20周年記念パーティレポート

林[シャーロキアン・ローディスト]雅恵

 私は、ある時、青年人外協力隊(以下、人外協)が、谷甲州20周年パーティなるものを主催することを知った。だが、その時、私は夢にも思わなかった。まさか、自分自身が、人外協に叛旗を翻す外惑星聯合の主席に就任するなんて、微塵も想像していなかった。
 我々、外惑星聯合がどのように発足したか、そして、どのような活動をしているか、ここに記す必要はないだろう。そのことは既に、然るべき人物により公文書として、記録・保存されているからだ。私が、ここに記録するのは、谷甲州20周年パーティがどのように行われたか、だ。そして、今後、第二次、第三次外惑星動乱を引き起こし、人外協に多大なる“迷惑”を被るために、密かに、敵側の内情を探ってきた、その成果である。

1999年8月13日(金)

 大阪に向け、旅たつ日には、とても良い日だ。
 少なくとも、岡田(役職名省略)恭典主席補佐官と連絡を取るまではそう思った。
 次の日のスパイ行動、もしくは通商破壊活動の計画を練るための連絡のはずだった。
 しかし……。

「明日のスパイ活動の事なんやけど。」
岡田 「主席、申し訳ありませんm(_ _)m。パーティには這ってでも行きますが、具合が悪く、ひょっとすると、破壊活動はおろか、密偵としての活動ができるかどうか...。(^ ^;) 何より、主席をお迎えにあがれるかどうか……。」
「....(絶句)」

 明日の朝の6時半に、オオサカ・シティのハーピスOSAKA前に、ダグライナーから放り出され、パーティが始まる午後4時まで、何をして……いや、もとい、外惑星聯合からのパーティ出席者で、マトモに、計画を実行できるのは、私一人かも知れない!? やはり、13日の金曜日は、あくまで13日の金曜日だったのか………。言い様のない不安にかられた私は、思わず、外惑星聯合のメンバーに向けて、mailを発信した。すると、阿部和司連絡士官からの返信があった。要読後消却の重要mailだったため、今、私の手許には、その記録がない。私の記憶が正しければ、隊員名簿を持参し、大阪市もしくは大阪近郊在住の人外協隊員の家を留守宅を狙って、遠くから観察していくのは、どうかというものだった。「おそらく、とても有意義で無意味な時間が過ごせるでしょう」とのこと。私は、「ピンポン・ダッシュのおまけをつけておこう」と、返信をした。パーティに行く前に、この「有意義で無意味な暇つぶし」を実行せざるえないのか、私は、振ったらカラカラと音のする頭を悩ませながら、ダグライナー乗り場に向けて、主席公邸を後にしたのだった。

1999年8月14日(土)

 夏場とは言え、まだ、朝のオオサカ・シティの気温は、さほど上昇してはいない。
 ダグライナーから降り立った私は、眠りから目覚めきっていない頭をスッキリさせるため、缶コーヒーを買い求めた。今日1日の行動計画をボンヤリと思い巡らせつつ、プルリングに手をやった。その時だ。
 「主席。」
 聞き覚えのある声が、背後から聞こえた。岡田主席補佐官だ。
 この時ほど、安堵感を覚えたことはなかった。
 パーティ会場であるオオサカ・インペリアル・旅館に着くまでの道中は、谷甲州先生とも、パーティとも、ましてや、人外協や外惑星聯合とも一切、関係のないことなので、ここでは記録に残さない。道草喰って、たこ焼き食べようと、通称ひっかけ橋(正式名称知らん)を歩こうと、書いても読んでもつまらんと思うので、いっさい書かない。
 最寄りの駅である桜ノ宮駅に着いたのは、午後1時半を回った頃ではなかったかと、記憶している。
 駅舎から出ようとした瞬間、見覚えのある人陰がついてきた。人外協の中村孝隊員である。私の顔を見るなり、開口一番。
 「ピンポン・ダッシュしてきた?」
 阿部和司連絡士官とのやり取りが、人外協側にも傍受されていたらしい。もしも、ピンポン・ダッシュ作戦を実行していたら、十中八九、返り討ちにあっていたにちがいない。くわばら、くわばら。
 そこから、徒歩十分。約5分じゃないじゃないかと心でぼやきながら、三人で、テクテク歩く。
 目前にそびえたつは、かのオオサカ・インペリアル・旅館か? 愛媛の片田舎ではこんな大きな旅館、みたことないぞなもし。
 すっかり、田舎者気分で(本当に田舎者だけど)、ロビーで待つこと少し。中村隊員が誰かに手を振っている。現隊長落合哲也氏とのぞみさん、このみちゃんだ。やや遅れて、阪本雅哉氏と礼子さんが登場。
 私と岡田補佐官が着替えを済ませてロビーに戻ってくると、スタッフの姿はなく、タイミングよく、東京の安達裕章隊員と遭遇。三人で、お茶していると、天羽さん、木村晴美さん、南川朋子さん、ゆうよ(ゆうや?)さんと合流。途中、天羽さん達スタッフは退席したが、残ったメンバーは、時間まで、お茶の続き。
 時間前の22階のペガサスの間には、出席者が集まり、グループごとで歓談をしている。
 4時になった。
 天羽さんの司会で、パーティは始まった。
 もちろん、予め、準備しておいた我々外惑星聯合発のキティちゃん祝電は、天羽さんの手により、披露された。内容はこうだ。

