1月例会レポート

林[シャーロキアン・ローディスト]雅恵

 外惑星聯合の主席になって、初めての大阪例会参加です。
 会場に着くまで、緊張の余り、心臓がバクバクしていました。
 そんなに緊張するなら、はじめから行かなきゃ良いんですけど、バスのチケットも休みもとってしまったので、行くしかありません。行ってみて、結局、緊張することは何もありませんでしたので、ほっとしました。

【参加者】

 落合さん、林譲治さん、清水コースケさん一家、黒川さん、中野さん、萩野さん一家、岐阜県在住名古屋支部員の鬼頭さん、岩瀬さん、岡田恭典さん、私。

【内容】

【投函の儀式】

 いつものごとく、駅までの道中にあるポストを二つ占拠しました。持っていくまでも、段ボール箱だったか、ナイロンのゴミ袋だったかに全部の封筒をまとめて運んでいました。

二次会

 場所はミュンヘン本店です。(そこのビール割引券があった為)
 ワールドコン?が六年後にあるというお話しでした。
 外聯なので、しかも主席なので、捏造しようか思いましたが、結局、普通のレポートにしました。
 そういえば、昨年の一月も大阪例会に参加し、レポートを書いたように記憶しています。また、来年の一月も例会に参加して、三年連続、一月の例会レポート書いちゃおうかなぁなんて今、思い付きました。でも、一年後のことだから、気が変わっちゃってるかもしれないし、忘れているかも知れませんけれどね。
 では、例会レポート、これにて終わり。


2月例会レポート

落合[いま薄MSG]哲也

 さてさて。猛烈に久しぶりに例会のレポートなんぞを書きます。
 今月の例会は普段と違い、森之宮ではなく難波で行われました。「普段と違い」なんて書きましたが大阪近辺に住んでいない人には細かい事かもしれません。おそらく岡山県あたりから眺めてみたら、森之宮も難波も「同じ場所」と言えるぐらいでしょう。関西在住の方以外は特に気にする必要はありません。また、今回の難波市民学習センターというところは結構居心地が良いので、今後はこちらをずっと使おうかという話もあります。関西在住の方は特に気にしてください。意見募集中。
 では例会の話。今月の例会の目玉はと言えば、そろそろ幹部昇進を噂されている黒川隊員でしょう。黒川隊員は画報での連載やえいせいの全員参加企画の取りまとめで大活躍していますが、全員参加企画の投稿が少ないので例会の時間のほとんどを使ってネタのテコ入れを行っておりました。詳細は書きませんが。やるぜ黒川。男だ黒川。世界のクロカワ。
 ん・・・。うむ。そうですな。黒川隊員の活躍が激しすぎたせいで、他の話題が特にありません。「亜美ちゃん母をたずねて大冒険」ぐらいかなぁ。詳しい話は書かないんですけどね。イカン。いかんぞクロカワ。幹部昇進はおあずけだ。
 ここで順番が飛びますが、例会の前に会場であるOCAT最上階の丸善に立ち寄りました。「関西最大級の書店」とか書いてあったんですが、どうみても旭屋書店の1フロアぶんぐらいしかありません。「関西最大級の(建物の中にある)書店」なのか、丸善という会社が関西最大級なのか、どちらかなのでしょう。ここで初めて「フル・ムーン」を見ました。いやん。欲しい。でも高いし重いしどうしよう。と思ったら甲州さんが書評でめっけものとして挙げてはるのね。次回は買うか。
 つつがなく1次会が終了し、2次会会場へ。といっても特に会場は決まってなかったので、だらだらとOCATを出てなんば駅方面へ地下街を歩いていくと、近鉄なんば駅の上にあった本屋さんにシャッターが降りていて侘しい貼り紙が。はい。駸々堂だったのですね。また本屋が出来るんでしょうか。コミック専門店が出来てくれれば、ここでコミック、丸善で本という流れが確立できるんだが。
 あ、2次会の話でしたか。うろちょろしながら、難波に詳しい天羽さんを先頭に歩いていき、「にゃんにゃん颱風」みたいな名前の中華風居酒屋を見つけて中へ。あ、店の名前なんてどうだっていいんです。缶ビールとコップが出てきて600円。ここは茅ヶ崎あたりの海の家かぁ!アーコラ。たぶん、缶のまま出てくるのは「騙しじゃなくて、ご注文通りの韓国ビールですよ」って事なのかもしれんけど、ただでさえ狭いテーブルに空き缶が並んでると邪魔だし、飲み屋にいる気分じゃないぞ。もう少し考えてもらいたい。また行く事はないと思うけど。
 この2次会会場で、OCATで偶然出会った鬼崎夫妻(め〜めとその旦那の方が通りがいいか)が合流。人外協の2次会には久しぶりに参加したのですが、いや、やっぱりいいですね。うん。これからはちゃんと2次会にも出よう。どんな宴会だったかは書かないんですけどね。
 あ、ひとつだけ書きましょう。この日の前日は、天羽さんの御子息ガジラさん(ワシより入隊早いんだよな。だから敬語なんだな)の誕生日でして、店が誕生祝いに特別サービスをしてくれたのでした。おそらくはフロア担当の店員の女の子が全員集まってきての合唱。これは中々良かったね。うん。何が良かったのかは書かないんだけどね。
 詳しくはガジラさんのレポートを頂いているので、そちらをお楽しみください。


2月例会レポート・追補

天羽[137機動旅団長]ガジラ

 人外協の例会にいきました。
 いつもの森の宮のところではなく、あたらしくできた、なんばのO-CATの会場でした。とても、あつかったです。でもぼくは、ほとんどおかしを食べていただけです。
 そして二じ会にも、いろいろと食べました。
 ぼくは前の日がおたんじょう日(10才になりました)で、その店はおたんじょう日をいわってくれる店だったので、たんじょう日のパフェをもらいました。
 そしてなんと、そのパフェには花火がさしてありました。店の人が、歌も歌ってくれました。とてもびっくりしました。
 人外協の人たちも、おいわいしてくれました。


