人外協とあい粂旅館のつきあいは以外に古い。例えばダイコン6の宿泊宴会――無資格で扱える限界ぎりぎりの花火を打ち上げたりしましたね――とか、いろ好き会など多くの行事がこの場所で行われてきました。これは立地条件などもあるでしょうが、まぁ、ようするにSFさんが幾ら騒いでも大丈夫という旅館のポリシーの為せる業でしょう。自由人と自由人の信頼関係がここにある。
こうした歴史的事実に裏づけられたあい粂旅館で20周年パーティーの宿泊宴会が行われるのは必然でありました。
私と天羽さんはパーティー終了後、直接二次会には向かわず旅館側と最終的な人数確認と部屋のチェックなどを行い、それから二次会に向かいました。二次会でのレポートは他の人が書くでしょうから略。我々二人は受け付け準備があるので、一足先にあい粂へ。
二次会の会場からあい粂までは地下鉄で移動。この間、私と天羽さんは誰かの行動に対して非常に憤りを感じていたはずなのだが、誰の何に対して憤っていたかは、あれから二月近く経つので良く覚えていない。
あい粂へのルートは大きく分けて二つある。京阪線の天満橋駅か地下鉄谷町線の天満橋駅。駅から横断歩道を渡って一〇〇メートルほど進み、右手側の坂を上るとあい粂が見えてくる。なぜ交通経路をわざわざ書くかといえば、私自身がよく覚えていないので、あとで画報を見ればあい粂までの道がわかるように書いているのであります。
私と天羽さんで旅館の方と打ちあわせる。幸いにも当日はほぼ貸しきり状態だった。あい粂は古い建物の旅館であるが、宿泊費が安いのでけっこう利用者が多い。時期がお盆前後だったのが良かったようだ。
すでに二次会の会場で宿泊予定者の確認は出来ていたので――そのために二次会に行ったようなものかもしれない――受け付け準備と部屋割りをする。まず遠方から来た人をピックアップして、大部屋にまとめる。長崎の芦刈さんと長野の佐野さんなど、遠方の参加者が会う機会はそうそう無いですから。次に女性部屋と家族部屋を割り振り、余った小さい部屋にパーティースタッフ関係を適当に散らせる。
さて、ここから記憶はかなり怪しくなる。正確に覚えていないよね一月以上前のことなんか。だからこういう原稿の依頼は間際じゃなくて、その場でしないといけないわけなんだな。
ビール類はこちらで用意したが、ワインの類いは有志による寄贈だった。酒の肴は持ち込みだったはず。あい粂はこの点うるさいことを言わないから助かります。
記憶の不鮮明なのは八月号の甲州画報の発送作業に関して。たぶん落合隊長が持ってきた画報をあい粂で手分けして折り、封筒につめ、ホッチキスで止める。
幾つかのグループでそれぞれ分担して発送が行われる。恒例の発送の歌はなかった。何故かと言えば…… 。
私の隣りの席はSF作家で兄貴分でもある草上仁さんであった。20周年パーティーのゲストがいらしたので部外秘の発送の歌は歌われなかったのであります。ただ草上さんは大変寛大な方で、楽しそうに甲州画報の折り込みを行って下さいました。そうあなたのもってる八月号の甲州画報13ページ、ときめきヴァレリアのあのページは40%の確率で草上仁自らの手で折られた物かもしれません。
ちなみに漏れ伝え聞くところでは、一部に発送作業にはタッチしていない隊員がいたそうだが、人外協隊員ではないゲストの作家や参加者が一生懸命折り込んでいるのに、そういう態度はどうかと思うぞ。
そうそう宴会になったのは、この発送作業が終わってからだった。宴会で話されたことは――記憶に無いので携帯電話で一時間二六分五六秒ほど天羽さんと話す――モンテイーパイソンの話やコンピューター関連の話題などであった。テーブルが口の字型に並べられていたので、数人ごとに話題が飛んでいたようです。
かくしてあい粂の夜は更け、私の記憶はますます曖昧になってゆくのでありました。