うーんと、うなってしまった。先月号の甲通賑轟を読んだあとのこと。らいとすたっふの中の人も大変だな、などと傍観者面している場合ではない。図版に不具合があるとすれば、それはすべて著者の責任だから。別に図版にかぎったことではない。 基本的に本の製作に関わる全責任は、著者が負うことになっている。表紙絵、カバーデザイン、本文中のイラスト、図版、カバー裏や袖の内容紹介、帯の宣伝文句にいたるまで(普通、最後のふたつは編集者の仕事)著者がチェックしてOKを出すのが建前ではある。
もっとも現実にはとてもそこまでやれないので、かなりの部分を制作者や編集者を信じてまかせることになる。巻末の解説文になると、著者といえども内容について口出しすることはできない(中にはする人もいるらしいが、関係のない話なので略。普通は解説者をえらぶ時点で、著者の意見をきく程度)。
ということで『覇者の戦塵』の図版なのだが、前号で安達氏が書いているとおり、原図ができあがった段階で著者のチェックが入っている。つまり出来上がった図版は、著者のお墨付きということになる。それにもかかわらず、不具合個所が出てくる。なぜか。著者がみな悪いので言い訳は見苦しいかぎりだが、あえて書けば「実はチェックの段階でも原稿ができていない」ことにつきる。そうなのだ。原稿を読まずに(読めずに)図版を制作していたのは、図版屋さんだけではなかったのだ。著者も筋書がわからないまま、図版をチェックしていたのだよ(うひゃー)。
これまでの例でいうと、図版やイラストがあがったとき本文は半分程度しかできていないことが多い。後半部分は著者の頭の中にしかないわけだが、これが成りゆきでどんどん変わる。思惑とちがった方向へストーリーが暴走するのは珍しくないし、登場するはずだった兵器があらわれないこともある。『覇者――』のイラストが物語の一場面を描いたものではなく、兵器カタログみたいな形になっているのはそのせい。これだと原稿を読まなくてもイラストが描けるから。
なんでこんな妙なことになったのか、という話に当然なるのだが、理由ははっきりしている。どうしようもないほど、著者が遅筆だから。しかも仕事が遅いくせに、ストーリーに凝りたがる。その上に、編集者がものすごくせかす。角川で『覇者――』をやってたときは五年間で六冊のペースだった。ところが中公ノベルズにうつってからは、年刊三冊から四冊が当たり前になった(最近ではペースが落ちているが)。遅筆の谷甲州にこのペースを守らせようとすると、炎のような勢いで著者を責めたてるしかない。本文が半分しか書けていなくても、来月刊行の広告を出してしまう。それをみた甲州は、焦りまくって必死で原稿を書く。その結果、イラストレーターさんや図版屋さんに皺よせがいくと。校正者なんて、本当にひどい眼にあっていたのではないかな。
では、編集者が悪いのかというと、そんなことはない。角川版が五年で中断したのは、刊行ペースが遅かったから。一年に一冊のスローペースでは、読者が離れていってしまうのよ。で、売れ行きも落ちてシリーズ中断と。などと書いているうちに、予定の行数をオーバーしてしまった。おぼえていたら、来月つづきを書きます。