3月例会レポート

竹林[奥様はNina]幹子

 今月は青少年センターで開催する最後の例会だというのに(来月からは正式に難波の市民学習センターで開催となります)、雨が降ってしまって森之宮の駅からの道のりがいつもよりも遠く感じました。
 雨の中をとことこと歩いて着いたその会場は、土足厳禁のフローリングのお部屋。机を出して、座布団をひいて、阪本初代夫妻と一緒にお昼ご飯を食べているとまるで卓袱台を囲んでの団欒といった感じがして、ここは例会の会場ではないのでは? と錯覚をおこしそうでした。
 そんな感想を話してなんかいるところに落合MSG隊長一家が到着して、早速画報の発送作業の開始です。
 黙々と(?)作業をしながら見ていて思ったのですが、落合家のこのみ嬢は会う度に何気ない表情とかしぐさがMSG隊長のお子様だなとつくづく感じさせられます。例えば、名前を呼ばれてこちらをみてにっと笑う顔とか、欲しいおもちゃを取り上げられたり与えてもらえなかった時の抗議の顔とかなんて、ほんとにMSG隊長にそっくり。これからますます似ていくのかなぁ。
 発送作業をしているうちに少しずつ隊員さんたちがやってきて、どんどん作業は進んでいきます。そんな中、新潟から東京に帰る途中に大阪に寄ったという竜野隊員がいらして、そうか、大阪は新潟と東京の間にあるんだ、と初めて知りました。(一番遠いところから来た人が例会レポートを、の基準でいったら竜野隊員が例会レポートの担当なのに、とこれを書きながら気付きました。あの時点で気付いていれば、、、、、、、後の祭りってこういうことを言うんですね。)
 発送作業も無事に終わり、こうしゅうえいせいの原稿の話だとか、例会の日程を土曜日に変更することなどという議題を片付けていく横で、お子様たちの元気に走り回る姿などがあり、これが大阪例会なんだな、名古屋とはこういうところが違うのだな、となんかしみじみと思ったりしつつ、時間が過ぎていきました。
 そんなこんなで時間が来てしまい、もうこれで青少年センターに来ることはほとんどなくなるのね、と話などをしながら撤収。ちゃんと出した机や座布団を片付けて、軽くお掃除などもして引き上げです。皆さんも使った会場はきれいにして返しましょうね。
 画報発送のための郵便ポストの占拠は1ヶ所ではすまされず、2ヶ所の占拠という事態でなんとかすみましたが、最近はいつもそうなんですか?
 二次会は、ミュンヘン北大使館店で10名ほどで行われました。でも、何が話されていたかは今となってはもう思い出すすべもなく、、、、、、、、。無事に私たち夫婦は名古屋への帰途に着くこととなりました。


