こうしゅうでんわ

谷甲州

 このところ毎日のように天気図をみながら、うーんと唸っておる甲州であります。実は紅葉のころにでも登るつもりだったのだな。先月号の画報に載っていた荒島岳に。なんでその気になったかというのを最近『岳人』誌にかいたのだが、せっかくだからかいつまんで説明しておくと。小松に住むようになってから周囲の低山にも眼がむくようになって、五月の連休にそのひとつである富士写ガ岳に登ってみた。千メートルたらずの低山なのだが石川県と福井県の境にあるので、頂上からの見晴らしはなかなかよかった。で、頂上から南の方をみると雲の上にぽかりと形のいい山がうかんでいる。それが福井県の名山・荒島岳であった、秋にでも登ってみるか、ということなんだが。
 地図をみると富士写ガ岳と荒島岳のあいだは勝山盆地になっていて(水城雄の住処であるな)、当然のことながらあいだには山がない。見通しがいいものだから実に形よくみえたのだな。これは甲州の私見だが、かの深田久弥先生も富士写ガ岳に登ったとき、はるか雲海の上にそびえる荒島岳をみて「おお!」と思ったのかもしれない。ちなみに深田氏の育ったのは加賀の大聖寺だから、もしかするとはじめて登った山が富士写ガ岳だった可能性もある。当時だと白山登山は数日がかりの大旅行になるものな。もひとつちなみに、まいにち富士写ガ岳の裾野をまわりながら小学校に歩いてかよってたのが、郷土の英雄・辻政信先生であります。県民の森キャンプ場のちかくに辻先生の銅像もたってるから、キャンプついでに見学をしておくように。
 それはともかく。あの山を夏の盛りに登っても暑いばかりで楽しくないと思うよ。わしは登ったことがないけどね。加賀平野の夏というのは好天がつづいて、陽射しはかなり強烈なのだ。冬のあいだは雪ばかり降っているから気づかないが、年間の日射量は日本で最多じゃなかったかな。
 ちなみに甲州一家はこの夏、三千メートルの涼風がふきわたる立山三山と、やっぱり涼しい北海道の後方羊蹄(しりべし)山に登ってきましたのだ。やー涼しかったなあ(うひひ)。別に百名山にこだわってるわけではないけどね。似たような山がいくつかあったら、深田百名山の方に心がいってしまうというのは人情なのである。うーん。どうも俗っぽい登り方をするようになったものだ。若いころは百名山など洟もひっかけなかったんだが。とはいいつつ数えてみたら、百のうちすでに四〇ほども登っていたわい。もっともこれは、二〇代のころ積雪期のピークハントにこってたせいであります。南アルプスや東北の山は、たいてい冬に登っているから。で、当時は夏になると穂高や谷川岳に足しげく通っていたのだ。途中でヒマラヤに転んだけどね。
 うむ。山の話をはじめたら、仕事のことをかく余裕がなくなったな。この一カ月たいした仕事はしていないんで、実は助かっているのだが。本当に紅葉の荒島岳に登ったかどうかは、来月にでも報告します。おお、これで二カ月分かくネタができたぞ。

 そうだ。『こうしゅうえいせい正誤』をみて思いだしたこと。『一三七機動旅団』が活字になったころ、ネパールにいた甲州のところに奇想天外の編集さんから手紙がきた。「『一三七−−』は評判がよくて、漫画にしたいといっていた漫画家さんもいた」。一年くらいしてから帰国したとき「その漫画家さんてだれですか」とたしかめた。「あまり有名じゃないですが、大友克洋さんという人です。今度うちから、はじめて本をだしました。カルトな人ですが、それなりにファンもいますよ」「あー、その人なら知ってるなあ」とかいう会話をかわした記憶がある。もう十年以上も(待てよ。一時帰国したのは十五年も前だ)昔の話ですが。いまではこっちの方が、カルトな人になってしまいました。




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