阪に行く訳にはいかない。昨今の日本では鯨肉を食べるところを見られよう物なら、どのような社会的制裁を受けるか分かった物ではない。それなりに入念な準備が必要である。
 その日、私は東小金井の駅でSF作家の森岡さんを待っていた。森岡さんも「鯨肉愛好会」のメンバーであるからだ。我々はそれから東京駅に行き、新幹線に乗り込む。だが、ここで世間を欺くために京都で降りた。私は新しい図版担当者との打ち合わせと言う口実で、森岡さんは実家によると言うアリバイ工作のためである。むろん二人の心は鯨に行っているのは言うまでもない。
 要件を済ませて、大阪に向かう。そこの本屋にいると「偶然」居合わせた天羽さんや「たまたま」本を買いに来た森岡さんらと遭遇する。他にも「奇遇にも」中村さんとも出会い、「ついでだから」天羽さんの知り合いの店で食事となる。
 店は一見するとごく普通の焼肉屋であった。しかし、女将は天羽さんの顔を見るとすべて心得ているとばかりに奥の部屋に案内する。そこは奥の部屋であるが出口に近く、しかも入口を監視できると言う、まさに鯨肉を食べるために作られた部屋である。この日は「たまたま」落語を聞きに来ていた阪本夫妻や「たまたま」日本橋にパソコン部品を買いに来ていた竹林夫妻も「偶然」に店に現れ席を一つにした。こうして面子が揃ったので天羽さんが

<以下略>

 そして私は落合のぞみさんと例会会場へ向かった。今回は良く分からなかったけど発送作業はなく、それだから発送の歌も無し。
 作業の間に出た話題はワールドコンの企画の話で、ある企画時間の割り振りや、内容について大まかな方針が立ちました。最後の詰めは8月例会か。とりあえず英訳本の配布計画も動き出しました。
 ワールドコンの企画時間は1時間、しかし準備や後片付けに15分とられるから正味45分。企画そのものが30分で質疑応答と予備を含めて15分というのが骨子だったはず。誰でもできる発表は英語にチャレンジしている人が発表し、突っ込んだ質疑応答は英語に堪能が人が行えば、全体発表は英語で出来るだろうと言う方針も立ちました。原則としてこの企画は一人でも現地人がいたら現地の言葉を使用することになりました。
 あと奈良から原田さんと森村さんが久しぶりに例会参加。この二人が参加した理由は、秋の企画の打ち合せのためです。この企画の詳細はいずれ公にされるであろう。いわゆる慶事ですね。もっとも慶事の原因はえてして啓示だったりするが。
 一次会はかのごとく終わり、皆は二次会へ。私はアリバイ工作のためにすぐに大阪を後にしたのでした。
 なお今回のレポートを読んで、天羽さんに「鯨が食べたいから草上仁ファンクラブ−まぶだちの会に入りたい」と言うとまず自動的に洒落の分からない人間と判断されるでしょう。またこのレポートには致死量の嘘が混じっておりますのでご注意下さい。
 それと草上仁ファンクラブ−まぶだちの会は人外協とは別の独立したファンクラブであることをここに明記しておきます。だって明記しないと昨今洒落のわかんない人多いでしょ。


8月例会レポート

猪塚[秘書室長]慶彦

 私が8月の大阪例会に行った理由は、情けないものから、ちょっとはちゃんとしたものといくつかあった。しかし、部屋に着いて、阪本隊員から「なにしにきたんだ?」と聞かれた時には情けない理由しか思い出せなかったため、「遊びに来た」としか答えられなかった。(で、ちょっとはちゃんとした理由について、打ち合わせが出来なかったけど、まぁ、なんとかなったからよしとしましょう)

 部屋に着くと当然のように発送作業が行われていた。手伝う。妙に人数が少なかったような気がしてるが、理由は分からないとのこと。

 で、今回の例会のネタは2つ。

 1つ目。コクラノミコンSF大会最終直前プログレスレポート。
 噂の檄文(とは言えないだろうけど)に対しては、当人達がどのように考えて書いたのか不明であったため、とりあえずネタにして楽しませて頂きました。
 次がタイムテーブル。企画が始まるのが朝の11時で、これは参加者が前日の宴会等で二日酔いやら寝不足になっているでしょうから、時間を遅くしました、という一言も結構来るものがあったと言えます。
 あと、ゲストとか前野隊員のCJの企画など(この絵じゃぁ真面目な企画だと思ってくれないのでは?とか)も楽しませて頂きました。

