こうしゅうでんわ

谷甲州

 二月になりましたが、あいもかわらず「覇者の戦塵−1936」とマガジンの連載で攻めたてられている甲州です。例によって仕事は遅々としてすすまず、「覇者」はいつでるのか自分でもよくわかりません。
 なんでそんなに「覇者」が手間どるかというと、些細なことが気になって原稿がストップするから。たとえば今回は冒頭で海軍の水上飛行機がでてくるのだが、主人公格の下士官搭乗員の階級をどうするかでかなり迷った。海軍の下士官兵は昭和十七年に制度の改革があって、それ以後は飛行機搭乗員の下士官は「飛行兵曹」、略して飛曹と呼ばれている。戦記小説や元搭乗員の手記などには「○○上飛曹」とか「○○二飛曹」とかでてくるのがこれだが、それでは昭和十一年の「覇者の戦塵−1936」ではどうなるのか。
 正式には「航空兵曹」だから、十七年以後の「上飛曹」や「二飛曹」はそれぞれ「一空曹」と「三空曹」になる。しかしなあ、「空曹」なんて自衛隊みたいで、なんだか格好がつかないではないか。気になって戦記小説や手記の類をひっくり返してみたら、面白いことがわかった。制度変更以前であっても、「飛曹」と記述している本が意外に多いのだ。
 もちろんこの記述は、まちがいということになる。おそらく制度改革を説明するのが面倒だったり、記憶にたよって手記をかくうちになんとなく開戦時も「飛曹」だったように錯覚しているのが原因だろう。戦記や手記の舞台となっているのはほとんどが太平洋戦争だし、海軍にかぎらず開戦以後は搭乗員を大増員しているから、そうなるのも自然ななりゆきなのかもしれない。
 だから「覇者」の場合も「飛曹」でおしとおせばいいようなものだが、そう簡単なものではない。実際に搭乗員だった人の手記などは許されるのだが、戦後生まれの人間がまちがいを書くとたちまち投書が舞いこんでくる。「あなたの本は、あの部分とこの部分がまちがっている。今後は気をつけるように」という具合。不思議なことに、この手の投書を書くのは戦後生まれの若い読者のことが多い。自分が生きてた時代でもないのだから、どうでもいいようなものだがなあ(人のことはいえんか)。投書だけならいいが、ときには資料を大量に(といっても、雑誌のコピー程度)送ってくる人もいる。そういえば最近は「こんな新兵器を考えた。小説の中でつかってくれ」という投書もめだつ(これがまた、愚にもつかん兵器だったりする)。そんなこんなで、どうも落ちつかない。
 そういえば話はそれるが、光瀬龍氏が以前こんなことを書いていた。「SFを書いているときはいいが、歴史小説を書くと資料を送りつけてくる人がいて閉口する。こんな人には、小説とは何かを説明しても絶対にわかってくれないので困る」。あ、別の話も思いだした。川又さんの「ラバウル」の後書きをみていると、「本書に書かれているのは、すべてフィクションである。どこからどこまでが現実の歴史で、それ以外はフィクションという区別はない」という説明が何度もでてきた。どうやら川又さんも、おなじような投書で悩んでいるらしい。
 ところで下士官搭乗員のことだが、実際には単に「兵曹」とだけ呼んでいたようだ。兵科の下士官は、砲術の専門家も搭乗員もみんな「兵曹」ですませていたらしい。実際に、そのように記述している手記も多い。ちなみに上級者を呼ぶときは、開戦時なら名字に「さん」づけ。戦争末期ごろには名字に階級をくっつけていたらしい。
 だから「覇者」も下士官はみんな「兵曹」で統一してしまえばいいのだが、そうもいかない。下士官による手記の形ならこれでもいいが、「覇者」の場合は歴史小説のような形をとっているから第三者的な視点でなければならない。それに下士官の全員が「兵曹」では、区別しにくくてこまる。あれこれしらべたら、「一空曹」や「三空曹」と記述した本もいくつかあった。これらのほとんどはノンフィクションとして書かれたもので、記述の内容も信頼できた。なんとなく東京都内の国電を「E電」と無理に呼ぶようなすわりの悪さはあるが、「覇者」もこの方法の方がよさそうだ。
 ということで主人公の階級は「一空曹」に落ちつきかけたのだが(ここまでくるのに、半日がかりで資料をひっくり返していた)、どうも小説の構造上あまりこれもよろしくない。この男を士官搭乗員ということにすれば(士官搭乗員と下士官搭乗員の区別は面倒くさいからパス。興味のある人は、適当に資料をしらべてください)、戦況全般をみる視点が生まれてよさそうだ。そう考えたのはいいが、今度は重巡乗り組みの士官搭乗員は、どの程度の経歴と階級なのか気になりだした。それでまた最初から、資料の山をひっくり返すことになった。原稿がすすまんはずだ。
 本当は助手か秘書にやらせばいいようなことだが、いろいろ理由があって自分でやることにしている。詳細についてはふれないが、もっとも大きな理由は「資料をひっくり返しているかぎり、仕事をしてるような気分になれる」から。したがって量産もできず。編集者に「あいつは仕事をさぼっとる」と思われるはずだ。




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