1999年9月25,26日 |
CONTACT Japan 3
の打ち上げ宴会を白浜にて行いました。同時にCONTACT
Japan 4 の準備作業に入ることを決定しました。 |
1999年7月1日 |
CONTACT Japan 3
のアフターレポート発行 |
1998年11月21〜23日 |
CONTACT Japan 3 開催 |
1998年11月7,8日 |
名古屋にてスタッフ合宿を行う。プレコンタクトの演習を行って運営の点検をしました。また、当日に必要な物品の確認及び作成を行いました。 |
1998年10月15日 |
参加者の募集を終了しました。 |
1998年10月11日 |
前日に引き続き大阪にて準備会議を行う。プレコンタクトの演習を行って運営上の問題点の洗い出しと対策を検討しました。参加者の分科会割振りを行いました。 |
1998年10月10日 |
大阪にて準備会議を行う。内容は当日までのタイムスケジュールと必要な作業の再確認を行った。参加者の確認と応募の締切りについても検討しました。 |
1998年9月末 |
ポール・アンダースン氏から異星人の歴史と外見、異星の地理に関する設定データ及び図をいただく。 |
1998年9月12,13日 |
名古屋にてスタッフ合宿を行う。プレコンタクトの演習を行って運営上の問題点の洗い出しと対策を検討しました。また、当日までのタイムスケジュールと必要な作業の確認を行いました。 |
1998年9月5日 |
大阪難波で、地球人側設定およびプレコンタクトプロトコルについての打ち合わせを行いました。 |
1998年8月31日 |
CONTACT Japan 3 のプログレスレポート Vol.1
を発行しました。 |
1998年8月29,30日 |
第37回日本SF大会 :
CAPRICON1(名古屋)においてFCS企画を行うとともにCONTACT
Japan 3 について紹介して参加者募集を行いました。 |
1998年8月中旬 |
ポール・アンダースン氏から異星人の生物学的側面に関する設定データをいただく。 |
1998年8月8日 |
大阪CONTACT Japan 3連絡会で今後の日程と作業の確認をしました。 |
1998年7月下旬 |
ポール・アンダースン氏から最初の設定データをいただく。 |
1998年7月23日 |
ホームページを Geisya Internet
に移動しました。 |
1998年7月上旬 |
関連があるNIFTYのフォーラムにCONTACT Japan 3
の開催を告知する。 |
1998年6月30日 |
林譲治副実行委員長から地球人側設定・草案がスタッフ用メーリングリストにアップされる。 |
1998年6月8日 |
ポール・アンダースン氏から設定中の概要と設定の詰め方についての質問をいただく。 |
1998年5月下旬 |
SFマガジン1998年7月号にCONTACT Japan 3
開催の案内が掲載される。 |
1998年5月24日 |
再度、ポール・アンダースン氏に異星人設定要綱を送付する。 |
1998年5月21日 |
異星人設定要綱がポール・アンダースン氏に送付されてなかったことが判明する。 |
1998年5月19日 |
ゲスト参加をお願いしていた寿岳潤先生と柴野拓美先生から快諾のお返事をいただく。 |
1998年5月2,3日 |
スタッフ合宿を行なう。 |
1998年4月中旬 |
ポール・アンダースン氏に異星人設定要綱を送付する。 |
1998年4月12日 |
会場に予定している石川島研修センターの下見を行なう。 |
1998年4月10日 |
CONTACT JapanのメーリングリストにCONTACT Japan 3
の開催とスタッフ募集を告知する。 |
1998年3月18日 |
第2回スタッフミーティングを新宿で行なう。 |
1998年3月16日 |
ポール・アンダースン氏から正式挨拶メールが届く。 |
1998年3月10日 |
スタッフ用メーリングリストの運用を開始する。 |
デイヴィッド・ブリン氏が連絡を取っている方が、ポール・アンダースン氏であることが判明する。 |
1998年3月5日 |
大迫代表を通じてゲスト参加と異星人設定の依頼をしていたデイヴィッド・ブリン氏から都合が悪いので受けられないが、他の作家を推薦するとの連絡が入る。 |
1998年2月28日 |
CONTACT Japan 大阪例会にて、CONTACT Japan 3
の開催を正式に決定する。 |
1997年末 |
某忘年会にて島田隆昭氏が「なんでCJ3をやらないんだぁ」と暴れる(未確認情報)。 |