編集後記

阿部[外惑星聯合仙台駐在事務所連絡士官・在エリヌス郷土史研究家]和司・
[汎用鼬型決戦兵器整備部員]和子

  今世紀最後のこうしゅうえいせいをお送りします。
 とここまで書いたら、脇で見ていたカミさんがブツクサ言い出した。
 「今世紀最後という云い方は、人外協的ではないんじゃないかしら。」
 そう云うとやおら、自分の書棚からナニやら難しげで怪しげな本を取ってくると、その頁をめくりながら、私に詰め寄ってきた。
 「ほら、ほら。皇紀なら2660年だし、北朝鮮の主体紀元なら89年だし、エジプト暦なら2325年なのよ。ユダヤ暦だったら、まぁ、5760年だわ。マヤ暦だったら。」
 「でも、甲州先生は『皇国論者』でもないかもしれないし、主体思想の具現者でもないと思うし、多分エジプト人じゃないし、ユダヤ教徒でもない筈だよ。そんな半端な年数の暦を持ち出したトコロで、何の意味もないじゃないか。」
 「そこが人外協の人外協たる所以じゃないの。」
 よく判らない理屈だが、一瞬納得しかける。
 考えてみれば、この編集後記からして意味がない。何故なら、私は入隊1年目の新参隊員で、この「こうしゅうえいせい」の編集スタッフといったって、ごく一部を担当したに過ぎない。ましてや、私は甲州先生どころか本部のスタッフの方々にさえ直に会った事はないのだ。(多分、本部スタッフは今ごろ、遠き兵庫県明石の地で、最後の追い込みに掛かっている筈である。で、そのご苦労を想像するよりない私が、せっせと東北の田舎町で、この編集後記を書いているのだ。)
 実はここだけの話、指定された締切まで既に30分を切っている。(ドキドキ。)
 こんな遠隔地において、そんなギリギリまで原稿を書けるのも、昨年に引き続き、今年の「こうしゅうえいせい」もインターネットメール環境を駆使して打ち合わせをし、原稿を入稿したりしているからである。
 日常的にそんなことをしていると全然気にならないが、ふと一歩身を引いて見ると、私たちは既に未来を生きているのだなと思ったりなんかしないでもない。(どっちやねん!)
 幼い頃夢想した未来は、てっきりある日突然やって来るのだと思っていた。(多分、勉強机の引き出しの奥から。)
 今のところ、ドコでもドアどころか、自動車が空を飛ぶのも、もう少し先の事のようだが、それでも未来は確実にやってくるようである。
 その未来を私たちは当時、「21世紀」と呼んでいた。
 21世紀の終わりには、外惑星動乱も始まる訳だから、これはもう甲州先生の世紀と読んでも差し支えないのではないだろうか。(強引だなぁ。)
 個人的には今世紀中にあと一本くらい「航空宇宙軍史」の続きを読みたかったりしたのだが、まぁ、あと100年は時間がタップリあるんですから、気長に待たせていただこうと思う。それまでは、今世紀最後の「こうしゅうえいせい」でも読んで、傾向と対策を練るとして。
 おっと時間が来たようです。

 それでは来世紀の「こうしゅうえいせい」で、またお会いしましょう。




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