4月例会レポート

當麻[前隊長より上]峰子

 2000年4月16日。

 思い起こせばあれが俺の「人外協」へのデビューの日だった。
 難波O-CAT4Fの生涯学習センター。なにを生涯かけて「学習」しているのかと突っ込みたくなるような場所で当時の人外協の例会は開かれていたな。元祖ともいうべき人外協のそうそうたる幹部への初めて面通しに、俺は緊張のあまり硬くな……ってたわけがない。熟睡したまま、当時の俺の移動機器であったA型ベビーカーに乗せられてしずしずと入場した。
 が、すぐに俺の眠りは破られた。
「なに、これー!?」
 母親の声に目を開けた俺の目に飛び込んだのは、俺の顔写真のドアップ。
 今の俺ならわかる。あれは肖像権の侵害だ。俺に金払え!(笑)
……いや、待てよ。……そうか。あの時は幼すぎてよくわからなかったが、今思い起こせばあのせいで面が割れて、その後の隠密活動に支障を来たしたわけか。 当時のMSG隊長の意図が奈辺にあったかはうかがうべきもないが「苦労をさせて後進を育てる」という目的なら、十分に果たされたと断言できる。苦労した本人が言っているんだ、間違いはない。
 は? その時、何が話されてたかって?
 そんな何年も前の記憶……この記憶喚起装置の助けをかりてもなかなか難しい質問だな……。
 そうだな。あの、「発送の歌」はなかなか強烈だったよ。俺が生まれて初めて心底から恐怖を覚えたのは、あの瞬間だったからな。
 考えてもみろよ? 今まで真剣な顔で人外協の将来について話し合っていた面々がいきなり立ち上がって狭い室内で踊り狂いながら紙をまき散らし、当時の情報伝達ツールであった画報を踊りながら折っては次々と流れ作業してくんだぜ? あの第三勢力の林譲治隊員や博学で知られる岩瀬隊員の踊る姿を、あんた想像できるかい? 阪本初代令夫人の踊る姿はすごく、しとやかだったけどな。
 そのバックに流れる音楽が、またすごい。東南アジア系というか、縄文時代系というか。生後三ヶ月の乳幼児にはちょっとした刺激だとは思わないかい? まあ、俺の感情もまだ未発達で「恐怖」っていうものをその時までは感じたことがなかったから、泣きはしなかったがね。
 あの当時の俺はまだ目と手の神経統合が出来ていなかったからな。目標物に手をのばす訓練なんかを延々とやってるところだったよ。平たく言えば、ガラガラを握っては落とすってとこだ。
……ああ? 俺と1999年トリオって呼ばれている隆聖と航はどうだったかって? 
 残念なことに航はあの時欠席していたから、1999年トリオの初顔合わせは4月例会じゃないんだよ。隆聖はもう、何度も例会に顔出ししていたから、平然としていたな。7ヶ月児じゃまだ踊るわけにはいかなかったが、かわりに亜美姐さんがパワー全快で踊り狂ってたよ。今のクールビューティーぶりからは想像もつかないだろ?
 あん? だからその時の話題ってか? ……あんたもしつこいな。まあ、情報部だからしょうがないけどよ。けど、俺の記憶をほじくり起こしたって何も出てこないぜ。断言できるけど。
……そうだな。なにやらあやしげなCDについて会話されていたな。あの頃は自分で編集した情報をCDに焼くのが一番手軽だったんだよ。今思うとすごい話だろ? え? そのCDは誰が焼いたんだって? もちろんMSG隊長に決まってるじゃないか。あやしげな情報を拾ってくるってことにかけちゃMSG隊長の右に出る人材はいまだにいないだろ? 初代隊長を始めとする第三勢力部隊はべつにしてさ。
 そのCDの内容? ……あんた、佐々木大魔神の歌ってなんだかわかるかい? 発送の歌となんか関係があるのか? うちの親父や、黒川隊員が涙しながら面白がっていたような記憶があるが……。
 他の話題? 頴川隊員がなんかFATについて話していたな。ファイルアロケーションテーブルについてだよ。それと多重人格者についてだ。
 なんでその二つが繋がるのかって? 俺にきかないでくれよ。当時の人外協の首脳陣の頭の中身なんて俺にわかる訳がないじゃないか。とにかく、あの面々にとってはFATと多重人格が密接に関係した話題として議題に登ってたわけだ。林隊員が何か一席ぶってらっしゃったけどな。あとは、黒川隊員が135人格者について論文を書くの書かないのとか、五人の人格を統合する超自我の存在をしっているさらに超自我がどうのこうのとか……。すまん、三ヶ月児の理解力ってものに、期待しないでくれ。
 親父? うちの親父か? 初めて俺を外に連れ出したうちの親父は「男子トイレにオムツ替えシートがある」ってことに感動していたよ。今、思えば20世紀っていい時代だよな。21世紀では「オムツがえの出来ない男は父とは呼ばない」んじゃなくて「父にはなれない」のにさ。
 女はいいよなー。「あたし、ダンナはいらないけど、赤ちゃんは欲しいの」で、産んでも育てられるだけの経済力と少子化対策支援バックアップが得られるようになったけど、男は「俺は奥さんはいらないけど、子供は欲しいんだよなー」って言っても、誰も産んでくれないからな。人工子宮や代理母問題は今だに微妙な話題だし。
……あ、すまん。話がそれた。
 そうそう、そこで俺は亜美姐さん直伝の「真空チュパチュパ訓練」なんかを受けさせられた訳だよ。
 あん? 過酷だったぜ。まず四時間授乳時期の俺に六時間の絶食だろ? そのあと、200ミリリットルのミルクの一気飲みだ。制限時間、五分だぜ。その後、空になった哺乳瓶を吸い続けて、真空にする訳だ。20分くらいかけてゆったりとミルクを飲んでいる隆聖を横目に見ながらの訓練だぜ。泣きたくなったよ。まあ隆聖はもうテストをパスした後だったからしょうがないけどな。
 真空になった哺乳瓶はどうするのかって? うちの母親はよく、泣きながら親父の帰ってくるのを待ってたよ。握力がないから、うちの母親には開けられないんだよな。
 あの頃から俺の方が母親よりは強かったよ。(笑)だからそうやって哺乳瓶を真空にして握力鍛えてやったり、成長曲線つっぱしって三ヶ月で五ヶ月以上にみえる体格を維持して4階の自宅までの登り降りで腹筋&脚力を鍛えてやったりしてたんだよ。おかげで、のちの外惑星連合とのドンパチの時には見事な逃げ足を発揮しだろ、うちの母親? 俺って赤ん坊の時から親孝行だったんだな。(笑)
 あ? 二次会? 二次会はインド料理屋だったよ。マイルドスパイシーな店で授乳期の俺にもピッタリだったな。
 話題? 話題は記憶の恣意性についてだったね。うちの母親が「親バカな親は子供しか目に見えてないのに、カメラで映すと無情なカメラは汚い部屋まで映す」って嘆いたあたりから、コンピューターの情報収集能力にフィルターをかけて情報集積をしていくとどうなるか、とか。バードウォッチングを始めたら目に映る鳥の数が格段に増えたのはフィルターにそっちへの恣意性が増えたせいだろう、とか。親馬鹿からコンピューターでの情報収集の特化性について話が発展して行くあたりがいかにも当時の人外協らしいが……。
 なに? それで十分だって?
 今の俺の話であんたら情報部になにか役立つ話があるのかね。
 まあ、俺の記憶は恣意的だが、あんたらのそのモニターにはその記憶の奥にある写真記憶の方まで読み取れるようになってるんだろうね。俺の人格の奥に全部をみている超人格があるようなもんか……。
 あん? なんかこれって今話していた1999年4月の例会と二次会の会話の内容のようだな。
……まさかな。

(當麻友規隊員への人外協情報部による例会デビューインタビュー記事より抜粋)


