こうしゅうでんわ

谷甲州

 長期予報では今年は暖冬だといってましたが(実際に気温は平年よりたかいそうだが)、なんのなんの、小松あたりはいつもの年より雪の日がおおくて雪国! という雰囲気にひたっております。地元の人が「こんな大雪は十年ぶり」とかいってるくらいで、雪がなかなかとけません。天気予報は「輪島上空に猛烈な寒気団が居座っていて」などといっておりますが、一度でいいから「輪島上空の寒気団」というのをみてみたいものだ。今年で小松の冬も三度目だが、まだまだはじめての体験というのはあるものです。

 一月の二〇日ごろ、あんまり雪が降るんで仕事場にいくのをやめて家で仕事をしていたら、夕方までに車が雪に埋まってしまった。次の日は雪がやんだので事務所へいったら、借りている駐車スペースにこんもり雪がつもって車がはいらない。奥まった場所なんで雪をかき出す場所がないし、両側のスペースは奇麗に除雪されてるので(というより、雪がみんな車の屋根に積もっただけ)雪かきのしようがない。面倒くさいので、それからずっと自転車で通勤しておりました。最初はしんどかったが、慣れれば吹雪の中をちゃりで走るのも快感だったりする。砂粒みたいな吹雪が顔にぴしぴしあたると、生きているのが実感できてうれしいのだった。家に返ると熱燗で一杯やれるんだから、冬山なんかにくらべたら天国だわ。

 ただし雪の状態が悪いと悲惨なことになる。雪というのは気温がたかいほど厄介な存在なのです。たとえば昼間の雪がとけかけて夜になってまた凍りついてたりすると、タイヤで氷をばきばき踏み割ることになってペダルが重いのなんの。タイヤが溝にはまり込んだみたいなものでハンドルはとられるし、湿った雪は眼鏡にはりついて前がみえなくなるし、片手で眼鏡をぬぐいながらハンドルを強引に腕力で立てなおすという曲芸みたいなことをやっていた。そのうちタイヤと泥除けのあいだに雪がぎっちりつまってペダルはさらに重くなる。つまった雪は放っておくと凍ってしまって次につかうときえらい苦労をする。タイヤが凍って重たいくせに、ブレーキだけはすべって仕方ないのだ。

 そんな状態が半月ほどつづいたあとで駐車場をみたら、最初は腰ほどのたかさだった雪が膝くらいまでとけていた。一念発起して除雪をやったのだが、雪をすてる場所がないので駐車場全体にばらまくしかない。整地したところに車を無理矢理つっこんだら、つもった雪の分だけ屋根がとびだしてショールームの展示台にのせたみたいになってしまった。なんにしろ、結果的にいいトレーニングになりました。でも折角だから、それからもしばらく自転車で通勤をつづけております。

 ところで今月のはじめごろ、編集さんが『終わりなき索敵』の書評コピーを送ってくれた。半年も前の本の書評とはめずらしい、と思ってみたのだが、これがなんとも不思議な書評で、いきなり「男同士の友情」とか「愛する人をこの世に発見」などという言葉がでてくる。「へえ、これはそんな話なのか」と思いながら読んでたら、「仏教的にスリリング」とか「哲学的にいえば輪廻転生」とかの難しそうな言葉もあらわれた。意外に本質をついてるのかもしれん、という気にもさせてくれたが肝心のストーリーがよくわからん(俺はわかるよ。作者だから)。そして結論が「時空間を越えた運命的な共感と友情の物語」として評者(まさか人外協じゃないだろうな)は読んだそうなんですが、しかしこの「シャレード(三月号)」とはどんな雑誌だろう。なんとなくハイブロウな女性雑誌という印象もうけるが、文章自体はずいぶんとミーハーしてる。不思議に思っていたら、おなじ日に別の場所でこの雑誌の正体がわかった。なんでも「二見書房から創刊されたやおい系雑誌」なんだそうで。ははあ。それで「男同士の友情」か。まちがって買う人がいれば結構なことだけど、いまから手に入れるのは難しいんじゃないの、などと心配もしています(そうだ。先月のこうしゅうでんわで「『索敵』の初版は六千部と書きましたが、しらべたら七千部だった。訂正します)。




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