こうしゅうでんわ

谷甲州

先月のこうしゅうでんわでは「甲州画報のゲスト原稿なんてあるのか」みたいなことを書いたんだが、なんとキャンプレポートが水城さんになっているではないか。水城さんもえらいのに見込まれたというか、プロにここまで書いてもらうというのは恐縮もんなのだが……。うーん、恐縮ついでに書いてしまおう。水城さんの記憶もずいぶん曖昧というか、見事なまでに変質してるような気がしますです。正確なのは「谷家のうつくしいお嬢さまがた云々」のくだりだけみたいな気がするぞ。思い切って書いてしまうと、人外協の第一回キャンプは五年前なのです。水城さんとこのご子息と同学年の、わしとこの長女が二年生だったときだから。てっちゃんは、まだ一歳になってなかったはず。ちなみに場所は第一回めから石川県民の森であります。で、水城さんと甲州がはじめて出会ったのは、一〇年前に山中温泉で開かれたSF大会の会場だと思うのだが……。いかんな、だんだん自信がなくなってきた。でも翌年の正月(八八年)には、ちゃんと年賀状をもらってたな。宛先はたしかに「谷甲州様」で差出人の名前もあるのだが、なぜか文面は真っ白で何も書いてないという不思議な年賀状だった。そのときから水城雄という名前が、つよく印象に残っているのであった。それにしても水城さんのレポートには、うかつに突っこんだらえらいことになりそうなやばい話が山盛りだな。あ、それで記憶が曖昧なのか。納得。なんにしろ、今後ともよろしく(白々しいぞ)。

 ということで最近の仕事のことを書こうとしたのだが、なんか今月は情けないことばかりだ。『覇者の戦塵』は停滞したままなんで、刊行はたぶん年明けになります。なんか知らんが、予定がずるずると遅れてにっちもさっちもいかなくなったのだよ。とはいえ『ミッドウェイ上陸戦』というタイトルで、一月と二月の上下巻になるでしょう。実は表紙はすでに出来あがっていて、机の上で無言のプレッシャーをかけているのだった。防空巡洋艦荒島の勇姿も、ちゃんとモノクロのイラストとしてあがっていたりする。くそ、来月こそはちゃんとだすぞ。あとはインタビューとか短い原稿をいろいろやったんだが、掲載の時期が確定してないのもあるのでまとめて来月にまわしてしまおう。実は自分でも何がなんだか、よくわからなくなっているのだ。いちど現物をチェックしてみないと、何を書いたのか思い出せない。
 そうだ。いま書店にならんでるSFマガジンには、エリコは掲載されておりません。別に落としたわけではないぞ。記念号なんで全巻が翻訳物ということになって、エリコは一回やすみというだけ。で、今月発売の分はまだ書いてる最中なんだが、はて、前の回はどこまで話が進んだのかな。いかん、かなり記憶が曖昧になっておるなあ。

 もうひとつおまけ。前に書いていた『ヴァレリア・ファイル』は、来年の前半くらいには中央公論社から再刊されるでしょう。さて、ここで問題です。表紙と中のイラストは、だれが書くのでしょう。念のために書いておくと、水樹和佳さんではありません。




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