こうしゅうでんわ

谷甲州

 ということで今月もやばいやばいといいながら、最後には辻褄をあわせてしまった甲州であります。本当に奇跡としか思えんなあ。『覇者の戦塵 反攻ミッドウェイ上陸戦(下)』も『エリコ』も、これまでのワースト記録を大幅に破って入稿したのだった。あんまり大きな声でいえないのだが、『覇者の戦塵』と『エリコ』の締め切りがぴったり重なってたんで『覇者――』の校正をやる時間がほとんどなくなってしまったのだった。いまのところ大きな間違いはないようだが、まさに薄氷を踏む思いでありました。もっともきちきちタイトなスケジュールでやってると、意外に校正ミスというのは少ないのだけどね。身の毛もよだつ致命的な校正ミスというのは、ゆったりペースで時間にも余裕があるときにかぎって発生するのだ。などと考えて原稿を遅らせたわけではないのだが、本当にどこも間違ってないだろうな。だんだん心配になってきた。

 なんとか原稿を放りこんでからは、次にとりかかる仕事の資料しらべをやっております。前にも書いたと思うのだが、昭和11年の立教大学隊によるヒマラヤ遠征のことを小説にする予定なので。いつの間にか相当な量の資料が集まってしまって、整理するだけでもずいぶん手間がかかっております。複数の人が書いた記録をつきあわせてみたら、細かいところの矛盾が結構でてきたし。ああだこうだとやってるうちに、なんと当時の隊長がご存命だということがわかった。正直いって、ええっと思ってしまいました。昭和11年といえば1936年だから、2.26事件の年だぞ。しかも加藤文太郎が北鎌尾根で遭難死した年だ。いまから60年以上も昔の登山隊長が、まだお元気だとは思わなかった。
 ということで、明日は取材のために上京します。東京近郊に在住の方なので。もう90歳をこえたお年寄りなのだけど、まだかくしゃくとしておられるらしい。うーん、明治生まれの人って元気なのだなあ。これまでの仕事では人と会って取材をすることなどなかったのだが、なんかすごく楽しみだ。きくところによると、当時の遠征に参加した隊員はすべて他界されているらしい。いちおう企画の段階でストーリーの骨子は書きだしたのだが、この分では大幅に変更することになりそうだ。なんにしても、楽しみなことではあります。




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