5月例会レポート

清水[オフィサーズクラブ・オーナー]宏祐

 日曜の朝は忙しい。まず、6時から「ウルトラマン・ティガ(再)」、6時半から「美少女戦士セーラームーン(再)」、7時から「ニャンダーかめん」(うちでは、「所さんの目がテン」を見てるけど…)、7時半から「未来戦隊タイムレンジャー」(見てないけど…)、8時から「仮面ライダークゥガ」(亜美が怖がるので、見てないけど…)、8時半から「おジャ魔女どれみ#」、9時から「デジモンアドベンチャー02」、9時半からは「走れ!ガリバーくん」(子供番組じゃないけど)、そして10時からは 「笑っていいとも・増刊号」(いまいち面白くないけど)と、TV番組が目白押しなのである(^_^;)。奥さんと子供2人を連れて例会に参加しようとすると、どうしてもでかけるのが遅くなってしまう。例会に最初から参加しようなどとは、夢の話なのである 。
 その日(甲紀21年5月21日)も例会会場に到着したのは、14時30分過ぎであった。それでも「今日は、早く行って、早く帰ろうね」と言ってでかけたから、この時間につけたのであって、通常であれば、常に15時すぎになるのであった。
 さて、会場に着いてみると既に発送作業は終わってしまっていた。しまった、「発送の歌」を聞きそびれてしまった。最近作業が早く終わるのは、スタッフの慣れによるものなのか、それともほかに何かの理由があるのか、はたまた外聯か第三勢力の陰謀か…。顔ぶれは、いつもどおり。で終わらしてもいいのだが、阪本夫妻、林、荻野夫妻(歩ちゃんがおたふくかぜとかで、お子さま方はお休み)、黒川、落合の各隊員と我が家の4名であった。あれ、今月はいやに少なかったな。
 「こうしゅうえいせい木星」の原稿を書くために「大阪万博」の資料をさがしていたところ、かなりの量のパンフレット類やガイドブックがでてきたので、その一部を例会に持っていったのだが、予想に反して好評であった。(実は、持って行っても、「ん、なに、これ」っていうような反応だったらどうしようかと思ってた)その時の様子を、記憶を頼りに再現してみよう。
「おお、これはすごい」
「万博に行った事ない人?」
「はーい」(林・黒川両隊員)
「これ(パンフレットを差して)どこでしたっけ」
「ああ、富士グループ館」
「ロボット館?」
「いや、それはフジパンロボット館」
「ああ、これはテーマ館だったの」
「そう、太陽の搭はね、テーマ館だったの」
「これはまだ、ありますよね」
「あと、鉄鋼館もね10年位前までは、あそこに立ってた」
「せんい館は行った。あと月の石ね」
「そうそう、それ見るためだけに4時間も並んだりね」
「朝一番にゲートを通って、走って行ったはずなのに、なぜか、すでに200人位並んでる(笑)」
「ソ連館は、夕方になると結構空いてて、30分くらいで入れた」
「ボストークは、でかくて中も広そうなんだけど、アポロはめちゃ狭い」
「軌道の高さが違う、高さが」
「あと、ガス館ね」
「そうそう、ぶたの蚊取り線香(のようなデザイン)」「クレイジー・キャッツの映画をやっててね」
「それにしても、太陽の搭ってすごいねー」
「あんな物を、よく建てようと思ったもんやね」
「考えた岡本太郎もすごいけど、実際にそこから設計を起こして、施工したやつが居るんだから…」
「大変やったやろね、あんなもんコンクリートで建てるの」
「胴体だけならともかく、あのごっつい腕がね」
「強度出すだけでも、しんどいやろね」
「何で、こんなもんつくらなあかんねん(笑)とか」
「何で、岡本太郎なんかにやらすねん(笑)とか」
「今の日本やったら、でけへんやろね」
「そう言えば、愛知万博は?」
「つぶれました」
「とっくに…」
「もし今、万博やったら、どこのパビリオンが一番(行列が出来て)混むやろね」
「そら、やっぱりマイクロソフト館(笑)」
「けど、システムを全部Windowsでやってるもんで、なにかあるとすぐにかたまる(笑)」
「普通の展示はどうって事ないけど、さわれる展示とかあったらみんなで…」
「やたらとそこらのキィをいじりたおして…」
「ブルースクリーンがでたら、やったーって(笑)」
「カメラをお持ちの方は、今が撮影のチャンスです(笑)」
「みんな、その瞬間をカメラ構えて待ってる(笑)」
「あと、会期終了と同時にくずれるソニー館(笑)」
「パビリオンにも、ソニータイマーがついてる」
「参加者がみんなで造るLinux館」
「みんなでレンガをひとつづつ積んでゆく」
「でも、積んでるそばから、どんどん設計が変わっていって…(笑)」
 これでも、実際に話されたうちのほんの一部、たぶん万博に関する話の1割くらいな ものであろう。ほら、例会に参加した事のないあなた、だんだん来たくなってきたでしょ。毎月こんな事、やってるんですよ。(絶対に参加しないでおこうと、心に決めた人がいたりして …)
 万博の話も一段落。特に今月は議案もないと言う事で、阪本[初代]が一言。
「来年の『こうしゅうえいせい』のタイトルを考えましょう」
 過去、こうしゅうえいせいには、なるべく分りにくいVol.No.を付けるという伝統があるため、毎年大阪例会では、真剣かつ活発な討論が数ヵ月にわたり行なわれるのが、恒例となっているのである。今までのVol No. は、1号はともかく、2号が『こうしゅうえいせい・煮』以 下、さん、誤、正、正誤、成分、力技、逆境、丶、土方、木星となっている。そろそろ3文字にしてはどうかという意見もあったのだが、今後ずっと3文字のタイトルを考えるのは大変かも…。
「今年は木星ですが、来年は13号」
「13といえば…」
「ユダ(最後の晩餐ね)、ユダといえば…」
「裏切。『こうしゅうえいせい・裏切』(笑)」
「で、裏表紙を半分に切っとく(笑)」
「13といえば…」
「金曜日、金曜日といえば…」
「ジェイソン?」
「うーん、つながらん。金曜日といえば…」
「フライデイ、フライデイといえば…」
「ロビンソン・クルーソー、といえば…」
「ロビンソンといえば、宇宙家族」
「宇宙家族といえば、カールビンソン」
「カールビンソンといえば、おとうさん」
「『こうしゅうえいせい・おとうさん』(笑)」
「そこまでいくと、あさりよしとお(敬称略)から何か言われそうやな」
「じゃあ『こうしゅうえいせい・コロナちゃん』」
「いっしょやがな(笑)」
「うーん、いちさん。いちさん、にんろく」
「さぶろっきゅ、って分らん分らん(笑)」
「じゅうそう、じゅうぞう、沖田!」
「『こうしゅうえいせい・かねづる』(笑)」
 ほら、みんな熱心でしょ。何度も言うようであるが、ここで書けるのは、ページの関係もあって、ほんの1割ほどもないんだよね。 だからほら、そこのあなたもアイデアを出すなら、今のうちですぜ。そうでないと、来年の『こうしゅうえいせい』の表紙には「裏切」だの「おとうさん」だのという文字が 、でかでかと載るかもしれないよ。ちょうどこの辺りで、時間となったので、一行は2次会へと場所をうつしたのである が、われわれ清水家一同は少々用があったので、他の隊員とは別となった。しかしながら、人外協の中でも最強と呼ばれている大阪例会の事、2次会でも有意義か つ、実のある話し合いがなされたであろう事は、想像に難くない。
 ちなみに、13ネタで、13代目の将軍は…、とか、13代目の天皇、エジプト王朝の13代目は?という案がでたが、誰にも答えられず、これらの案はお流れとなった。その後、徳川(江戸幕府)の13代将軍は徳川家定、室町幕府の13代将軍は、足利義晴。天皇は、成務天皇。エジプトは、ペルイブセン、もしくはカセケム、またはカセ ケムイという事が分ったらしいが、やっぱ、マイナー過ぎてなあ。名前だけでも知ってるのって家定だけやん。誰やねんそれ、っていう人ばっかし。誰にもモトネタのわからんタイトルというのもなあ…。
以上