 2つ目。LA−CON3の部屋割り。
 なぜか五藤隊員と磯崎隊員が同室になっていたのでした。
 これに対して、五藤さんにも磯崎さんも困らないいくつかの方法を出したのですが、先日名古屋例会で聞いたところ、私たちの案は脆くも却下されてしまった様です。
 LA−CON3で発送作業するための下準備もそういえばやった記憶もあります。
 画報が余ったので、上野隊員に(半ば無理矢理)LA−CONへ持っていって、配ってくるように、との厳命もあったような気がしてきました。
 2次会はいつものところで、いつものように、いつもの2次会でした。
 その後、私は帰宅したので分かりませんが、3次会はなんかなさそうな雰囲気でした


9月例会レポート

林[艦政本部開発部長]譲治

 すでにご存知のように大阪例会では幾つかの作業が行われています。画報の発送作業などが主な物ですが、大阪例会に参加した事がない方にとってはどんな作業なのかいま一つ把握しにくいと思います。そこで今回は作業の難しさの基準を設定してレポートしたいと思います。便宜的に「DOSマシンでCONFIG.SYSを書き換えるより難しいかどうか?」を基準にします。では、レポートの始まりはじまり。

 そもそもなんで私が大阪に行ったかといえば、これは仕事の打ち合わせのためで、並木書房から早ければ来年早々にも出る本の図版の打ち合わせのためである。ついでにワールドコンでのお土産も渡す。この本からは図版の担当者を変えたんだが、水雷戦隊の時のように地図担当の奴が渡した資料のほぼすべてを紛失するような事も無く、順調に作業も進捗しており、絵の仕上がりも予想以上だったので高揚した気分で例会会場に向かう(もっともこれが普通のプロの仕事なんでしょうけど)。
 例会会場にいたのは阪本夫妻だけでした。ここで大迫さんから預かった(泊めていただきありがとうございます。SF大会や仕事の事など大変有意義なお話をうかがえました)雑誌を阪本さんに渡す。とりあえず雑談をしながら人が集まるのを待つ。話題はパソコンのOSなどに関するものだったと思う。結論「MACユーザーに現実を直視する勇気を与えるのは、DOSマシンでCONFIG.SYSを書き換えるより難しい」。
 2時半を過ぎた頃から人が集まり出す。たぶん落合さんが画報のコピーを持ってきた頃には作業が出来るくらいの人間がいたと思う。そういう訳で発送作業がはじまる。
 今月はある事情から発送の歌は無く(「発送の歌を歌うのはDOSマシンでCONFIG.SYSを書き換えるより簡単です」)、各自が雑談をしながらの作業となる。さすがに毎月やっていると段取りは非常に手際良く、自動的に流れ作業のラインができてしまいます。栄光ある第100号(機関紙を100号も継続するのはDOSマシンでCONFIG.SYSを書き換えるよりはるかに難しいです。これは編集に携わった岩瀬さん、荻野さんの人知れぬ努力の賜物と言えましょう)を例にとれば中折込みで五種類の紙を分類し、ページ順に並べ、折りおわったものを順に挟み込む。一方、封筒にはタックシールで住所を張り、「書籍小包」のはんこを押し、切手を貼り、完成した画報やえいせいを納めて封をする。と言うとすごく面倒な手順に思えますが、実際にやってみるとDOSマシンでCONFIG.SYSを書き換えるよりも簡単です。手薄な部分は作業の過程でわかりますから、手のあいてる人はそこへ回るのでネックになる部分が生じないわけです。
 作業も一段落し、こうしゅうえいせい販売計画みたいな事が話題となる。今年のコクラノミコンは参加者がワールドコンに流れた関係もあり人外からの参加者が少なく、それだけにあまりさばけなかったためです。販売の中心はコミケだろうというような話だったと思う。この中で(内容は便宜的に忘れますが)FD版で本を作るみたいな話がでました。むろんフォーマットはDOSのみ。MAC版を作るなんて時間の無駄。島国日本だけを考えるのではなく、広く世界を見れば論理的帰結である。FDの本をMAC版で広く普及しようなどというのは、DOSマシンでCONFIG.SYSを書き換えるより難しい。
 あと何かのクーデター計画と言うのがあったが、クーデター計画を公にするのも無粋だから省略する。関係者は己の地位が本当に安泰かどうか、足元をもう一度確認するようにお勧めします。
 てな訳で時間がきたので解散。今回の封筒は画報の他にこうしゅうえいしもあるためポストに入りきらず、2つに分ける事になりました(大量の郵便物をポストに投函するのは、DOSマシンでCONFIG.SYSを書き換えるより難しい)。今回は台風の影響もあるのか宴会に参加する人数は少なかったようです。私も一次会で帰りましたが、新幹線は止まっていました(落合さん、泊めていただきどうもありがとうございます)。
 なお今月のレポートにはMACを愚弄する意図はございません(と言う一文を入れて責任逃れをするのは、DOSマシンでCONFIG.SYSを書き換えるよりはるかにやさしい)。


