前に書いた『ダンピール海峡航空戦上』はなんとか九月に出せたものの、下巻の方は例によって停滞したまま四苦八苦しております。予定では十一月刊行のはずなのだが、さてどうなることか。ということは今月もまた書くことがないと。世の中は物情騒然としていてすぐに戦争がはじまりそうな具合なのだが、あらためてコメントすることもないし。
などと考えていたら、テレビでパキスタン西部にある武器村の映像が流れていた。この村には甲州も81年ごろいったことがあるのだが、テレビを見たらやってることはいまも昔も全然かわってないな。トライバル・エリア(民族自治区)内にあるダルーという村なのだが、職人が手作業で機関砲から拳銃までつくるという無茶をやっている。81年当時はアフガニスタンでソ連と戦争をやっていた最中だったから、武器の需要もかなり多かったらしい。カラシニコフ(といってもコピー)がずらりとならんだ店先をのぞいていたら、店番のじいさんが親切に説明してくれた。じいさんいわく「この武器はコミュニストと戦うためのものだ。モスレムはみな兄弟だから、彼らに銃口をむけることはない」だと。うーん。なんか格好いいぞ、パシュトーン族。ということで航空宇宙軍史をやったとき小型の宇宙機に「グルカ級」や「シャイアン級」などといっしょに「パタン級(パタンはパシュトーン族の別称)」という名前をつけようとしたのだが、結局やめにしたことがある。「ぱたんきゅう」では酔っぱらってひっくり返ったみたいな名前だから。
それはともかく。そのじいさんは売り物の突撃銃を持ちだして「ためしに撃ってみるか」などといってくれた。実際に店の前では、客が拳銃を空にむけてパンパンぶっ放していた。とはいえ突撃銃を持たされても、使い方がわからない。正直に「日本では市民が銃を持つことは禁じられているので」といって断ったら、じいさんに軽蔑の眼でみられてしまった。いい年をした若いもんが、銃の扱い方も知らんのか、という状況なのだな。おなじ店にいた小学生くらいのガキは、ほんまもんの拳銃を玩具がわりにして遊んでたし。
で、テレビの話にもどる。マイクを手にしたレポーターは「ここはトライバル・エリアでパキスタン政府の力もおよばず――」などと、いかにも危険地帯に潜入しましたみたいなことをいってたが、あまり信用せんように。この村はパキスタン政府の観光パンフレットにも掲載されている超有名な観光スポットなのであった。観光案内所にいったら、ちゃんと乗るべきバスのことも教えてくれたぞ。ペシャワールから数時間程度でいけるから、日帰りするにはちょうどいい場所なのであった。
それよりは、おなじ時期にいったフンザの方が秘境の雰囲気にちかかった。ラワルピンディからバスに揺られること17時間で北部の街ギルギットについて(途中で何回もモスレムの礼拝につきあわされる)、ここでまたミニバスに乗り換えて半日でフンザにつく。なんでフンザが出てくるのかというと、最近の旅行ガイドをみていたら「ここはアニメ『風の谷のナウシカ』のモデルになった谷」と書いてあったから。SFものなら、一度は足を運んで丘の上で「なぎはらえ!」をやってみたいところだが、81年にはまだアニメはできてなかったのだった。残念。