こうしゅうでんわ

谷甲州

 すまん、先月の「こうしゅうでんわ」はまちがってた。先月末発売のSFマガジンだとばかり思っていたが、短編をかいたのは今月末の臨時増刊号だった。あまりにも早々と原稿の催促をされたんで、てっきり通常の号だと思ってしまったのだ。こんなことなら、もっとのんびり仕事するんだった。おかげで長編かきおろしの方が、すっかり停滞してしまったではないか(単なる言い訳にすぎないのだが)。せめて入稿がはやいのを材料に、原稿料あげろくらいいうんだった。たぶんあがらんだろうけど(先月からこればっかだな)。
 ばたばたしているうちに、今度は小説新潮(だったと思う。頼まれた雑誌の名前もうろおぼえなのだから、いい加減な話だ)にショートショートをかきました。発注されたときの条件が「15枚でミステリーで山岳小説をひとつ」だと。えらい欲張った話を頼まれたものだ。雑誌の発売日はききそびれたが、注文どおりの仕上がりになってるかどうか乞うご期待。さすがに15枚ではまとまらずにオーバーしたが、無理矢理けずりまくってページの枠組みぴったりに押しこんだのだった。
 それはともかく、例によって長編の方がさっぱりすすんでない(なんか最近、おなじことばっかりいってるな)。やりたい仕事は山ほどあるんだけど、眼の前の仕事を片づけないとどうにもならんわけです。でも、眼の前の仕事を片づけて次の仕事にとりかかると、今度は前にやりたかった仕事が眼の前の仕事になってしまうのな。気がついたら、その次にやりたい仕事のことばかり考えているのだ。たぶん死ぬ間際まで、おなじことをくり返すような気がする。いよいよご臨終というときになって「しまった、あれとあれとこれとあれを書くの忘れてた」などといいながらくたばるのだ。
 それはそうと、北海道の江差までいってきましたよ。本当は遊びにいったのだが、いちおう取材ということにして復元された開陽丸を見学してきましたのだ。幕府の洋式軍艦で函館戦争のとき沈んだのだが、当時としては最新式の兵器を搭載しているのな。オランダに留学した榎本武揚らがヨーロッパの戦場を視察した結果、搭載砲を滑腔砲からクルップ社のライフリングのある砲に設計変更させたらしい。ただし予算の都合で一部は滑腔砲のままだったのだが。うーむ、日本海軍の決戦第一主義−金に糸目をつけず最強の軍艦をつくったけど、活躍する場がないまま沈んでしまった、というのは幕末のころからあったのか。いずれにしても、いつか書く歴 史小説の冒頭の部分はイメージできたぞ。ドイツかどこかの野戦を観戦中の幕府留学生が、硝煙の中で「搭載砲にはライフリングが必要だ」とつぶやくところかな。例によっていつ書けるのか、見当もつかんのだが。




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