こうしゅうでんわ

谷甲州

 あいかわらず仕事の方はさっぱり進んでおらず、十月刊の予定だった『覇者の戦塵』はいまだに目途がたっておりません。いったいどうなることか、わしゃもう知らん状態であります。こうなることは予想していたのだが、深く考えないでネパールにいってきました。最後に滞在していたのが一九八一年のいまごろだから、ほとんど二〇年ぶりになるのかな。宵の口にカトマンドゥに着いたのだけど、街がえらく様変わりしていてすごく驚いたのだった。なんか昔のバンコクかマニラみたいで戸惑ってしまった。とにかく夜だというのに人が多い。街は明るいし車の数も無茶苦茶にふえて渋滞している(夜だというのに!)。こんなこと、わしらがいたころにはなかったぞ。昔のカトマンドゥはのんびりしたもので、夜の街なんかそらもう寂しいものでした。メインストリートでさえ、夜になると閑散としていたものだがなあ。

 朝になってからそのころ住んでいた下宿をたずねたのだが、街自体が新しくなっているものだから途中で道に迷ってしまった。丸二年間、毎日通勤していた道なのに風景が記憶にない。要するに新しくできた道に入りこんで迷子になってしまったのだな。闇雲に歩いていたら見覚えのある街にでたので、ことなきをえましたが。ようやく探しあてた下宿は昔のままだったが、その当時は就学前の可愛い姉妹が二〇代なかばの美人姉妹に成長していた。あたり前の話だが、これはもう浦島太郎な気分であったなあ。なんか自分一人が時の流れをこえて、未来に放りこまれたような。下宿の外観は昔のままだったのだが、実はかなり改築してあってこの点もセンスオブワンダーであった。

 家の中に入りこんでみると、あらためて様変わりを実感しました。どの家にも当然のようにテレビや電話がおいてあったから。昔はテレビの放映自体がなかったし、電話なんてまったく普及していなかったのだが。ただし郵便事情はかわらず。外国から個人あてに手紙をだすことは、いまでもかなり難しいらしい。中央郵便局に私書箱をおけば届くはずだが、それでも郵便事故が結構あるのは昔とおなじ。なんか方法はないのかね、と姉妹の一人にたずねたら「だったらEメールして。私のアドレスは――」といわれてしまった。うーん、電話と同時にインターネットまで普及していたか。そういえば街を歩いていたら、インターネットとかEメールの看板をよくみかけたな。パソコンを所有していない個人のために、公衆インターネット屋みたいな商売が成立しているようだった。昔のインターネットカフェみたいなものか。

 ところで今回はネパールだけではなくて、チベットにもいってきたのだった。カトマンドゥからラサ往復の現地発着ツアーが出ているのだな。いままでさんざんチベットを舞台に小説を書いていたくせに、実際に足を踏み入れるのははじめてだったりする。もっともこっちの方は、はじめての街なのに戸惑わなかった。「この道をまっすぐ歩いていけば市場に出て、角をまがると中距離バスの溜まり場があって」などということが、頭のなかで整理されていたから。そのせいで、ラサの街はそれほど新鮮ではなかったな。小説家というものは、因果な商売だ。

 あと、自分がやったわけでもない仕事のことをいくつか。一〇月号の「天文月報」に、福江純さんがカリストエクスプレスについて書いておられます。ハードSF研の公報にあった記事らしい。今回と(たぶん)来月の二回にわたって分載のはず。もうひとつは、今月発売のダ・ヴィンチ。水樹和佳子さんが『天を越える旅人』の一部(見開き二ページ)を漫画化の予定。ただし、全編を漫画化する予定はありません。「そんなことしたら死ぬ」そうです。


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