6月例会レポート

 正木[お好み焼やさん]さんに頼んでいたつもりだったけど、すっかり連絡忘れちまってたよ。とほほ、

正木さんの奥様へ

正木さんの奥様へ

 ご主人は6月17日の土曜日には、こんなアヤシゲなところでご覧のようなアヤシゲな笑いを浮かべながらアヤシゲな事をしておりました。

1度現場を押さえに来てみませんか?


7月例会レポート

田中[暗号兵]正人

 報告者にとって、人外協の例会が土曜日になって初めての参加である7月例会は、また同時に初めて妻子同伴の参加となった例会でもあった。残念ながら、私の妻が例会に参加するのは初めてのことではない(2回目)し、私が今の会場に移った例会に参加するのも2回目である。というか、娘をお披露目に連れて行ったというのが真相なのであった…と書くと、親馬鹿丸出しですが。
 とはいえ、同世代の少年少女(笑)が毎回参加している場ではあるし、そういうところで遊ぶのも妻や娘にとっていい経験ではないかと考えて、渋る(というほどはっきりした態度をとったわけではないけれども)妻をなんとか口説いて、O−CATまで連れてきたという次第なのであった。が、私の妻は「谷甲州ファンクラブ」といっても「?」という程度の認識の人なので、さすがに例会参加だけでは家から引っ張り出すことはできず、「梅田のデパートのバーゲン」をだしにやっと妻のOKを取ることができたのであった。
 そういう訳で、会場に到着したのは午後3時を回っており、すでに発送作業は終わってしまっていたのであった(このあたり、145号掲載の清水隊員の大阪例会レポートとほぼ同じ状況である)。期待したとおり、当麻前隊長、落合隊長、荻野隊員(順不同)各ご夫妻とご令息・令嬢が参加しておられたので、娘と遊んでいただく。特に落合隊長のご令嬢は私の娘が持参した「スプー」の人形が結構気に入っていただけたようであり、また荻野隊員のご令嬢からは娘に親しく字の書き方、絵の描き方をご指導いただいていたようであった。
 例会場についてから、挨拶もそこそこにまず書籍の受け渡しをはじめる私であったが、まず黒川隊員に考古学史関係のものを一冊、さらに天羽隊員に聖徳太子関係の記事の掲載された雑誌をお渡しした。
 聖徳太子の件とは、一部では御存知の方もおありと思うが、大山誠一・中部大学教授が昨年上梓された『聖徳太子の誕生』(吉川弘文館)の説が『朝日新聞』学芸欄で紹介されたことなどを機に、人外協の一部有志隊員がML等で古代史関係の発言を展開、話題となったことがあったが、それに関するものである。この大山氏の説については史学界ではそれほど大きな反響を呼んだとは今のところいいがたいようではあるが(例えば、あの『史学雑誌』の「回顧と展望」−−今年度は109篇第5号−−でも取り上げられていない。もっとも、原稿の締め切りの都合で間に合わなかっただけなのかもしれないのだが)、大和書房の『東アジアの古代文化』誌はかなり熱心にフォローしており、第102号(2000年冬号)では直木孝次郎、黛弘道、田中嗣人などの古代史の大家・中堅の一流どころをズラリとならべて特集を展開、かなり読み応えのあるものに仕上っていた。この雑誌、そもそも社のトップ・大和岩雄氏が自ら編集する(しかも氏自身、在野の古代史研究者でもある)だけあって、一般向け歴史雑誌にはないハードさと、一般向けを充分考慮したわかりやすい編集上の配慮とを兼ね備えており、専門家のみならず一般の古代史ファンにもお薦めの雑誌である。天羽氏もいたく感動のご様子であった。なお、この特集、同誌では一過性のブームではなく、続く103号、さらについさきほど出た104号でも継続してこの話題の論文を掲載し続けている。最新号はこの項執筆の時点では報告者は未入手だが、新聞広告などによると、梅原猛氏なども寄稿されている由、まだまだ当分目が離せない雑誌である。
 そのほか、旧軍の人事・教育関係の新刊書の話題をいくつか、これについては林隊員が多少、興味を示されたようなので、次回の例会に参加できればまた書籍を持参するつもりである。
 発送作業完了後の例会の話題は、来年度の『えいせい』のタイトルについてであるが、実に卓抜、というか、東アジア漢字文化圏の人間でなければ発想できないような、地球文明史的見地から見てもグローバルな発想でタイトルが発案され、それにほぼ決定した(ようである)。どういうものであるかは、いずれ発表があると思うので、お楽しみに。
 何やかやであっという間に一時間半が過ぎ、解散となったが、私の家族は諸般の事情で一次会だけで辞去とし、O−CATを後にしたのであった。わがままな娘につきあって下さった皆様、ありがとうございました。
 …ということで、後半は雑感を少し。
 例会解散間際に林隊員が「悪魔」ネタの話題をだされており、それに触発されて少し考えることがあった。もっとも、以下述べることは、その際に林隊員が披瀝されたご見解に対する批判なりなんなりではないことを、あらかじめお断りしておく。
 「悪魔」とは何であろうか、ということである。この場合の「悪魔」とはあくまでキリスト教文化の文脈における「悪魔」であって、日本語に移植される際に日本語が仏語から借りた(「悪魔」はもともと仏典に出てくる言葉である)「悪魔」のことではない。
