赤壁の戦いといえば、魏の曹操軍 VS 呉蜀連合の天才軍師たちの活躍といった三国志のハイライトシーンを思い浮かべるものだが……。残念ながらこれは兵庫県の姫路にあるシークリフ(海食崖)で、赤壁ではなく小赤壁。
姫路へ行くことになった。きっかけは最新刊の岩雪(『岩と雪』一五六号、山と渓谷社から出版されている赤字経営のクライミング雑誌)に小赤壁が紹介されていたからにすぎない。
当日、淀屋橋に午前八時待ち合わせ。車に乗り込むと「もう一人いるから」と林氏。児玉嬢かなと思っていたら彼女が乗り込んで来た。児玉嬢(OL)は、クライミングをやっていることは親兄弟には極秘だそうで、バレたら面倒な事になるらしい。
西へ西へと車を走らせると、横断幕のような東経一三五度の子午線を示す看板が目につく。姫路東ランプで下りて、南へ下り山陽電鉄の高架を越えて国道二五〇号線を東へ進み……迷ってしまった。「それらしい所あらへんで」「ほんまにあるんやろか?」「なぁ、あれとちゃう、ほらヨットハーバー」あったあった。ヨットハーバーの前の駐車場に車を止めて、喫茶店でJ氏(仮名)と合流する。どこか彼は、六〇年代のヒッピー(若い連中にヒッピーなんて分かるかな?)を思わせる。真偽は定かでないが、聞くところによると車に大量の大麻を隠し持っていて、大麻取締法違反とかで当局に書類送検されて(書類送検だけで済んだのが不思議でかなわん)ペナルティーとしてあと一年間旅券の発行が停止されている。くどいようだが真偽は定かでない。つるかめ、つるかめ。
さて、このゲレンデは大阪から車で二時間。山陽電鉄・八家駅より南へ徒歩一五分。喫茶店、駐車場、水道、トイレ、電話完備。アプローチは近く、登りなし。遊歩道まであり、フリークライミングの環境にしては上出来だろう。ただし、夏場はフナムシが出てうっとおしいとの事。岩質は凝灰岩だろうか、定かでない。硬くてもろい。林氏は電動ドリルをかかえてJ氏と二人でさっさと登ってしまった。児玉嬢と二人のこされた筆者は、別パーティーの飼い犬マーク(シベリアン・ハスキー犬、雄七才)に遊んでもらっていた。コワイ顔、でもフレンドリー。番犬にはならないだろう。児玉嬢はチョビだチョビだと言ってはしゃいでいた。
林氏が「あかん、硬うてドリルが通らへん」といって降りてきた。このゲレンデの開拓者である富田昌信氏の許可を得たので、支点用のボルトを打つつもりだったらしい。ルートにプロテクションを残す場合は開拓者に一言ことわるのがマナーだろう。
マークと別れて、《イルカはおるか (5.9)》をトップロープで登る。すんなりと登れる。「リードできそうか?」と林氏。「林さんがビレイ(確保)してくれたらできると思う。《ウォーターゲイト (5.8)》より簡単な気ぃするし」「前傾壁やないからな。やってみぃ」ということで登りだす。やっぱり墜落のプレッシャーあるなー。一五メートルのルート中ペツル(ハンガーボルト、残置プロテクション)が三本セットされている。三メートル間隔に打たれているとして、最大墜落距離は六メートル。足下をしっかりと確認しながら、ノーテンション(岩壁から落ちて保持ロープにぶらさがってしまうこと、言い替えればロープに張力[体重]をかけてしまうことをテンションという。つまり、ノーテンションというのは落ちなかった、ということ)でクリア。児玉嬢は足が不調(室内壁で練習中に落ちて足を負傷した)でリードしないので、カラビナを回収しながら降りる。
丁度お昼になったので喫茶店で昼食にする。
ヨットハーバーを観ながらの昼食。シーサイドクリフで公園にもなっているので、クライマーの方が後から押し寄せてきたことになる。犬を連れて散歩したり、大公望を楽しむ者、アベックや家族連れなんかが目につく。このゲレンデの開拓期間が一九九二年一月から四月までの三ヵ月間(実際は天気に恵まれた休日しか開拓出来ない)というからスピーディーな開拓だったと思われる。筆者のような初心者用の今日では有難いゲレンデ。
