こうしゅうでんわ

谷甲州

 小松に住みはじめて十年ちかくになるのだが、実はこれほど長くおなじ場所に住んだのは大阪以来だったりする。大阪には長くいたような気もするが、実際には何度か引っ越してたので最長の場所(西区京町堀)でも十二年間でしかない。たぶんこのままいけば、あと数年で記録が更新されるでしょう――などといっても、当事者以外はどうでもいい話か。とはいえ、長く住んでいるといろいろ地元との関係が深くなる。飲み屋にいってもスキー場にいっても知りあいと顔をあわせるものだから、あんまり地元では悪いこともできないのだった。

 で、小松市立図書館にいったら知りあいの司書さんに頼まれた。「郷土の作家コーナーを作る予定なんですが、生原稿を展示させていただけないでしょうか」。思わず、うーむとうなってしまった。ネパールやフィリピンにいたとき以外はずっとパソコンを使ってるものだから、生原稿なんて最初から存在しないのだよ。ちょっと前まではフロッピーでバックアップをとってたが、最近はみんなMOだしなあ。一枚のディスクに、これまでの全仕事が記録されてしまうのだ。そんなものを展示しても仕方がないし、さてどうするか、と悩むことになった。
 結局、昔のメモ書き用ノートが残ってたので、それを展示してもらうことにしました。『惑星CB‐8越冬隊』や『火星鉄道一九』所有の短編を書いていたときの、数値計算をやったノートだな。創作ノートみたいなものだが、文章はほとんどありません。最初から最後まで、細かい数字がびっしりとならんでいるだけ。久々に取りだしてみたら、鉛筆書きでカリスト・エクスプレスのS字カーブがでてきた。コンパスと分度器を使って、一点ずつプロットしていたのだな。どうも思惑どおりにいかなかったとみえて、何度も初期条件をかえては計算し直した形跡があった。あのころは短編ひとつ書くのに、こんなに手間をかけておったのだなあ、と昔を思いだしてしまった。
 ところでこの図書館では、小松市の歴史叢書なんかも編纂している。会社でいえば社史みたいなもので、そのこと自体はあんまり珍しくないのだが、このたびめでたく第一回配本の「小松城」が刊行された。郷土の作家にして図書館の委員でもある谷甲州も発刊前に本をみせてもらったのだが、館長さんの説明をきいて「ひえええ」と驚くことになった。小松城の復元図を描いているのが、なんと中西立太画伯だったのだ。知ってる人は知ってるが、その筋では有名な歴史画家なのである。というより、田中[暗号兵]正人氏と共著の『図解・日本陸軍[歩兵篇]』の絵を描いていた人といえばわかるか。この絵の原画(だったと思うが、確認はしてません)は図書館の玄関横に展示してあるはず。ついでのときにでも、見学するとよろしと思うぞ。

 もうひとつ。先月には決まっていなかったが『エリコ』の刊行は四月になりました。中公版の『ヴァレリア・ファイル』は、三月と五月に上下巻がそれぞれでます。よろしく。


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