「むかし、大和が湖であったころ、湖の対岸の当麻と、ここ川原の間にけんかが起こった。長いけんかのすえ、湖の水を当麻に取られてしまった。湖に住んでいたたくさんの亀は死んでしまった。何年か後に亀をあわれに思った村人達は、亀の形を石に刻んで供養したそうである。 今、亀は南西を向いているが、もし西を向き当麻をにらみつけたとき、大和盆地は泥田になるという」
それから数百年の後、東の地、つくばから西の地、瀬田をにらみつける亀がいたという……
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