昼食後《イルカはおるか》の隣のルート、《イージードライブ (5.5)》を見ただけでやめた。「登ってもしゃーない、イメージで登っといて」と林氏。《ブラック・メルセデス (5.10a)》をJ氏がリードする。美しいムーブ(登攀動作)だった。しかし、クリップしようとした途端に脆いホールド(体重支点となる手掛または足掛)が崩れてテンションがかかって、岩が落ちてくる。「ヘルメット持ってくるんやった」「ボルトよう効いているやんか」等と、ギャラリーである筆者達は勝手なことを言っていた。再度J氏が登りはじめるが、またしてもホールドが崩れてテンションがかかってしまう。ボロボロのルート。続いて児玉嬢が登る。ウエイトが軽いので、ヒョイヒョイと登っていく。日本女性は躰が軟らかくて、身が軽いのが有利な点だ。彼女に言わせれば、上背がある方が羨ましいらしい。確かに上背があるほうが圧倒的に有利だが、有利すなわち勝ちではない。それをどう活用するかはクライマー次第だ。宝の持ち腐れって言葉があるぐらいだから。
続いて筆者。クラックに指を突っ込んでレイバックにもっていったら、岩がミシミシと不気味な音をたてている。「行け」「ガンバ」などと声援がとぶ。根性のない筆者は恐くなってそのままテンションを掛けて降りてしまう。林氏はボロボロと崩しながら登っていく。「ホールド破壊をする林。写真に撮って岩雪に投稿してやろう」などとアホなことを言っていた。
真面目な話、これだけ崩れやすいゲレンデならばグレードが変ってしまうのもそんなに遠い将来ではないだろう。いや、ルートそのものが無くなってしまう可能性の方が高い。よく「山は逃げない」なんて言うけれど嘘だ。山もこのルート同様、登山用具や交通機関の発達、道路網や通信網の整備、自然風化、開発の波に押されて年々その姿(あえて何処の山だとは言いません)や登るスタイルだって変っている。一度逃してしまえば二度と再び……「山は逃げる」なのだ。
移動して、《河童の涙 (5.10a)》をやる。J氏のリードに続き、児玉嬢、筆者、林氏の順番で登る。全員(J氏と林氏は当然)ノーテンションでクリア。上に着くと、J氏、恐ろしいビレイをしていた。「スポーツ・クライミングしかやってへんからなぁー。終了点の取り方、知らんねん」とのこと。……つるかめ。シュリンゲの使い方を教えてやる。あまり岩場に行かないとザイルワークやクライミングギアの使い方が分からなくなってしまう。
「リードやってみるか?」と林氏が言うが自信がない筆者はやめる。今にして思えばやるべきだったと後悔している。
午後三時になって、マークは飼主に連れられて帰ってしまった。風向きが変って寒い西風が吹きだした。諸葛亮かあの犬は。寒いので、《コケコケ (5.10a)》をやって最後とするが、筆者だけが核心部で落ちて登れなかった。はっきり言ってメチャメチャ悔しい。
落語のテープを聞きながら、持参した昼食用のパンや御菓子なんかを帰阪中の車の中で皆で寄ってたかって食べていた。『……十万八千両の大儲けや。今度はなぁ、穴の開いた水瓶みつけてきた』(桂米朝『はてなの茶碗』より)
後日談になるが、ホールドを取るのに普通はムーブで解決するのだが、筆者の場合は上背だけで解決しているのだと、林氏の撮影したビデオで嫌というほど思い知らされた。ああ恥ずかしい。これじゃとてもオーバーハングはクリアできない。目指せイレブンクライマー、ヨセミテのゾディアックやノーズぐらい登ってみたいと憧れる筆者であった。
天羽隊員へ。ナターシャセブンのワンカップ大関のCFソング懐かしかった。ええ歌やった。