こうしゅうでんわ

谷甲州

 こうしゅうでんわの時期ですが……。先月の画報のことを少々。
 むむっ、そうか。人外協には戦車ファンが大勢いるのか。あまり深く考えずに戦車のことを書いたら、ものの見事に向こう脛をかっぱらわれてしまいました。そうなるとこちらも、根性をすえて「世界最強の戦車」について蘊蓄をたれる必要があるようです。とはいうものの、一般的にいって「主力戦車の中で最大級の主砲は、キングタイガーの88ミリ砲」という事実は無視できないと思います。でないと話が進まないから(38号で書いた「主力戦車」とは、主戦闘戦車−−MBTとおなじと考えてください。中途半端に突撃砲の話をだしたので、話がややこしくなってしまった)。
 しかし今さら私がそのことをくりかえしても、あまり説得力がない。というわけで客観的な証拠として本棚を物色したところ、でてきたのが『タミヤニュース別冊 マンガ第二次大戦史』。これはマンガといいながら、細部までこだわった戦車などのイラストが満載された楽しい本で、愛蔵しているファンが多いかもしれません。その中で「大戦中の戦車NO1」とされたのは、「頭でっかちになりましたが、回転砲塔に152ミリ砲を搭載したのは私だけです・KV−II」や「ワシだって一応は動けるんだ・カール600ミリ自走砲」ではなく、さらには「ガハハ前面装甲板250ミリと重装おかげで体重も75トン・主砲も強力な128ミリ砲・う〜む重いの一言・ハンティングタイガー」でもなく、「マ、いろいろ御意見ごさりましょうが・文句のある奴はこの88ミリ砲がだまっちゃいないぜ・キングタイガー」となっておりました。
 それでは何をもって最強の戦車というのか。通常、主力戦車は攻撃力、防御力、機動力の三要素が、バランスよく満たされていなければなりません。
 このうち攻撃力とは主砲の威力と考えてよく、現在も第二次大戦時も戦車砲の主力は運動エネルギー弾である徹甲弾が主流になっています(大戦時には科学エネルギー弾である成形炸薬弾も実用化されていましたが、これはあくまで歩兵が携行できるロケット砲や、旧式化した低初速の榴弾砲を戦車砲の代用とするためのものであって、威力は運動エネルギー弾よりも落ちます)。
 ところで運動エネルギー弾とは、その名のとおり砲弾の運動エネルギーによって標的の装甲を貫通するもので、貫通力は弾体の質量と衝突時の速度の自乗に比例します。したがって威力を増大させるには、大質量の砲弾を高初速で射出してやればいいことになります。弾体の大質量化には火砲の大口径化がもっとも簡単な方法であり、初速の高速化には