 新約『聖書』で悪魔にふれた部分でもっとも有名なのは、福音書の荒れ野の修行の件であろうが(例えば、「マタイによる福音書」では4.3〜11)、ここでの「悪魔」とは、暴力によって人に死と破壊をもたらすものではない。というより、『聖書』の世界において描かれる死と破壊は、神による人への制裁として描かれる場合がほとんどなのであって、悪魔の所業ではない。では悪魔とはなにか。
 悪魔とは「信仰を試すもの」にほかならない。人が、信仰に疑いを抱き、義を失うべく迷わせるもの、それこそが悪魔なのであって、悪魔は暴力をふるう主体ではない(もっとも、『聖書』のなかでもっとも難解な「ヨハネの黙示録」12.7〜18の「龍」をどう解釈すべきか、実のところ筆者にはわからない)。暴力ではなく偽りの言葉、破壊ではなく不信と混乱、悪魔がもたらすものとはそれなのであって、その意味で「悪」とは「信仰」に対するもの以外のなにものでもない。つまり、キリスト教文化における「悪魔」を理解しようとすれば、当然のことながら「信仰」と「義」を無視しては議論がなり立たない、ということである。その点で「悪魔」の正体と役割については、少なくともキリスト者の立場に立つかぎり、疑問の余地はない。したがって、信仰に立つ限り、悪魔の定義については妥協の余地もない。何より「信仰の敵」なのであるから。悪魔の実体はきわめて明瞭なものである。しかし同時にきわめて曖昧なものでもある。それは、人間の信仰と義の重さによって変わるものだからである。もっとも、そうしたキリスト者の論理を受け入れるか受け入れないかは、また別の問題なのであるが。
で、何がいいたいのかというと、日本の「悪魔」というのは、キリスト教の「悪魔」ではないのではないか、ということである。ではなんなのかというと…報告者は、おそらく仏典の「悪魔」のイメージが強いのではないかと思う。特に、日本中世の仏教における「魔」のイメージが。
 中世の仏教を一言で説明することは難しいというより不可能なことであるが、(余談だが、現在、高校の日本史教科書でもおなじみの「鎌倉新仏教」という概念の大枠というのは、学説としてそれほど古くからあったものではない。戦後、とくに家永三郎氏の一連の研究成果が広く認められるところとなって通説となったのである−−そもそも戦前から敗戦直後の「国史」教科書には「鎌倉新仏教」という概念そのものが希薄である−−。家永氏の、古代末期から中世にかけての日本宗教思想史における業績は、それほど巨大なものなのである)、いわゆる「旧仏教」の側のもっとも大きな権威であった天台教学と、それが通俗化し、あるいは「唱導」という形で民間に布教される段階で創出(と断言するとかなり語弊があるが)された、いわゆる「中世的注釈」(この「中世的注釈」とはここ20年ほどの日本中世文学の、散文の研究のトレンドでもある)の世界におけるおびただしい説話のなかで醸成されたある種の「負」の存在のイメージ、それこそ、日本的「悪魔」の源流ではないかと報告者には思われるのである。中世の、「正統な」仏教思想=天台教学自体、非常に難解なものである上、唱導や「中世的注釈」で引く、なにが原典なのか容易に推測すらできないような(一昔か二昔前ぐらいまではそれを「荒唐無稽」、「未詳」と一刀両断にしてしまうことが、国文学研究の専門研究者の間でもしばしばであった。いま報告者の知る中から一例だけあげておくと、南北朝時代の軍記物語である『太平記』にある、「獅子はわが子を千尋の谷に落し…」という言葉、たいへんよく知られているが四〇年ほど前に岩波から注釈書が出た際、「出典未詳」と注されていた−−注釈された方は、すでに故人となられたが私もよく存じ上げているたいへんな碩学の研究者で、決していいかげんな調査結果の注ではない−−が、近年、さる若い研究者が、禅の偈の中にこの句があることを発見され報告された。出典となると、これほど有名な文句でも案外どこから来た言葉なのかわからないものなのである)説話の世界となると、これは「混沌」というほかに形容のしようがない。だから報告者にとって上記見解は、いまのところきちんとした勉強の結果ではなく、あくまで耳学問・目学問での「感想」にすぎないのだが…
 ただ、ヨーロッパ的な概念を、現代日本において、意外に土俗的な理解で「再解釈」している例が多いのではないか、と感じることは結構ある。それが、文学的な方面のことであれば案外多くの人がそのことに気がつくものではあるが、ことによると法理論などの社会科学の上の概念(これは報告者自身いくつか感じることはある)、あるいはひょっとしてそれ以外の分野でも、あまり知られていないところで(報告者が知らないだけかもしれないが…)そういう例はあるのかもしれない。
 そのほか、「邪馬台国」関係でも少し思うところがあったが、上記余談でかなり行数をとってしまったので割愛する。
 例会レポートとはいいながら、未熟な雑感を書き散らしてしまいました。お目汚しになり、申し訳ありませんでした。


