こうしゅうでんわ

谷甲州

ようやく脱稿したと思ったら『神々の座を越えて』の校正に一カ月ちかくもかかってしまった。何かと書きたしたり修正したりしてるうちにゲラが真っ赤っ赤になって、二度めの再校まで念をいれてチェックすることになったのであった。合計一二〇〇枚のゲラを二度も読んだから都合二四〇〇枚か。さらに『終わりなき索敵』のゲラも一二〇〇枚ほど読んだから、全部で三六〇〇枚ほどチェックしていたのだった。なんというか、ノベルズ一〇冊分の分量だな。道理で中公のCノベルズ版「覇者の戦塵」がさっぱり進まんはずだ。この分では一一月刊も危ないのだが、いまさらあとには引けません。死ぬ気でやるしかない。

 とはいえ、今月に入ってから何やかやと雑用が入って四苦八苦しております。先週末は徳間書店の編集さんが退職するというので、後任の人(といっても上司)と小松で打ち合わせ。例によって打ち合わせというより酒盛りそのものだったのだが、酔った拍子にぽろっとアイディアがこぼれだしたりするので、なかなか侮れません。その翌日は朝から大阪行きで、母校の中学校で生徒とPTAを集めて講演会などをやっておりました。小説を書きはじめたきっかけとか最近の仕事とかの話をしていたはずが、いつの間にかハードSF実践講座みたいになってしまった。中学生にはちょっと難しかったか。そのあとPTAの役員をやってた友だちの幹事で同窓会になったんだが、三〇年ぶりに会った友だちの全員が「太ったねー」だと。中学生のころの体型のまま中年になってたら、その方が不気味であろう。

 で、二日酔い状態で小松にもどってきたら、その翌日には山岳雑誌の編集者がカメラマンを同行して小松までやってきた。近所の温泉場に泊まりこんで、しっかりと宴会およびインタビュー、さらに来年の仕事の打ち合わせをやったのであった。まだ詳細は決まってないが、来年は山と渓谷社の季刊誌にエッセイの連載をはじめることになりそう。雑誌用に「露天風呂でくつろぐ甲州の図」などという写真をとられてしまった。うーむ、もう少し腹をへっこめておくべきだったわい。でもって雨で動きがとれなかったその翌日は仕事をちょこちょことやって、翌翌日になってから近くの山まで撮影登山にいきました。「紅葉の白山山系を歩く甲州の図」であるな。仕事の打ちあわせはこれで終わりだが、あと今週末に人外協キャンプでその翌週が大阪で結婚宴会、そのさらに翌週はFCSか。なんか知らんが、東奔西走状態がつづきそうだ。

 「覇者の戦塵」もそうなのだが、次の次の仕事というか、次の次の次あたりの仕事がなかなか具体化せずにしんどいことであります。日本における近代捕鯨の草創期の話、はやく手がけたいものだが取材やら資料集めで何年かかかるだろうな。とりあえず和歌山まで捕鯨の資料集めにいってくるか。その前に、別の某社で話がでてた「昭和初期の日本人によるヒマラヤ遠征の話」を片づけんといかんか。あ、またまた別の某某社では「地中海戦記」と「開陽丸戦記」のセットも予定しているのだった。某某某社の「ダライラマの親衛隊長になった日本人の話」とか某某某某社の「昭和初期の長江流域で日本人が砲艦サンパブロする冒険小説」とか某某某某某社の「昭和二一年二月の松代大本営付近でドンパチやるSFシミュレーション山岳冒険小説」とか某某某某某某社(数あってるだろーな)の「植物さんと会話するトンデモ探偵の話」とか、いろいろあったような気もするが記憶がおぼろで何がなんやらわからんようになってきた。えーと「佐々成政のザラ峠越えがからんでくる伝奇小説」はどこでやるんだったかな。あれ、まだどこにも売りこんでなかったか。先の仕事のことばっかり考えてんと、眼の前の仕事をはよ片づけんかい。




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