こうしゅうでんわ

谷甲州

 とりいそぎ、こうしゅうでんわします。実は今月も死ぬほどいそがしくて、四月のとき以上に無茶なスケジュールでやってます。とはいえ、あまり休んでばかりというのも申し訳ないので、とにかく思いついたまま書いて送ります。

 去年から今年にかけて、小松市はいろいろと行事がありました。去年の秋は小松市市政五〇周年(ということは、昭和一五年に市になったのか)、今年の四月ごろには小松製作所の○○周年記念(八〇周年くらいだったと思う。正確な資料が手もとにない)、それから今月のはじめは航空自衛隊が基地開設三〇周年になってました。あんまりその手の式典には縁がないのですが、小松基地の基地祭あたりはいやでも巻きこまれてしまいました。このあいだからいやに騒がしいと思ったら、事務所の窓の外をブルー・インパルスが五色の煙を吐きながら飛びまわってたので。それくらいならまだいいんですが(ブルー・インパルスの使用機はF−1改。それとも、T−2になるのか?)、この間なんかイーグルが二機でケツのとりあいをやっていて、うるさくて仕方がなかった。市街地の上空でドッグ・ファイトをする奴があるか。

 せっかくだというので、基地祭の見物にいってきました。さすがに展示されている機体の種類は多くて結構おもしろかったです。ずらっとならんだ米軍機の前で、米兵が声をあげてアイテムの販売をやっていたのがめずらしかった。その横にそおっと人外協Tシャツでもならべておけば、まちがって買う奴がでてきたかもしれない。やらんかったが。
 ところで米軍の機体と航自の機体では、塗装のパターンに根本的なちがいがあるのですね。米軍の機体はくすんだグレーで、マーキングは黒のめだたない色になってますが、航自の方はおなじグレーの機体でも、白や明るい原色でマーキングがしてあります。たしかに編隊飛行のときなんかはマーキングがめだつほうが便利だろうけど、それは同時に敵からみてもめだって仕方がないような気がするのだがなあ。航自の機体の中にはずいぶんあかるいライトグレー塗装のものもあったし、これで は戦争をするにしてもかなりしんどいのではないか。フォークランド紛争のとき、アルゼンチン空軍のスカイホークはあかるいライトグレーに塗装されていたものだから、遠くからでも簡単に発見されてハリアーの餌食になったらしいから。そういえば米軍パイロットのフライトジャケットはオリーブドラブだが、航自の方はど派手なオレンジ色だった。不時着したときなんかは航自の色の方がめだって便利だろうけど、あれではベトナムの空爆なんかできんだろうな。そんなふうにみると、米軍=戦争をするための軍隊。航自=みせびらかすための軍隊、という構図がうかんではくるが。

 せっかくだから小松製作所の工場見学にもいっておきたかったのですが(小松製作所創立記念日の話です)、忙しくていけなんだ。この小松製作所も結構SFしているところで、『覇者の戦塵』をかいていたとき小松製作所の社史なんかをしらべてみたところでは(資料としては使わなかったが)、なんでも国産のトラクター第一号は昭和六年一〇月(!)に完成して試運転がおこなわれたらしい。その後、そのトラクターは改良され、満州国の開拓事業のための試作機も(!!)製作されたとのこと。また満州国の大量需要をあてこんで第二工場を建設したが(!!! ちなみに、現在の粟津工場)、満州国の開拓計画がずさんだっためにトラクターの対満州国輸出はほとんど実績のないまま終了したということだそうです。
 ということが小松製作所の社史にかいてあったんですが、実はその社史をみたのは小説の中で石原莞爾が南部に満州国土木国家構想をぶちあげた部分をかき終わったあとでした。だから社史を読んだときは、本当にぶったまげた。現実の歴史で石原莞爾が満州を去った時期と、小松製作所のトラクター輸出がぽしゃったのが、ちょうどおなじ時期だったし。ううむ。こんなことがあるから、現実の歴史をベースにした架空戦史というのはかきにくいのだよな。想像力を駆使してかいたつもりが、実は現実の歴史でおなじことをやってたという……。
 なんにしても、今度機会があったら小松製作所の工場見学にいってこよう。

 ところで、こうしゅうでんわを書きはじめたとたんに野生時代の編集さんから電話が入って「今日の夜が本当にぎりぎりのリミットです」などといわれてしまった。その時点でサージャント・グルカ−3は八〇枚のうち三〇枚ちょっとしか書いてなかったので、えらく焦ってこうしゅうでんわを中断してしまいました。実は軌道傭兵−2が相当に危ない状態なので(七月刊行予定なのに、まだ五〇枚も書いていない)、野生時代の方はぎりぎりまで書きはじめるのをひかえて本当に落ちる寸前の状態に追いこめば、必死になった分だけ時間が短縮できるだろうと考えていたのです。それにしても、ここまで切羽詰まってるとは思わなんだ。ちょっと読みがあまかったようです。結果的には今回もなんとか落とさずにつっこめました。最後は正味二〇時間弱で四三枚ほど書いた勘定になるから、結果的にやり方は正しかったのだろうが、印刷所やらイラストレーターにまたまた大迷惑をかけてしまいました。今回ばっかりは、相当に反省しております(あんまり余所でいわんように)。それにしても、よう落ちんかったこっちゃ。我がことながら、ほんまに感心するわい。

 ところが入稿して寝てるあいだに『最後の戦闘航海』のゲラがとどいた。この本のゲラとあとがきも書かないといけないのだった。岳人の締切は月曜日だったなあ。どっかに逃げ出したいけど、小松の先は日本海しかないと思っている今日このごろです。




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