10月例会レポート

当麻[隊長兼ガメラ]充弘

 十月二十日。私はなぜか二日酔いの頭を抱えて谷町四丁目の駅にいた。
 筑波に住んでいるはずの私がなぜこんなところにいるのであろうか。考えてみると家にはすでに二週間以上帰っていないような気がする。私と行動をともにしたのも、大阪の松岡氏、滋賀の上野氏はともかく、島田氏をはじめとして関東のはずの人間が数名加わっている。
 せっかく谷町四丁目に来たのだから、大阪青少年センターに向かう。こちらの例会に参加するのも久しぶりだ。しかし、時刻はまだ一時。過去の経験からしても二時をすぎないとほとんどだれも来ないであろう。青少年センターの案内板で人外協の部屋を確認し、七階に向かう。と、部屋から話し声がするではないか。入ってみると、すでに初代隊長の阪本氏ほか数名がすでに来られており、談笑をされていた。われわれも適当に席について雑談をしていたが、次々に隊員が集結し、二時をすぎるころには会議室の席がほとんど埋まってしまっていた。阪本氏も「いつもは、この時間だと、ほんの二三人来ているだけなのになぁ」と首を傾げていた。
 編集の荻野氏が来ないことには、発送作業ができないので、その間は皆適当にしゃべっていた。その間にも選択制訓示の作成や落合新隊長の役職名変更などの議題が片付けられていった。雑談をしながらも様々な議題が片付けられていく大阪例会の処理能力は、私がいない間も衰えていないと感心をする。
 三時前に荻野氏が到着する。たちどころに画報発送作業モードに切りかわる隊員達。印刷を終えたばかりの画報がすばらしい勢いで製本されていく。なお、今回は標準程度の作業量しかなかったために「発送の歌」は歌われなかった。これを楽しみにしていた中矢隊員は非常に残念がっていた。発送作業はごく短時間で終わり、再び雑談モードに戻ったが、私はなぜか二週間も留守にしてしまった家のこともあり、例会を早引きしてしまった。おそらくその後には、怒涛の二次会があったことだろうと思われる。

追伸
飛鳥を泥田に沈める会」に参加してくださった皆さん、ありがとうございました。


11月例会レポート

上野[作業体・圭(年齢詐称:SGに会ったから)]圭輔

 画報に同封してもらう忘年会のチラシを持って、私が例会会場に到着したのは、すでに例会開始からかなりの時間が経過してからだった。
 内心、すでに封入作業が終わっているのではないか、終わっていたらどうしよう、と心配していたのだが、心配とはうらはらにまだ画報を折る作業中であった。
 見ると、普段の月よりも参加者が少ない上、今月は住所録もあるため、かなりの作業量があったようである。早速、発送作業を行う。
 なんとか封入作業が終わった、と思った所で、忘年会のチラシに忘年会の日時が書いていない事が発見され、あわてて封筒に日付を書込む(;_;)。結局、会場を借りている時間ギリギリまで作業を行う事になってしまった。
 会場を後にし、いつものポストに向かう。が、かなりの量の封筒を残して、ポストを征服する。みんなでポストの口に手を突っ込み、中の封筒の感触を確かめる。それから次のポストへはしごして、残りの封筒を投入。過去に、この二つめのポストも征服したことはあるのだろうか。もし、このポストも征服してしまった場合はどうするのだろうか、などを考えながら、二次会の会場へと向かったのであった。




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