こうしゅうでんわ

谷甲州

 ダイビングとキャンプも終わってさて仕事というところなのだが、例によってのたのたペースでしか仕事が進んでおりません。こんなときはネタに困るよな、と思っていたら、こうしゅうえいせい3Vがとどいた。で、ぱらぱらとやっていると比良の縦走記「山歩道行」が眼に入ったのだが……。うーむ。この冒頭の文章「途中を通過してバスは――」の意味を、正確に理解できる人は少ないのではなかろうか。それとも、最近では誰もが知っている事実なのか。念のために書いておくと「途中」というのは国道367号線の地名(読みは「とちゅう」)で、おなじ名前のバス停もある。甲州が学生だった30年ほど前には、間違えやすいというのでバスの車掌さんが(いたのだ。当時は)わざわざ「次は近江途中でございます」などといっていた。三条あたりが始発のバスはほとんど途中どまりなので、乗るときは車掌さんと「花折峠までいきますかあ?」「いえ、途中までです」などという妙な会話をかわしていたのだった。

 それはともかく。林さんの「宇宙SFを書くのに――」の記事を読んで気づいたこと。本筋と関係ないツッコミで申し訳ないのだが、実をいうと甲州はネパールでは手回し(タイガー)計算機は使っておりません。当時はすでにポケット電卓を使っておりました。ただし最初のころは液晶表示ではなかったので、何時間か連続して使うと電池切れを起こすという厄介な代物だった。三年めから住みはじめた田舎の村では電池が手に入らず(そもそも店がない)、一週間に一度だけ4キロほど離れた村で開かれる市場でも電池は売っていない(売ってるのは食糧品だけ)。仕方がないので休みの日に半日かけてバイクで街まで電池を買いにいって、やれやれこれで電卓が使えると思ったら使用済みの電池を売りつけられていたのに気づいて地団駄踏んだ、という話は結構あるのだが。関数に制限があったので測量用の数表を併用したりとか。途中からはプログラム電卓が使えたのだが実際には手計算に近いことをやってたりとか。当時の創作用メモ書きをみると、びっしりと手計算のあとが残っている。なんだ、手回し計算機の時代とやることはかわってなかったな。

 いまから考えたら甲州が技術者をやってた時期というのは、電卓がすごい速度で進化していった時代と重なっているのだな。卒業間際に所属している研究室で購入した備品の電卓は、辞書ほどの大きさで電源のある場所でしか使えなかった。値段が大学卒の初任給とほぼおなじで、できる計算は四則演算だけ。三角関数や対数が入りこんでくる技術計算になると、昔ながらの計算尺や筆算の世話になっておりました。測量の座標計算を筆算だけでやろうとすると、これは本気で死にます。あとで計算間違いがないか点検するために計算用紙を残しておくのだが、これだけで普通サイズのノートまるまる一冊を使ってしまった。で、たいていどこかで計算を間違えている。で、泣きながら徹夜の連続で計算をやり直すと。いまのパソコンなら、一瞬でできる計算なのだが。

 それが卒業の直後から電卓が猛スピードで進化して、という話は長くなるので、また別の機会に。今月はこれまで。でも手回し計算機で軌道計算という方が、都市伝説めいててよかったかな。




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