8月例会レポート

中野[日本以外全部沈没]浩三

 ここは託児所だろか?というのが正直な感想だった。増殖する二世隊員、一部例外を除き、白髪ばかりが増殖する現役隊員。
 平均年齢は低下していた。たしかに例会参加者の平均年齢は低下していた。
 第三土曜の昼間が例会ってのも…職場、休みじゃない。有給休暇はとった事がないので残ってはいる。取ろうと思えば取れるが、「取って取れなくはない」というのと、実際に取るのとでは大きな隔たりがある。仕事には不満があるわけではないが。
 遅れてとった盆休み。予定していた山へ行こうにも、土壇場で冠婚葬祭(葬である)がかさなる。断念。
 酒は飲めない、女は寄ってこない、楽しみといったらテレビを観ることと借金の残高が減っていく事ぐらいで、唯一の銭の使い道は職場近くのコンビニだ…と、愚痴っていても不甲斐ないだけである。
 で、数ヶ月振りに人外協の大阪例会に参加、そこには筆者の想像を絶する強敵が存在した。
言葉は通じない。情け容赦はない。妥協の余地
もない。
 子供相手に遊んでいたのか、好い様に遊ばれていたのか? あーあぁ、泣かせてしまった。御機嫌とってニコニコ。「お前ら早く大きくなって、一人前にしっかり稼いで国家の富国政策に貢献して、筆者が当然もらうであろう年金をしっかり払えよ」と言ってはみたが、彼らに理解できようはずがない。
 言っている筆者自信が破綻秒読み段階にある年金なんぞ期待してはいない。
 もっとも、モヒカンベビィーやオテンバ娘達に言葉が通じ、情け容赦があり妥協の余地があれば、可愛くないと言うよりも、末恐ろしい。
 子供はこれで良いのだ。
 例会参加者と山談義をしていると、葬式なんか放っておいてやっぱり一人で山へ行くべきだったかと微かに後悔したりもする。山は登るよりも降る方が難しい。登りは体力勝負で登れる。
 最近、近所の山を日帰りでウロウロしているだけだから。
懐かしいものを見て…聞いてしまった。初代が
DAICON-Wの奇想天外音盤プログレスを持ってきていた。CDになっているので、たまたま持参していたノートパソコンで聞いていた。
 ノートパソコンを持ち歩くのに、キーボードも一緒に持ち歩いていたらやっぱり笑い者かな。キーボードについてもいろいろとレクチャーを受ける。筆者にとってはキーボードもマウスも所詮消耗品だ。なれないノートのキー配列よりも使い慣れたキーボードの方が快適に使える。
 プログレスだが、ノートパソコンで聞いていたから、音が物凄く悪い。一瞬、MP3でダウンロードしてやろうかと思ったが、メモリーがもったいないので思いとどまる。
 DAICON-Wといえば22回大会。確か、昭和年間末期だからかなり以前だ。記憶が確かなら、80年代の半ば。
 「スターウォーズ」や「海底軍艦」、「怪獣音頭」なんかを口ずさんだら歳がばれてしまう。
 「当時僕は、中学生でした。不参加です」などと言われればジェネレーションギャップを嫌でも感じてしまう。当時筆者は、マルペでマル幻だった。現在でもマルペなんて言うのだろうか?あちらこちらのconvention に顔を出し、今にして思えば、いろいろな意味で良い時代でした。
 さて、近年筆者には不可思議に思えることがあ
る。実名を出して申し訳ないが、気に触ったらごめんなさい。阪本雅哉氏の妻女殿について。
 筆者を含め、皆が所帯染みた糠みそくさいオジさんやオバさんになっているのに、彼女一人だけが若返って綺麗になっていく。最初は気のせいかと思ったが。毎日或いは毎月逢っている人には気付かないかもしれない。半年、一年ぶりに会ってみて気付くこともある。加齢とともにテロメアが伸びていくのか?それともメトセラ一族か、もしかして遡時人?一人で長生きしても、人類の進化に取り残されたら寂しい。どうなんでしょう礼子さん。
 どうも多少SFなんかを読んでいると、発想が貧困になってしまう。人外協七大不思議の一つだ。

 例会レポートになっていないようなことばかり書き散らかしてしまったが、書き散らかしついでだ。
 最近、深夜番組で「トリック」というテレビドラマをやっている。はまっています。インチキ超能力者のトリックを売れないマジシャンの女の子と頼りない大学教授が解き明かしていく話しで、けっこう笑える。はっきり言って、ドタバタです。