 「甲州先生20周年おめでとうございます。記念すべき100周年パーティは、我々が主催いたします。
  人外協内反乱組織外惑星聯合一同」

 その後、このキティちゃん電報は、谷甲州先生に手渡されたはずである。
 パーティは、立食パーティである。22階の窓からの景色を見て、クラクラと目眩を覚えつつ、それでも、「元をとらねばぁ〜!! 腹が減っては戦ができぬ〜っ!!!!!!」と、料理がテンコ盛りになった皿を、始終手放さずにいた。それが、外惑聯主席である私の命取りとなった。まずは、空腹時の乾杯のシャンペンで、お酒に対してそこそこの免疫のあるはずが、一気に酔いが回ってしまった。酔いを覚ますためと空腹をみたすための暴食は、ただでさえ鈍い私の運動神経を更に鈍化し、パーティも中盤に差し掛かる頃になると、水中を彷徨うクラゲ状態。会場のまん中辺りでは、谷甲州先生を中心に、酔っ払い(失礼!)の集団が歓談していた。それを横目に、あっちふらふら、こっちふらふらしつつ、一人、ヘラヘラしていた。これでは、通商破壊作戦どころか、スパイ活動もままならない。
 骨抜きクラゲの私を呼ぶ声がする。
 「誰にゃ?」
 白いスーツの恰幅の良い男性と、グラサンをかけた怪し気な男性の二人連れである。
 「林主席。○▼□×*↑♀△◎」
 「そうそう。→〒!?<+{~+#&%」
 乗り馴れないダグライナーの疲れと、酒の酔いと程よい満腹感で、二人の会話は既に子守唄と化していた。これも、人外協が差し向けた罠か!?と、それなりに用心しながら、二人の子守唄攻撃をかわす。後で、確認したところによると、沖田郁雄隊員と、佐野高久隊員のお二人だった。おぼろげに覚えているのは、「ないことないことのレポートを楽しみにしています」と、「○○から、あおるだけ、あおれというお言葉を頂戴した」という言葉。今、このレポートを書きながら、思い起こしてみると、ひょっとしとて、このお二人は、外惑聯に対して、好意的な立場の方ではなかったのかと思う。すると、あの時の私の態度は、ともすると、自分の首を締めかねない行為だったのでは……。ま、まぁ、今の時点で、なんのお咎めもないのだから、良しとしよう。
 パーティは、佳境となった。
 天羽さんの進行によるスライドが始まった。
 内容は、「こうしゅうえいせい土方」に掲載されているので、それを見てもらう方が良いだろう。進行は、饒舌な語り口で進む。時折、人外協メンバー以外のところから、笑い声があがる。
 スライドが終わり、少ししてから、閉会となる。
 閉会は、甲州先生への花束贈呈と、甲州先生、奥様のご挨拶、落合隊長の挨拶で終わる。最後の最後は、親指と人さし指による「ヨヨイヨヨイヨヨイヨイ、めでてぇ〜なぁ」で、閉められた。

 20周年パーティは、このようにして閉会した。
 最後に、瓦煎餅が、参加者全員にふるまわれた。
 会場から退室する時、落合隊長から一言。
 「ないことないこと嘘八百のパーティ・レポート、お待ちしております。」
 こんなんで、良かったのだろーか...。




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