なんとなく事務所が片づかんな、と思っていたら、一時的にやりかけの仕事を五冊分もかかえていた。ゲラが二冊分(『天を越える旅人(『失われた過去への旅』の改題。それにしても、けったいなタイトルになったなあ)』と『遥かなり神々の座』の文庫)、それから雑誌掲載した短編のコピーが二冊分(SFアドベンチャーに掲載された非宇宙小説と、宇宙小説)、さらに『覇者の戦塵−1933』の原稿ファイルがディスクの中におさまっていて、あわせて五冊分も仕事を同時進行していた。その割には、ちっとも裕福にならん。ちなみに『遥かなり−』の文庫は来年の4月に刊行の予定です。『天を越える−』の6月末には書店にならぶでしょう。発行部数は多少ふえたが、それでも4000部しかない。早い者勝ちだから、書店でみかけたら即座にレジヘ走るように。これは宣伝ではありません。本当に、入手困難な状況になりそうだから。1900円だから、決してたかくはないぞ。ただし三年もしたら文庫になるとは思うから、初版にこだわらない人はそちらをどうぞ。もっとも今月にでる単行本は装丁も凝っているし、この値段ならお買い得だよと宣伝しておこう。
アドベンチャーに掲載された短編のうち、非宇宙小説は手入れをおえて編集さんにわたしました。先月のこうしゅうでんわで「最新のものでも書いたのが五年前」と書いたのは、こちらの本に収録される短編の話です。宇宙小説のほとんどはそれ以後−90年以降に書いておりました。それ以前のものも、もちろんありますが。
ところで本にするというので今回じっくり書き直したんだが、五年以上前の甲州というのは本気で文章が下手だ。やたら説明がながいし必然性のない蘊蓄がえんえんとつづくし、視点は乱れっぱなしで肝心なところが説明不足。よくあれで原稿料をいただけたものだと、冷や汗が流れてしまった。こんなものとても本にできないので、88年ごろまでのは全面的に書き直しました。よく短編集のあとがきなんかで「かなり古い作品もふくまれているが、あえて手をいれずにそのまま収録した」と作家本人が書いてたりするが、あの人たちはよほど自信があるのだろうなあ。とてもではないが、私にそんな度胸はありません。できることなら、昔の原稿など地上から抹殺したいと思うほどだ。ほんとにもう、言語道断にへたくそなんだから。
とはいえ、あたらしい短編ほど書き直す必要がすくなくなってきて、それはそれで感動したのであった。86年ごろに書いた小説は土台からひっくり返すほど書き直したのに、87年ごろになるとかなりましになってくる。88年ごろだと前半はかなり手をいれたが、後半になるとそれほどでもなかった。そして89年ごろに連続して書いた短編は、ほとんど修正の必要がなかった。89年の時点で進化がとまってしまった、ともいえますが。なんにしても、こちらは8月には本になるでしょう。なにとぞそれまでに、架空戦記のブームがへたりませんように。
ところで『覇者−』の最新刊は、なんとか脱稿しました。予定どおりなら、7月末には本になるでしょう。今回の本にかぎって、巻末に時代背景の解説文をつけてもらうことにしました。『激突上海市街戦』のときもそうだったんだが、実際の歴史がどうなっているか知らない人には、どこがどう架空なのかわからない場合があるのですね。架空戦記というのは(もし定着するとしたら)ジャンルとしてはまだ未成熟なので、どのような方法が最良なのか模索している状態です。『オホーツク海戦』のときのように艦艇の図面をくっつけるという本づくりもあるが、特別な新兵器のでてこない『覇者−』では一般的な方法ではないなあ、と思っていたのでした。なにぶんまだ手さぐり状態なので、このやり方を今後もつづけるかどうかは未定です。もしもうまくいけば、今れからもちがう形で解説文をつけることもありえます。まだ本当に手探りの状態ですが。