こうしゅうでんわ

谷甲州

 最初に報告から。昨年から四苦八苦してた『覇者の戦塵−1937』は、なんとか書き終えました。ただしいつ本になるのかは、まだ確認してません。角川書店は人の出入りが激しくて、担当編集者がよく変わるものだから予定がよくわからんのであります。何にしても満州事変からはじめて6冊めにして、ようやく日中戦争の直前までこぎつけたことになる。大雑把に昭和六年から二〇年までの一五年戦争を一年一冊として割り当てていくとすると、このシリーズは全体で一五冊になるのか。わ、何だ何だまだ九冊も残っているではないか。これは本気でペースをあげないと、この先何年かかるかわからないぞ。今年と来年くらいで前半部分を終えてしまって、あとは一年ほどで残りをどどどっと書いた方がいいのかもしれない。それまでに現在の架空戦記ブームが消えてしまって、シリーズがうちきりになる可能性もないわけではないが、ね。それならそれで、楽ができそうな気もするのだが。

 ということで『遥かなり神々の座』が文庫になりました。文庫とはいえ単行本のときより格好いい本になってしまった。この続編にあたる『神々の座を越えて』(ハヤカワ・ミステリ・ワールド)も早いこと本にしたいのだが、いまはまだ冒頭の部分をいじくりまわしているところです。本になるのは−−夏の終わりには何とかしたいが、うーむ、秋までもつれこむかもしれない。先のことはよくわからんが、今度こそ完璧なストーリーを作り上げたいものです。『遥かなり−−』や『凍樹の森』のときもそうだったんだが、本になってからしばらくしてから「あーすればよかった、こーすればもっと面白い話になったはずだ」という反省点がでてきてしまうのだった。完成してから手元に一年ほどおいとけば、ある程度は改善できるんですがね。とはいえ『遥かなり−−』は最初の原稿を五年間ほど机の奥に押しこんだままだったし、『凍樹の森』は冒頭の部分を四年間かけて書いたのだった。いくら手元にながい時間おいても、決して完璧には近づかないのだよなあ。まー改善すべき点が自分でみえるだけ、いいと考えるべきかもしれない。反省点を次に生かすことができるんだから。

 お知らせです。『凍樹の森』が今年度推理作家協会賞の長編部門候補作になりました。最初に話をきいたときは「はー、さよか」としか思わなかったんだが、これ は結構めでたいことらしい。あちこちの編集者から「おめでとうございます」と電話がかかってきたから。どうやら星雲賞よりも、ずっとメジャーな賞らしい。候補になっただけでも「おめでとう」になるのだな。
 ところで文学賞の選考方法は二種類あって、ひとつはこの賞のように候補になった時点で作者に通知するもの。もうひとつは最終選考が終わるまで、候補作を他にもらさないもの。前者で有名なのが直木賞なんかで、本人に候補作になることの諾否や、選考結果をしらせる電話をどこで待つかなんてことを問いあわせてくる(推理作家協会賞もそう。つまり『大いなる助走』でやってたあれね)。後者はSF大賞とか、えーとあとは何があったのかな、ノーベル文学賞もそうか。とにかく最終決定まで一切外部には知らせないことになっている。とはいえ、こんな情報は簡単にもれるもので(また親切に知らせてくれる人もいるのだ)、むかし『遥かなり−』が某賞の最終候補に引っかかってたときも、あとで教えてくれた編集者がいた。見事に落っこちたんだから、候補作を公開されなくてよかったのでありますが。

 ということなんで、今回もあんまり期待しないで結果を待つことにします。予定どおりなら、五月の二〇日ごろには新聞紙上で発表されてるでしょう。でもこんな話は、あんまりその気にならない方がいいのだよな。はじめは「まさかあ」と思っていても、周囲の編集者に「やー、あれは傑作ですよ」とか「ひょっとすると、ひょっとしますぜ」なんてことを(いるんだ、こんなこという奴が)いわれて助兵衛根性をだしたら、見事に落っこちてがっくりしたという経験をした人は多いのだ(実は甲州もだけど)。ほんまにもう、その気にさせた編集者は責任とれよな、と怒っても仕方がないか。




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