こうしゅうでんわ

谷甲州

前の『覇者の戦塵1942』を書き終えたのが五月ごろで、それからすぐに山岳小説の書き下ろし(仮題は『ナンダ・コット』)にかかったんだけど、結局ほとんど書き進めないうちに次の『覇者−−』をやる時期になってしまった。なんというか、書き下ろしは資料の整理にえらく時間がかかるのよ。で、あれから二カ月と少しのあいだに何をやっとったかというと−−。『エリコ』の連載が三回に、小説すばるの短編がひとつ、ヤマケイJOYの連載は一回分か、あとは短い文章をあっちにちょこちょこ、こっちにごにゃごにゃか。なんか分量だけみると、あんまり仕事しとらんなあ。あとは何をやったのかというとだな、そうか、東京と京都で都合二回ほどパーティに出てたのだ(あ、人外協の例会にも出たのだった)。あとは中国に取材の口実で(文藝春秋の書き下ろしの取材ということになっとるのだ。自腹だけど)遊びにいってきて、中華料理の食い過ぎで体重が過大になってしまったのだった。
 そういえばこの二カ月ほど、町内会の行事がずいぶん立てこんでたなあ。町内会の運動会に地区対抗の子供ドッジボール大会に(今年は子供会の世話役なのだ)子供会ハイキングと。夏休みになるとラジオ体操の世話もせにゃならんのだ。徹夜明けで体操に出るなんてことを、夏のあいだずっとつづけることになりそうだ。なんか仕事よりも、こっちの用事の方が忙しいな。あ、そうだ。小松市立図書館の審議会がどうとかこうとかで、こっちも断りきれんで仕事をふやしてしまったのだったった。頼まれごとといえば講演も一回やったし、なんだ、原稿あんまり書いとらん割には忙しかったのだなあ。この二カ月は。
 忘れてた。前に書いてたSFアドベンチャーに書いた宇宙SFの短編集は、九月に早川文庫ででるでしょう。こっちの方も、手直しでかなり時間をとられたのだった。ざざっと読み直してみてわかったのだが、甲州の文章というのは八九年頃を境に変化してるのな。というより、それ以前の文章は下手糞でとても読んでられんかった。フィリピンから帰国してフルタイムになったのが八六年の夏だから、文章が固まるまで丸三年かかったわけか。とはいえ、それ以前にパートタイムで七年やってたから、実はスタイルが決まるまで丸十年かかっているのだ。もっとも、年数はあんまり関係ないのだけど。ある程度の枚数を書けば、普通の人間なら自分の文章は固まってくるものなのだ(と思う)。十年以上やっても上達せん人(含むプロ)もいるが、この話はやばいのでここらでパス。
 で、短編集のタイトルは『星は、昴』。実は漫画と少女小説(パステルだったか)の方面で、それぞれ一冊ずつおなじタイトルの本があるらしい。本屋さんで買うとき間違わないように。少女小説や漫画と間違うことはないか。ちなみに解説は……というのは本が出たときのお楽しみということにしとこう。
 ということで、これから『覇者−−』のつづきを書きます。シリーズの一冊めはたしか湾岸戦争のころだったから、えーと、いったい何年やってるんだ。上下巻を別々にカウントすると、一一冊めにしてようやく真珠湾攻撃までこぎつけたのであった(本当に真珠湾までたどりつけるか、あまり自信はない)。まことにもって、牛のような歩みであることよ。




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