夏期甲州に参加するにあたって、私が一番不安だったのは、実際に人外協のメンバーに会うと言う事でした。
なんと言いましても、甲州画報の内容などからしか推測するよりないわけで、こりゃ不安な物がございます。
一番、想像と食い違ったのが陰山[空の要塞]さんと木村[デイブ]さんでした。
陰山さんは、絶対に身長2m以上あって、めったに笑わず、怪力の持主のごとく思っていたんです。
また、女性ながら木村さんは、初めて支部の独立をはたし、なおかつ名古屋支部をきっちり仕切る位だから・・・。
学生時代には生徒手帳に書いてないような服装をし、「ななちゃん人形のデイブ」とか呼ばれていた、名古屋の顔役だと半ば信じていました(電車も止めるし)。
実際にお会いすると、これらは杞憂にすぎなかったわけですが。
それで、夏期甲州。
乾杯をしたと思うのだが、記憶では「三題対談」から始まっている。やはり一番は「著作権」から始まった堀晃先生の特別企画でしょうか。
これは、いずれ語られることがあるだろうから、ここでは触れない。
「谷甲州は間違っている」のころから記憶が怪しくなってくる。
幾つかの間違いが指摘されたが、これは使われないだろうと思っていた核融合ピレットの問題が出たのには、正直慌てました。
もっともそのおかげで、谷甲州先生より、ありがたくも”ゴーストライター”のお墨付きをいただきましたが。
これ以降の記憶になると妙に鮮明さが失われる。
シャチと格闘する谷甲州と言うのは、きっと幻覚に違い無い。お姫様みたいのが部屋にたむろしていたのは、幻だろう。
日本が誇るハードSF作家で、今年の星雲賞受賞作家が、スーダラ節を踊っていたのは、旅館によくいる座敷童のいたずらか。
甲州先生や人外協の人とカルタをしていたような気もする。お手つきをして、甲州先生の鉄槌をくらったが、甲州先生の方が痛がっていた・・・のは酒の上の夢。
それから先は”どっかん三唱”と”日本ちゃちゃちゃ”のオンパレード。
かくして、名古屋の夜は過ぎていくのであった。ところで、朝顔を洗った時についていたアイシャドウはなんだったんだろう。
いきなりですが。
なんか、知らないあいだに、随分、新入隊員の方が増えたような気がしますが……。
気のせいですよね、きっと。
人外協の隊員が90名になったなんて、そんな恐ろしいこと!
それはさておき。夏期甲州です。お客様はDAINACON☆EXの参加者の皆様。もちろん隊員は北から北部方面支部、東京支部、名古屋支部、大阪支部、山口支部すべての支部から参集。ゲストは谷甲州先生、石飛卓美先生、堀晃先生、他飛入り乱入の大場惑先生、中井紀夫先生、新田正明先生、永瀬唯先生。(それだけだったと思うけど……)
そして、企画は始まった。
さらに、企画前、ゲストはすでに酔っぱらっていた。
そう、はじめは『三題対談』。企画前、いきなり谷甲州先生が酔っぱらいとなって企画部屋に乱入、司会他の人外協の面々はすっかり頭を痛めたのでありました。
報告者は初めて見る谷甲州先生が酔っぱらいだったので、ショックを少なからず受けました。ファンクラブが人外協だから予想はしていましたが(自分はその隊員だったりする。人のことは言えない)。
そして、石飛卓美先生、堀晃先生とゲストがそろい、客の入りも、まあまあ。三題対談がはじまる。しかし、さすがは谷甲州先生、まともな話をしない。話は、果てしなく横道にそれていくのだった。
そして『谷甲州は間違っているパート4』。主役は谷甲州先生。堀晃先生が別の企画に行ってしまわれた後、石飛先生はさっそく酒を飲み始める。
いじめられている谷先生は哀しかった。開き直る谷先生はこわかった。傍で見るぶんにはとても面白かった。そして指摘された自分の間違いに対する谷先生のお答えは、ぜんぜん答えになっていないのであった。
