どうもいつも遅くて申し訳ない。気がついたら、こうしゅうでんわの時期になっておりました。今月は雑誌の締切がないので、時期的な感覚がずれているようです。このところずっと、雑誌の原稿をあげてからこうしゅうでんわを送るというパターンがつづいていたので、雑誌の仕事がない月は調子がつかめずに困ります。
それはいいのですが、どうも仕事の方は低調でへばっております(低調というのは、仕事のペースが遅いという意味です。質が落ちたという意味ではない、と本人は思っています。もっとも仕事が遅いのは今にはじまったことではないが)。どれほど低調かというと、6月のなかばからかかっているあたらしいシリーズの原稿が、5カ月もかかってやっと60枚というていたらくであります。別にさぼっていたわけではなくて、その間に資料の数だけがどんどんふえてしまいました。しんどいことはしんどいのですが、結構たのしんでいる部分もあります。
そういえば宇宙SFを書きはじめたころも、似たようなことをやっていました。あのころはまったく右も左もわからなくて、短編ひとつを書くのに資料を山ほど積み上げるという状態でした。そのうち要領がわかってくると仕事は楽になりましたが、なんとなく書くことの面白さがなくなってきたような気もします。今度の仕事は、満州事変から太平洋戦争にかけて日本の歴史を洗い直す作業になるので、とっかかりは宇宙SFとおなじ苦労がつきまとうわけです。昭和初期の資料は結構手もとにあると思っていたのに、実際に原稿を書き出してみるとわからないことばかりで、資料ばかりが際限なくふえています。
そんなわけで、このところ書店まわりの回数がふえております。最初は新刊本ばかりだったのですが、このごろは古本にも手を出すようになりました。それでわかったのですが、技術関連の専門書というのはこの何十年かフォーマットが変わっていないようです。この間、神保町の古本屋でみつけた『運河』(運の字は旧字。著者の肩書は南滿洲工業専門學校教授。発行日は昭和10年11月。定価は2円80銭)という本は要するに土木工学の専門書なのですが、箱や本体がふるびて変色している以外は今とまったくフォーマットがおなじでした。ついでにいうと、本の間には愛読者葉書らしきものがはさみこまれていて、こっちには「壱錢五厘切手」を貼るようになってました。こんな本を手にすると、なんだか昭和初期の時代が身近に感じられるなあ。実はぱらぱらとめくっていたら、ページの間に蚤の死骸がはさみこまれていたのです。当時の学生だか新米の技術者が、貧乏下宿でこの本を開いていたところまで想像してしまった。本当は当時の土木技術の水準を知りたくて書ったのだが、結構付加価値があったなあ。
話が変わりますが、だれか「ジャカルタ・本屋の片隅でうもれている甲州本を買いあさるツアー」というのを企画せんかな。かなり不毛な行為のようにも思えるが。もっとも、当分そこまでいく余裕はないだろうけど。