あけましておめでとうございます。今年もあちこちから年賀状をいただきましたが、仕事にかかりっきりなのを理由に不精を決めこんでいる甲州であります。とりあえず不義理をしている人には、今年も頑張りますので堪忍してねと頭をさげたところで、今年の予定やら年末までの仕事の報告など。
ながいことかかっていた軌道傭兵の5は、年末のぎりぎりになんとか書きおえました。何ごともなければ今月の末には店頭にならぶでしょう。これで軌道傭兵のシリーズは完結ということになりますが、たぶんおなじ系列の話がすぐにはじまると思います。それがネクスト・ジェネレーションになるのか、本来の意味での軌道傭兵のシリーズになるのかは未定ですが。予定どおりなら、この夏には次の本がでるでしょう。
軌道傭兵を書き終えた直後からとりかかっている覇者の戦塵ー1936(たぶん)は、さっぱり話がすすまないまま苦労しています。ストーリーとしては『オホーツク海戦』の続編になるので、凍てついた海で寒そうな海戦をやるはずです。前巻の台風のときもしんどかったですが、冬の海の海戦もかなりしんどそうだ。できればこちらの方も、年間に二冊くらいはだしていきたいところです。もしかすると版元は「二月刊」などと広告をだすかもしれないが、あまり信用しないように。角川にかぎらず作家にシリーズものを量産させるシステムについて、いいたいことはいろいろあるがそれはまた別の機会に。
とはいえ、すこしだけ。「量産できる作家は仕事熱心な人。スケジュールどおりに書き下ろしができない人はさぼっている人」という風潮はどうにかならんもんか。編集者が頭からそれを信じて作家の尻をたたくのはまだしも、量産型の作家がそれを自慢にしているのはどうにも解せんなあ(エッセイでそれを自慢げに書いている人を、少なくとも四人はみかけたぞ。あ、ときどき俺もやってるか)。「時間をかければいいものができる」という原則は、だれもが認めているのだが。しかも時間をかけてつくられた本が、量産された本に店頭から駆逐されているのは事実なのに。
それはともかく。以前から野性時代で書いていた『サージャント・グルカ』は、書き下ろし分をふくめて春ごろには形にしたいと思っています。雑誌である程度かきためたあと、時間をかけて本にするという贅沢なやり方を(原稿料が二重にもらえるぞ)するのだが、これでできた本がスカなら文句をいえる筋合いではないことになる。頑張ろう。あと連載の『終わりなき索敵』と『失われた過去への旅』(注:「岳人」で連載中)はそれぞれ五月と九月ごろには完結の予定です。本になるのは『終わりなき−−』が夏ごろで『失われた−−』がたぶん来年になると思いますが、『終わりなき−−』の方はどうも心もとない。なんだか予定よりも量がふえそうな予感がして怖い。すでに七〇〇枚ちかくも書いているのだが。
それとは別に、以前から書きたかった冒険小説もなんとか年内には形にしたいところです。取材にいったのが九〇年のことだから、もう四年ごしの仕事になっている。その間に書いたのがたったの三五枚だから先が思いやられるが、今年こそはなんとかしたいものです。昨年の末に計算してみたら、年間の生産量は一昨年にくらべて三割がたふえていた。量が多ければいいというものでは決してないが、この調子でいけば長年の懸案のいくつかは今年中に格好をつけられそうです。だからですね、あまり作者をせかさないように。世の中には、量産向きでない人だっているんだから。