こうしゅうでんわ

谷甲州

 ということで、いつもよりかなり早いめのこうしゅうでんわなのですが……。ふーむ、『ホーキング宇宙論の大ウソ』というのは、やっぱりその程度の本でありましたか。もっとハードな宇宙論でも展開してくれるかと期待しておったのですが、やっぱり自分で読まなくてよかった。いろものさん、どうもご苦労さまでした。私がこの本に期待していたのは(期待するくらいなら、自分で読めや)、この種の色物本と宇宙SFにはいくつか共通点があると考えていたからです。ただし、あくまで読者の立場でみた場合、ですが。だからそんなにこの本が売れているのなら、いっそのことSFを書くのはやめにして色物本ライターに転向しようかと虫のいいことを考えていたくらいなので。
 たとえば宇宙SFに読者が期待するのは、いかにそうだいなホラ話をみせてくれるか、どれくらい読者の度肝をぬいてくれるか、という点だと思います。つまりそれがセンスオブワンダーなのですが、色物本の面白さも「どれだけ突き抜けているか」にかかっていると思います。もちろん読者の度肝をぬくといっても、単なる無茶苦茶では意味がありません。それがどんなに荒唐無稽な話であっても、ストーリーの中で自己矛盾をおこすのは許されないのです(もっとも色物本の多くは、この点の詰めがまだまだ甘いような気がします。完全に自己矛盾をなくすことができれば、それはそれで正当な科学になるかもしれない)。
 もちろん、いかにけったいな話であろうと、現実との接点はちゃんとのこしておく必要があります。これをやらないと、リアリティがなくなってしまうからです。超光速航行のできる宇宙船をSFに登場させるなら、そのための社会的な背景や基礎となる理論は(嘘でもいいから)提示がなければなりません。ここらへんのルールを無視してしまうと、ただのご都合主義になってしまいます。色物本の場合でいえば、実際に起った出来事や、現実の世界とのかかわりを読者に示すことが、リアリティをだすための手段となるのでしょう。
 などと考えていたんですが、どうも色物本ライターは思っていたほど真面目じゃないみたいですなあ。リアリティを追求するあまり、パターン化した常套手段をつかうのはちょっと努力不足だと思うぞ。いまどきユダヤの陰謀だといわれても、客は喜ばんと思うんだが。おなじだますんなら、もうちょっと読者の度肝をぬく手を考え出してほしいところです。大数仮説は無理にしても、計算の仕方でひとつの数字に収斂するとかいうような、あっとおどろく手を見せてほしいです。一冊の本の中で、せめて一ヶ所でもいいから。
 そいえばアンドロポフの生年月日というのは、どっちの暦を採用したんだろう。たしかアシモフのエッセイにも書いてあったが、ソ連の暦は革命の前後でかなりずれてたはずだ。それ以前にキリスト生誕の年が曖昧なんだから、西暦の年号自体もあまり意味がないような気がするし。獣の数字がそんなに気になるんなら、いっそのこと暦を全部六進法で計算しなおしてみた方がいいんじゃないのか。それでいくと1914年は12510年になって、これを操作すると最後には4という数字になるが(6進法なんだから6になったら不思議だが)、ちっとも面白くないなか。こんな操作をしても。
 しかし、よくよく考えてみたら、SFの方は「だましてあげますから、だまされにおいで」という世界なのであって、「信じるものはみな救われる」という色物本の世界とは根本的にちがっているのかもしれん。読者がまちがいを発見したりしてはいかんのかな。色物本の場合は。そうすると色物本はリアリティをだそうとすればするほど、オリジナリティを捨てざるをえないという深刻な問題を最初からかかえているわけか。どうやら「そんなに日本を勝たせたいんかい」本とおなじで(話はかわりますが、たとえば1945年7月のホワイトハウスにトルーマンがいたとして、そこに風船につかまった天皇陛下がふわふわ降下してきたとしても歴史はかわらんような気がするが)、思っていたほどおいしくはないみたいだ。色物本ライターに転向するのは、やっぱりやめにするか。




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