なんかあっという間に一年がすぎて、気がついたら20世紀も終わりかけておるなあ。でも世紀末だというのに、こんなに静かでいいのかね。ここまでしらけた世紀末だと、いっそすがすがしいというか。
前に「鬼は笑うように」と書いた早川書房のアンソロジーは、すでに本になっております。そういえばSFバカ本の宇宙チャーハン篇も、なんとか本になりました。しかも今回は黄金スパム篇と同時発売というめでたさも二倍状態なんだが、今度は大丈夫だろうな。バカ本の刊行が原因で版元がつぶれたりしたら、そらもう笑うしかないというか。なんというかSFの根というのは、結構しぶといものがあるようです。上から踏んづけても除草剤をまいても、地球が滅びてもしつこく生えてくるような気がする。しかしま、結局このタイトルでいったんだな。もともと「たわし篇」とか「白菜篇」とかも本のデザインをみて適当に決めたそうなんで、首尾一貫してるといえばその通りなのだが。
今月はようやく短編仕事やその他のあれやこれやから解放されて、書き下ろしの長篇に専念できるかと思ったのだが、SFマガジンの連載たちあげに手間取ってそれどころではなくなっております。長篇の書き出しというのはいつも四苦八苦するのだが、今回も例によってあーでもないこーでもないと頭を悩ましておるところ。ところが前にあらすじを編集長に話したら、「あ、2001年ですか」といわれてしまった。え、そうなのかと思ってよく考えてみたら、たしかにクラークの2001年と筋書きとかシチュエーションがそっくりだった。作者はまったく意識してなかったのに、なんでここまで似るかね。宇宙から刺激をうけて猿人が突然進化をはじめたとか、その原因を探るために太陽系探査に着手するとか、なんだ、モノリスが出てこないだけで他はまんまではないか。さすがにこれはやばいと気がついて、軌道修正で四苦八苦の自乗になっております。いっそ気がつかないまま書いていたら、例によって脱線につぐ脱線でクラークとは似ても似つかんものになったような気もするが(人類の進化が『エリコ』になったみたいな)、中途半端に意識するものだから余計にややこしくなってしまった。結局、甲州はクラークとか小松さんの呪縛に、いまもとらえられてるのかね。世の中そんなもんかもしれんが。ということで、結果は今年最後のSFマガジンをみるように。
それでは皆さま、よいお年を、というか、めでたい新世紀を。でも、本当に21世紀はくるのか。いまごろになって宇宙がノストラダムスに義理をたてる気になったら、それはそれで面白いかもしれん。知らんが。