こうしゅうでんわ

谷甲州

 毎度どうも。ようやく覇者の戦塵の二冊目をかきあげて、肩で息をしております。
なんとか予定どおり、二月の終わりごろには店頭にならびそうです。どんな話になったかというと「覇者の戦塵のタナトス戦闘団化」という、恐ろしいことになりそうな予感があります。
 例によって入稿は大遅れで「これが本当にぎりぎりのデッド。これをすぎると、未来はありません」という締め切りを、さらに六日ほど破ってしまいました。最後は本当にどんちゃん騒ぎで、編集部から電話で「印刷屋さんが背後霊をしながら待ってます。あと何分くらいで送信(時間短縮のためにメール入稿が基本)できますか」とせっつかれた。「あと一〇分で本文の最後の部分を送ります」といったら、「後書きはどうなりました」と突っこまれた。普通なら本文を書き終えてから後書きの入稿まで、最低でも一週間は余裕があるのですが、とてもそんな悠長なことはやっておれずに本文と同時入稿という話になってたのだった。
 実は三日ほど前、印刷屋さんに「これが最後の原稿です。後書きはすぐに入稿します」といって原稿を受け取らせておいて、次の日から「後書き」と称して本文をさらに一〇〇枚ちかくも入稿するという、ほとんど詐欺みたいなことをやっていた。だからこれ以上、後書きを遅らせるなどとんでもない話で、何がなんでもその日のうちに放りこまなければならない。よく考えれば後書きなしの本もありうるのだが、パニックになっているものだからそんな知恵もはたらかない。思わず「あと一時間で後書きを送ります」といってしまった。
 ところが電話を切ったものの、なーんも思いつかん。時間はじりじりとすぎていくし、いつ鳴り出すかわからん電話をみているとさらに焦るばかりで、頭が空っぽになってしまった。時間ぎりぎりになって、昔のこうしゅうでんわをつかいまわすという外道な方法を思いついてしまった。というわけで『覇者の戦塵−1932(今度からタイトルに年号が入ります)』の後書きは、小松製作所の社史の話になりました。もちろん文章は変えましたが。それでなんとか間に合ったのだから、あんまり手抜きだと思わんように。

 そんなこんなでやっと一息ついたと思ったら、ぎちぎちに予定がつまることになってしもた。六月には軌道傭兵を今度は上下巻の二冊組でだす予定になっていて、八月には『覇者の戦塵1935(たぶん)』をだす予定で−−と思っていたら、角川の編集さんからえらいことをいわれた。「八月刊の予定を七月にくりあげましょう。その方が、広告もうちやすい。せっかくだから、今度は分厚いめの本にしませんか。新書のサイズと値段で四五〇枚から五〇〇枚の本にすれば、読者は喜びます(最近の新書の分量は三七〇枚前後。もっと少ない場合もある)」だと。眼をむいて泡を吹きそうになった。「そんなもん絶対無理やがな。一カ月でそない書けまへんで」と情けない声をだしたら、編集さんは堂々といった。「大丈夫です、野生時代に連載の枠を確保しておきました。月刊誌の締め切りに追いまくられた方が、いいものが書けます。あんたはそういう人や(とはいわなかったが、そういいたそうにしていた)。どうせアドベンチャーも、すぐ廃刊になりますから(おいおい)」俺を殺す気かほんまに。来月からはSFマガジンの連載もあるんやぞ。岳人の連載とあわせて、月に二〇〇枚以上もかきながら軌道傭兵を二冊書けいうんかいな。
 文句をいったが、結局は来月から連載をはじめることになった。結果的には軌道傭兵と同時進行なのだが、中央公論社のことはこの際考えんでもよろしい−−とまではいわんかったが、角川さんの思惑はそういうことらしい。知らんぞ、俺は。計算してみたら、毎月四〇〇枚ずつ書かんといかん。流行作家ならどうということのない分量だが、俺にとっては火事場の馬鹿力を半年間だしっぱなしにすることになる。

 あれれ、今月はもっといろいろ書くことがあったはずなんだが、頭がアホになっている。そうだ、石飛先生あての年賀状の番号を確認したが、お年玉はあたっていなかった。わざわざ俺がやることではないか。ちなみに、この年賀状は私のではありません。
 なんか知らんが、甲州画報もえらい迫力だなあ。負けんように、そろそろ次の仕事をはじめるか−−そんなことを、一週間も前から考えている。さしあたって次の仕事は冒険作家クラブのアンソロジーに短編で、前回の関連もあるから吉岡さんの話になりそうだ。「人情刑事」の話は面白いが、他人のネタをつかうわけにもいかん。というわけで、これまで書いたことのないタイプの「いい女」を書きたいと思っています。

 というところで、今月は終わり。ああしんど。




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