10月例会レポート

頴川[お前はここで頑張れ]英夫

 久々の例会レポートを書く事となりました頴川です。いつのまにやら、入隊から一年たち役職名も付きました。時が経つのは、早いものです。
 さて、今回はちょっと遅れて会場に到着しました。中では既に発送の歌が始まっていたので、早速私も発送作業に参加しました。そういえば、先月号の甲州画報をいつもとは違う白い封筒で受け取られた方がおられると思いますが、特にどういう意味もありません。ちょっと在庫が切れていただけですので、このレポートが載る号はいつもの封筒で届くはずです。
 子供達が元気に走り回る中、発送作業が一段落し、差し入れのブランデーケーキをつまみながら、いつものように雑談となりました。この場で出た話題としては、「今回の人外協キャンプの参加人数はいつもよりかなり少ない。お蔭で食料調達が大変」とか「微小重力下で、美味しいご飯を炊く方法など10年も前に検証済である。今頃そんな事を言っていてはいかん」とか「この前のN○Kの放送に触発されて、黒川隊員がケープダイビングに挑み、そこでメキシコ湾に至るルートを見つけるもそこで事故死してしまって以後そのルートは黒川ケープと呼ばれる(フィクションです)」などがありました。因みにケープとは、フロリダ半島あたりにある水没した巨大鍾乳洞群の事で、ここに潜ってその全容を調べようという奇特な方々が実際におられるそうです。通常のダイビングより深く潜り、真水の中で泳がねばならず、しかも緊急時に水面に上がれないという非常に危険なものなので、この世に未練のある方にはやらない方がいいでしょう。
 あと、来年度の『えいせい』のタイトルは「3V(サンボルト)」と決まったのですが、これに対して「では、このタイトルはどういう経緯を経て決まったのか?」というクイズが出題されました。このクイズに対して「面白い」答えを回答した方に、豪華な賞品がプレゼントされるそうです。また、「面白い答えの期待出来る」クイズも募集されていますので、奮って応募しましょう。
 一次会終了後、黒川隊員の案内で近くの白木屋へ移動し二次会へ突入しました。そこでの記憶は残念ながら、彼方へ飛んで行ってしまったのですが、覚えている事が一つだけありました。それは、「はがきと封書の値段で一番古いものはいくらと覚えていますか?」と言う問で、これが若い世代と自分とのギャップを感じる方法なのだそうです。バリエーションとしては「アメリカとソ連の大統領と書記長は?」とか「阪神・巨人の歴代監督は?」というものがあり、そういう内容の話でずいぶん盛り上がったような気がします。
 以上、例会レポートでした。


11月例会レポート

阪本[初代]雅哉

2000年11月18日土曜日

 人外協ができてから12年ほぼ毎月−甲州画報と違い途中何度も抜けたことはあるが−大阪例会に参加していると、、何を書いて良いのやら。とは言っても変わったものを求めて、たとえば串本海中公園で例会をなんてことはあまり出来そうにはない。
 というわけで、13時頃に会場に行く。そういえば例会会場は今年始め頃に森之宮の中央青年センターから難波の市民学習センターに代ったのだが、駅から近い、雨に濡れずに到着できる、近所にコンビニから郵便局、書店まで有ると非常に良い場所になったものだ。唯一の欠点は宴会も同じ場所で済ましてしまう傾向が出てきたことだ。が、これはその他の原因も大きいのでしかたない。
 で、会場に入るとぼちぼちと甲州画報を折り黙々と封筒に詰めてゆく。今月は名簿も有って作業量は多いものの、今年からは甲州画報が13時には届くので15時前には作業はほぼ完了する。さらに一階に郵便局があるので発送も楽だ。
 ルーチンワークが一段落して、
 今月からはそろそろ「こうしゅうえいせい3V」の企画を考えなければならない。往年は岩瀬編集長が企画立案し隊員から原稿を集めていたが、編集長不在の現状でパワフルな編集体制は願うべくもない。なるべく少ない労力で原稿(できれば意味のあるテーマを含んだ)を集めたいとは思っているのだがこれはとっても難しい。
 簡単に結論が出るわけもなく、だがこれは大阪支部例会だけの議題ではない。各支部、各自、各外聯もネタ、アイデア、原稿、読みたいネタの状態でも良いからなにか思いついたら edit@tty.gr.jp まで連絡してほしい。(詳しい「こうしゅうえいせい3V」企画の話はまた別途)
 通常であれば、例会終了後は二次会ということになるのだが11月はこれでおしまい。
 といっても参加者がなく散会したわけではない。
 実はNYから帰国休暇中の足立夫妻を迎えて宴会することになったのだが、
通常大阪例会レポートは初心者や遠隔地からの参加者に依頼するという不文律がある。このルールを適用するとレポートは足立夫妻のどちらか(面白さをねらえば猫目)に依頼することになる。だがここで「『こうしゅえいせい3V』用在外邦人のレポート」と「大阪例会レポート」を取り引きする密約が結ばれたため、これ以降は大阪例会ではないことになってしまった。
 そのためこれ以降は大阪例会ではないのでレポートに掲載はされません。

ところでこの親子どっちの顔が大きいでしょう?

 としたかったがページが余ってしまったので、少しだけ。
 邂逅場所をどうする。NY在住で大阪の地理に疎いチャールズに一言で説明でき間違える可能性の低い場所、、ということで思いついたのは「エーデルワイス」。ここは毎年の新年会でのみ利用しているためマスターに日付を間違われたのかと疑われるかもしれない、しかし数年連続してアメリカ出張の際には毎回お世話になっている足立夫妻を迷わせないためならそれくらいのリスクは受容するしかない。
 案の定、マスターには「明けましておめでとう」と言われてしまったが誤差の範囲内ということにしておこう。
 ここでの話題は「Trick」だったんだと思う。そう人間として生れたなら、一度は「お前たちのやっていることは全てお見通しだ!」と言い切ってみたいあれである。そういえば足立夫妻はNYからトリックを録画したVTRをMSG宛に持って来ていたらしいが、このあたりの状況はいかにも21世紀も近付いている雰囲気を感じさせてくれる。
 その後はカラオケ。
大阪例会ではあまりカラオケには行かないが、今回は例会じゃないんだからかまわない。
 日本発祥の文化のなかでカラオケはアジア、アメリカなど海外に比較的普及している。とはいえさすがにNYでアニソン・カラオケを歌う機会は無かったようで、一時帰国中の足立夫妻にも満足していただけたものと思う。




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