こうしゅうでんわ

谷甲州

 前にかいていた軌道傭兵(ではなくて『黎明の軌道邀撃機』という結構なタイトルがついたのだ)は、なんとか今月の二〇日ごろには書店にならびそうです。本当に今回も、よく落ちなかったものだ。落ちるかどうかの瀬戸際に編集さんと「話をはしょって締め切りに間に合わせるのは格好わるいよなあ。だいたい新書で本文が二〇〇ページないというのはみっともない。最近はそんな薄っぺらな本がふえてるし」なんて話していたら、本文がきっかり二〇一ページで終わった。目次やイラストのページをふくめて、ちゃんと二〇〇ページのラインをこえたのであった。とはいえ、やはり薄っぺら感はぬぐえない。話を途中ではしょることだけはなかったのだが。
 ところで『凍樹の森』に関しては、そろそろあちこちから書評がでています。編集さんがえらくまめな人なので、書評が出るたびにコピーを送ってくれるのです。『遥かなり神々の座』のときもそうだったが、SFと冒険小説では本をだしたときの手ごたえがずいぶんちがう。書評の数自体も冒険小説の方が多いし、冒険小説に関してはそれまで付き合いのなかった出版社からあたらしい仕事の依頼がくることもあるし。もっとも『遥かなり神々の座』のときは、「山岳小説かきませんか」という依頼がずいぶんきたので、そのうちのひとつを無理矢理SFにしてしまったのだった(『天を越える旅人』。こいつは評判はよかったのだが、「山岳SFをかきませんか」という依頼にはつながらんかった。あたり前か)。そういえばそのときにきた仕事のひとつが、来年の四月には本にまとまりそうです(『白き嶺の男』。例によって本にするための手直しで手間どってます。これが終われば、次は覇者の戦塵の書き下ろしだぞ)。
 そのせいばかりではないが、最近はまた非SFの仕事がふえた。決してSFに興味がないわけではないが、本当にSFの仕事がこなくなってしまったのだよ。同業者と顔をあわせては「最近はSFをかかせてくれる出版社がないなあ」などといいあっている。そのうちに風向きがかわるような気もしているのだが。
 ま、それはそれとして、最近になって編集さんと話しあった「いつかやりたいね」企画としては「歴史小説やりませんか」というのがある。うむ、そそられるなあ。たとえば「幕末の賊軍側(官軍側でもいいが)の海軍の話。洋式汽船同士の海戦を描いたら、海洋冒険小説にもなるなあ」とか「戦国時代の甲斐源氏の末裔の話。航空宇宙軍史のときから思ってたんだけど、あなた(甲州)は戦争に負ける側の描写が好きなんじゃないの」とか「南北朝時代の南朝の負けた側の悪党の話。楠木党が河内弁まるだしで戦争をやるというのは−−あれ、これは東郷隆さんの小説にあったか」というあたり。これとは別に「明治時代のチベットを舞台に、グルカ兵とイギリス軍と日本人の食いつめ者と、当然ながらチベット兵がでてくる冒険小説なんての、かきません?」という話もあった。これもそそられるなあ。あれ、よく考えたら横田順彌さんの得意そうなジャンルだ。これはしっかりと資料をしらべんといかんなあ。
 なんにしても、来年もかなり忙しくなりそうだ、と思ったら、奇妙な書評があったのを思いだした。夕刊フジの書評欄で内藤陳さんが『凍樹の森』についてかいてくれたのだが、その見出しが「W殺人疑惑が中国を駆ける」になっていた。はてな、これはそんな話だったかなあ、と思って本文を読んだら「何のコレはW殺人大陸ロマン熱闘一〇〇〇枚の序曲にしかすぎないのだ」とある。陳さん(かいちょう、と読んでね)にしては珍しい、ミスリーディングかな、と思ったら、「W殺人」のとなりに「マーダマーダ」とルビがふってあった。こっこれは(絶句)……。一瞬後、ぶわははははは、と爆笑してしまった。どう考えてもこれは、見出しをつけた奴が悪い。新聞の見出しなんてのは編集する記者が勝手につけることが多いんだが、どうやらこの記者はよく原稿を読まんかったとみえる。会長の原稿には、この手のひねりは普通だもの。凍樹の森セット




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