こうしゅうでんわ

谷甲州

 7月はそれほど忙しくなかったのですが、まだ6月の後遺症から抜けきれていません。例によって仕事はさっぱりすすまず。なんにも書くことがない。こんなときは、あれこれとぼやくにかぎる。そのうちに、何かでてくるだろう。

 それにしてもよくわからんのが「SF冬の時代」というやつで、ファンの間ばかりではなくてセミプロ級の書き手も似たようなことをいっている。SFアドベンチャーや獅子王の季刊化が原因らしいが、「それがSFとなんか関係あるのか?」というのが正直な感想であります。アドベンチャー誌に本格宇宙SFを書こうとすればえらい苦労をするという話は以前にも書いたが、獅子王の場合はどうだったのだろう。あの雑誌とはかかわりがなかったが、ハードSFが掲載されていたという話はきかんなあ。本格SFやハードSFに関していえば日本SFの黎明以来ずっと氷河期がつづいてる状態で、だから「冬の時代」なら以前よりは暖かくなったといって喜ぶべきでしょう。

 ところでアドベンチャー誌が季刊になった直接の原因は発行部数の低迷らしいが、正直にいってあれではSFファンにそっぽをむかれても仕方がないと思うなあ。この件については当の編集さんにも話したのでここに書いてしまうが、編集部はSFファンとSFファンダムにいるファンとをごっちゃにしているのではないか。だからエッセイやコラムの中には、内輪うけで売っているファンジンみたいな記事がずいぶんと多かった。編集部はファンジンの楽しさを誌面に盛り込もうとしたのかもしれないが、実はファンジンの陥りやすい落とし穴に自分ではまり込んでしまったような気がする。その結果、「テレポーターズプラザ」というもっとも内輪受け的なコラムが大増ページしているのに、その反面で創作系のファンジンを紹介する「ファンダムアクセス」のページが逆に減少してしまった。ファンダムとかかわりのないかくれたSFファンからみれば、内輪受け的なコラムなどなんの魅力もないのだが、編集部はそれに最後まで気づかなかったようだ。

 編集部の勘違いといえば、「トレンディーなものがSF」というのもある。コラムの大部分は時代の先端をいっているような読み物や妙にスノッブなのやらがあったが、実質的にSFとはほとんど関係がなかった。少なくとも、SFファンが読んで面白そうな記事はなかった。なかには「自分はSFを読んでいないが云々」と堂々と書いていたコラムニストもいた。これでは「SF雑誌でなければ読めない記事」は期待できない。なにが流行か知りたければ、その方面の雑誌を読めばいいんだから。

 これは徳間書店の体質とも関係してくるのだが、アドベンチャー誌が独自の方法で新人をみつける努力をおこったっていたのは事実だろう。最初のころはファンジン大賞の受賞者を起用することで新人賞的な性格をもたせていたようだが、ここから育った新人というのはあんまりみあたらんなあ。石飛拓美先生という偉大なる(よいしょっ!)例外もいるが、マガジンや旧奇想天外にくらべれば数は多くない。少なくとも無名の新人のために誌面をさいてどんどん書かせる、という姿勢はなかった。もっともこれに関しては、雑誌の魅力と関係がないかもしれないが。

 ということなので、私の前で「やあ、冬の時代ですね」などとはいわないように。
SFのコアとなる部分は、ブームや冬の時代と関係なしに書かれてきたのだから。
 なんか今回はかたくなったなあ。しょうもないこというてんと、ちゃんと自分のSFを書いていこう。




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