最後に『だいれいかい』である。これはもう、盛り上がるもりあがる。もう誰も手が付けられない。クレージー・キャッツ(植木等は偉大な人だ)にあわせて、帰ってきた堀晃先生は踊るわ石飛先生は踊る。谷先生も踊り出す。
さらに、酒の入った人外協にこわいものはない。一般客を巻き込み隣の「銀英伝」を圧倒してしまう勢いで、飲めや歌えの大騒ぎ。茶会事件はある。時刊新聞はくるわ、コスプレはくる、乱入作家はくるし、客はどんどん入隊する。1991年のSF大会は大阪が立候補するし、踊る堀晃先生は名誉実行委員長を押しつけられそうになってますます踊ってしまう。もう最後には隊長と谷先生が暴れはじめる。何がなんだかわからない。
そして、人外協が復活したのは午前五時頃だった。中井紀夫先生が虚ろな酔っぱらいの顔をしてふらふらと部屋の中を歩いておられた(なにをしていたんだろう)
7時ごろ。企画のあった部屋に行くと、不思議と片付いていた。
皆様、本当に、ほんとーに御苦労様でした。
しかし、こんな面白いもの経験して、これからいったい人生の何に満足すればいいのだろうか。
それは、「第28回日本SF大会 ダイナ☆コンEX」において、1989.8.19,PM8:00より開催された。
乾杯があり、作家挨拶があり、と進行。パーティーとはいうものの、ほとんどパネルディスカションと化して、甲州先生としては非常に呑み足りなかったのではないかと思われる(ビールしかなかったし)が、少なくとも神林・野阿両先生は共に新妻を同伴、非常にご機嫌のご様子。(あ、野阿先生の場合は婚約者か。ま、いいや。)
作家挨拶の内容はすでに失念したが、甲州先生は自分の方がデビューが早いのだから威張ってもいいのだ、と主張されていたように憶えている。(当日配られたパンフの中でも「刑務所では受刑年数の多い囚人の方が幅がきくという例もありますので、」とわかるような、わからないような根拠を示し主張されている。)その後、熱心なファンの方々は前の方に詰めかけ、床に腰を下ろして先生方々の話に聞き入っていたが*1、「せっかく会費を払ったのだから、呑まなきゃ損だ!」という、きわめて人外協しているような方々は部屋の後方に陣取り、これまた床に直に車座になって宴会を始めてしまった。ということで、先生方のお話をとんと憶えていないのである。(ちなみに、車座のメンバーは中井紀夫・新田正明・大場惑・井上祐美子・etc.(敬称略)といったところ、常に7,8人が出入りしながら呑んでました。まあ、このように宴会とあらばすぐに参加する大場惑先生が、後日、人外協に引きずり込まれたのも*2、当然の帰結と言えよう。
後半、風見潤先生や、夢枕獏・高千穂遥両先生の乱入でわけがわからなくなり、そこに、銀河帝国皇帝がまともな質問をぶつけるという血みどろの情景となってクライマックスを迎えたが、なんといっても、キャノンのワープロの故障を理由に原稿が書けないと3ヵ月間言い続けたという高千穂先生の最近のキャッチフレーズ<落としたりもするけれど、わたしは元気です>の人非人さが強烈でしたね。
いやあ、高千穂先生の担当でなくてよかった。
約2時間、OVA「敵は海賊・猫たちの饗宴」のラッシュ上映などを挟み、この祝宴はつつがなく終了。甲州先生は夏期甲州へと向かわれたのであった。
*1井元隊員はその中に、重大な使命を帯びた木村[でいぶ]隊員や中村[不明]隊員がいたことにお気付きだったろうか?彼らの苦闘については次のレポートをどうぞ。
*2[引きずり込まれた]という他人ごとのような言回しがこのレポーターに許されるものだろうか? 読者諸兄は東京支部例会レポートと併せてお読みください……