こうしゅうでんわ

谷甲州

はじめに。父の葬儀に関しましては、多数の方々より丁寧なお悔やみの言葉やお気づかいを賜りました。本来は個別に御礼を申しあげるべきなのですが、ほとんどの方は遠隔地にお住まいのため思うにまかせません。この場を借りまして、感謝の意をつたえたいと思います。本当にありがとうございました。

 ということで、今月のこうしゅうでんわなのだが。うーんと。さすがに今回は調子が出ないな。例によって仕事は遅れっぱなしだし、今回の件でさらに仕事が停滞するわで書くべきことがない。遅くとも3月には出るはずだった『覇者の戦塵』も4月刊が確定になってしまいました。東京でやるはずだった業務の打ちあわせがキャンセルになったので、こちらの方もめだった進展がない。さて、何を書けばいいのか。迷っていても仕方がないので、親父のことなどを書くことにします。いつもとは違って内輪の話になるのだが、そこらへんはご容赦ください。

 いまさら隠すことでもないんで書いてしまいますが、父親はいまでいう認知症でした。ことのおこりは五年半ほど前のこと。人外協の秋のキャンプが終わって帰宅したら、同居している父親の様子がおかしい。母親(つまり妻)の顔をみて「どちらさんでしたかな?」などといっている。あわてて病院でみてもらったら、脳梗塞でした。ただし麻痺などは残らず、記憶のみが退行しているみたい。これが実はくせもので、頭がぶっ壊れてるのに体は頑健そのものという実に何というか厄介な状況になりました。その間の話はヘビーすぎるので略すとして、翌年の春に介護保険がはじまりました。当初は要介護3度に認定されたんですが、すぐ5度に変更されました。それだけ症状の進展が早かった、ともいえるのか。で、寝たきりになったのがいまから2年前。もう固形物は摂取できず、胃に直接栄養剤を流しこむ状態が丸2年間つづいたと。

 その間も肺炎をおこして入院→いまのうちに親戚を呼んだ方がいいかも→奇跡的な生命力で回復・退院などということをくり返してました。で、先月も肺炎で入院して今月はじめに退院したんですが、その翌日に救急車で病院に逆もどりしました。この段階でも、まだ家のものは楽観的でした。入院2週間程度ときいていたんで、まだ今度も無事に退院してくれるだろうと予想して翌日の朝に甲州は上京したんですが……。SF大賞の贈賞式と、それにあわせた作家クラブの総会やら何やらで朝一番の飛行機に乗って東京に着いたのが9時半。父親が息をひきとったのは、その30分後。唖然としました。あのなあ、もう少しタイミングを選べよなあ。授賞パーティまで辛抱せいとはいわん、ほんの数時間、せめて打ちあわせや総会が終わるまで待ってくれればいいものを。まったくもって、最悪のタイミングで息をとめてくれましたわ。

 で、その日の予定は全部キャンセル。編集さんの手を煩わせて、なんとか帰りの便を確保しました。新幹線で移動中に電話で打ちあわせをしたんですが、実は日にちも最悪だった。翌日に通夜をやると、本葬が友引にあたるらしい。仕方ないので、葬式を一日先延ばしにしました。たった一日のことだけど、これが家族全員に負担をかけることになってしまった。葬式の日には喪主の甲州も疲労困憊状態で、坊さんのお経をききながら居眠りをしておりました。鐘を鳴らすクワーンという音で、はっと眼をさましては「なまんだぶなまんだぶ」とくり返す落語の「居眠り念仏」そのままでした。なんだ、内輪の話なのに、ちゃんと落ちがついたな。あんまり綺麗に落ちてないけど。




● 戻る