  1. 炸薬の高性能化による爆発エネルギーの増大。
  2. 砲身の長大化による爆発エネルギーの有効利用。
  3. 口径の増大による砲自体のスケールアップ。

となっています。それでは口径がでかけりゃいいのかというと、必ずしもそうではない。たとえば日本軍の九七式戦車の場合、初期型は式57ミリ砲を搭載していたが、威力不足のため後期型は47ミリ砲搭載に設計変更されております。つまり口径は小さくなっても初速が大きいために(57ミリ砲で420m/s。47ミリ砲で900m/s。)、砲の威力は結果的に増したわけです。ちなみに砲自体の重量は、57ミリ砲で120キロだが、47ミリ砲で400キロと実に三倍以上にもなっています。これだけ重量が増大したにもかかわらずおなじ九七式戦車に搭載できたのは、最初から設計変更を見越してターレットをひとまわり大きくつくってあったからです。
 この方法はそれほどめずらしくなく、日本軍の場合は軍艦でもこれをやっていました。有名なところでは最上級の6インチ三連装砲塔を8インチ二連装砲塔への換装、さらに大和級戦艦の18インチ三連装砲塔も、アメリカに18インチ砲搭載の戦艦が出現した場合には20インチ二連装砲塔へ換装を考えていたらしい。これは極端な例ですが、ソ連の場合などは砲塔と車体の設計を交互に更新していったようです。
 というところで、長10センチ高角砲の話です。第二次大戦末期には日本軍も大口径・高初速の戦車砲の必要性を痛感していたわけですが、それにしても搭載砲は75ミリ級(初速は三式戦車砲(90式野砲を流用)で680m/s。四式戦車砲(四式野戦高射砲を流用)でも850m/s)どまりでした。しかもそのときには生産力自体が落ちこんでいて、とくに砲は生産が追いつかずに車体と砲塔だけの砲なし戦車がラインにならんでいたようです。ところで海軍の長10センチ高角砲は(艦載用の連装砲塔が九八式10センチ高角砲)、初速が1000m/sとどの陸軍砲よりも高初速で、戦争末期でもある程度のストックはあったようです。一般に海軍の造兵能力は陸軍よりも5年はすすんでいたといわれており、砲身の命数の関係から初速をあまりあげられなかった陸軍式よりも高初速を達成できたようです。ちなみに九八式高角砲は、戦況の逼迫にともなって連装砲塔ごと南方の島々に陸揚げされ、防空用に利用されていたようです。それくらいなら、最初から海軍と陸軍の規格を統一して10センチ砲搭載の砲戦車をつくればいいではないか、というのが最初の思いつきだったのですが。もちろん突撃砲というのはもともと主力戦車の代用であって、旋回砲塔のない突撃砲は通常なら主力戦車にはなりえません。しかし日本軍の場合は、少し状況がちがうと考えています。日本軍の編成や仮想敵、予想される仮想戦場などを考えれば、意外にこの突撃砲戦車が役にたちそうなのですが、それはまた別の話になります。
 話が横道にそれましたが、主力戦車の話をもう少しつづけます。戦車の戦闘力は攻撃力のほかに防御力と機動力によって決まるわけですが、かなり強引ないい方をすれば(しかも第二次大戦中にかぎっていえば)防御力と機動力はエンジンの出力によって決まるといっていいでしょう。現代の戦車のように複合装甲やアクティブ・アーマーなどが存在しない場合、防御力は装甲の厚さ=装甲にさける重量に比例します。あとは砲塔や車体の形状デザイン−−避弾経始や主要部分の鋳造化ですが、装甲のために重量をさけないようではデザインのしようもありません。ところが装甲が過大になりすぎると、機動力が落ちて身動きがとれなくなってしまいます。
 ドイツの戦車などは装甲や砲威力にはすぐれていたものの、エンジンには最後まで悩まされていたようで旋回性能の悪さや後続距離の短さなど弱点も多かったようです。エンジンが優秀だったのはソ連性の戦車で、T−34で500馬力、KV−TCで600馬力という当時としては破格の出力をもっていました。日本の戦車用エンジンは比較的優秀な方で、ターボ過給器を装備した400馬力空冷ディーゼルエンジンを生産できた実力はドイツ以上と考えていいようです。
 というふうに考えていくと、実在した最強の戦車は(エンジンにはやや難があるものの)キングタイガーということになりますが、私としても「いろいろ御意見」がないわけではない。つまりキングタイガー一台はシャーマン4台に匹敵するとか、東部戦線でドイツ戦車の残骸が一台あると周辺にソ連軍の戦車が5台は炎上していたとかいわれていましたが、それにもかかわらずドイツ軍は負けてしまった。理由は簡単で、ドイツ軍の5倍以上の戦車を連合軍は前線にならべて押しまくったからです。つまり傑出した性能はなくても、大量生産されたM4シャーマンやT34/85が真の意味で世界最強の戦車だった、ということになりますか。
 そうなると日本のように工業力が劣った国でも(というか、劣っているからこそ)設計の段階で工数を少なくして量産を可能にする努力が必要だった、ということでしょうか。私が「長10センチ高角砲を量産して突撃砲を」といった意味が、わかってもらえましたか?

 あれれ。根性をすえて書いたら、いつもよりえらく長くなってしまった。かなりはしょったつもりだったが、どうもこの手の話はいくらでも長くなるようです。長すぎるようなら、適当にぶった切って分載にでもしてください。




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