西日本百低山 EX
リードは恐かった

中野[日本以外全部沈没]浩三

 ゴールデンウィークに大峯山を縦走したのを最後に、山らしい山には登っていない。
 ならば、休日はなにをしていたのかと言えば、フリークライミングばかりをやっていた。高所恐怖症の克服を目的として始めたものであったが、気がつけば縦走なんてやっているよりも、こっちの方が面白いように思える。始めて間もない筆者がこのようなことを書くのもおこがましいが。
 フリークライミングとロッククライミングの違いは、と言えば、まずロックは道具を使って登る。フリーは道具を使わずに、バランスを取りながら登って行く。ザイルやカラビナやハーネス、エイトリングなんかは墜落したときの安全確保であって、これらの道具に頼って登っているのではない。だから海岸の岩壁やビルの壁、室内ウォール、擁壁、勿論、山の岩場だってかまわない。ルートを開拓して(なかには、開拓オタクもいるらしい。それなりのテクニックがいるので素人には難しいと思う)登っていく。
 六甲山に保塁岩と呼ばれる岩場がある。名前どおり積木を積み上げたような岩場である。この岩場、東陵、中央陵、西陵の三つの岩場からなっている。保塁岩へは林氏と江ノ木島君それに筆者の3名で行った。天気予報では昼から雨が降るようなことを言っているが振れば降った時のことである。岩場に着いて、ザックを降す。瀬戸内海が霞んで見える。弁当は、ザックの奥にしまっておくようにと林氏に言われた。かつて彼は、弁当を出していて、カラスに食べられてしまった暗い過去があるらしい。
 岩場と言っても、一般道から少し外れた所が切れ落ちている。東陵には別のパーティーが取り付いていたので、中央陵で練習することにした。中央陵は三段になっている。シュリンゲを残置ボルトを通してザイルと確保する。林氏が降下し続いて筆者。江ノ木島君が続く。経験の浅い者や、へたくそな者はミッテルと言って、三人いれば真ん中になるなるようにする。だから筆者はミッテルをやるしかない。下から見上げると、上部に岩の塊が飛び出して、ダッコちゃんが抱きついているように見えなくもない。それでこのルートをダッコちゃん(若い連中にダッコちゃんなんて分かるかな?)と呼ばれている。
 蓬莱峡と比べればグレードが高い。途中までは花崗岩の結晶をつかむような感じで登って行かなければならない所もあるが、真ん中付近までくるとホールドやクラ
ックがあり後は比較的登りやすい。登れたら降りて、もっと下まで降りて別のルートを登る。ツルツルの岩壁(スラブという)に残置ハーケンが、ぼろぼろに錆びて突き刺さっていた。こんなのにザイルをフィックスしたら抜けてしまう。林氏や江ノ木島君はスイスイと登って行くが、筆者は青息吐息である。二人組みのパーティーが来て、上の岩場を登りだした。
 中央陵の西側、一番下の岩場から登る。林氏がリードして、江ノ木島君がビレイする。7メートル程登った一段目のテラスで確保して、合図があり筆者が登り、江ノ木島君が登ってくる。ぼろぼろの錆びた未使用のハーケンを拾ったが、使用することは出来ない。二段目のテラス、そして一番上迄登る。最後のルートは20メートル程ある。クライミングをやっていると、命が身近に感じられる。ザイル操作を誤ると直接命に関るだけに。フレンズやヌンチャクを回収しながら、アンカーの江ノ木島君が「林さーん、フレンズ抜けまへんでー」と叫んでいる。「やったー、残置(抜けなくて放置されていること)フレンズや」と筆者。「残置はやめてくれー、高かってんでー」(フレンズ、物にもよるが数千円から2万円位する)と林氏。5分程かかってフレンズを回収した。
 最後の20メートルを登って、昼食にした。なんと、二人組みのパーティーの弁当が散乱しているではないか。哀れ、彼らの弁当はカラスに盗られてしまったのである。しかも、おかずだけ盗って、御飯はきれいに残っていた。林氏の忠告を受け入れた我々の弁当は無事であったのはいうまでもない。
 食後、遂に雨が降り出した。OCSのジムに帰って、ユマール(登高器:ユマールは登高器の商品名で、器具のギザギザ部分にザイルをはさみつけて、テンションが掛ってもギザギザに引っ掛かって固定され、落ちることはないが、上にはスムーズにスライドできる)とシュリンゲを使っての空中脱出(墜落して、宙吊りになったときの自力脱出)を教えてもらう。また、ビレイヤーがいなくてもクライミングの練習方法も教わった。
 3日後、仕事で現場調査からの帰りに林氏に電話する。「林さん、ザイル取り扱ってます?」「有るで、どんなんがええ?」「11ミリ・・・いや、10.5ミリの弾力のあるやつ。そやなー、ブルーウォーターがええ、それからユマールも。これから行きます」「ほな、待ってます」ガチャン。
 1時間後、OCS事務所。「今度の休みに一人で不動岩行こか思いまして」と筆者。「あれをやるんか、不動岩はやめとき、蓬莱峡のこのルートにしとき」と蓬莱峡の写真を見せながら渋い表情で林氏。10.5ミリのブルーウォーターを購入。ユマールはめったに使うことはないので、借してやると言って、借りた。今度の休みに和歌山の岩場に誘われる。行くと言ったが、後日、土曜日、休日出勤しなければならなくなった。行かれないと断りの電話をすると、林氏も行けなくなったとのこと。日曜日に仕事で関大の山岳部の依頼でフリークライミングのホールドを設置し、その後、それで遊ぶつもりである。一緒に行かないかと誘われたので、同行することにした。
 今回の参加メンバーは、まずは林氏、OCS CO.,LTDの社長さんで、ガイド。大井氏、OCSのメンバー。竹内嬢、OCSのメンバー。秋には大井氏と結婚するらしい。宇山氏、プロのカメラマン。フリークライミングの写真を撮りたくてフリークライミングをはじめた人。それに金魚の***のように、ただくっついて来た筆者の計5名。
 学内はセクトの政治スローガンを書いたピケや落書きが目立つ。こんな呑気な事を言っていられるのも、社会に出るまでだろう。さて、山岳部は何処にいるのかと捜していると、学生さんが、もたれ式の擁璧にザイルを張り、あぶみで支えて、電動ドリルで擁璧に穴を開けてホールドを取り付けている。高さ5メートル程、延長25メートルのもたれ式擁璧は、縦断勾配が付いていて、縦断方向に進むにつれて、傾斜もきつくなっている。落書きやピケ貼りが出来ないように大学側が擁璧に吹き付けをやってしまって、表面は大根おろしのようにザラザラである。OCSのメンバーは馴れたもので、半日ほどで作業が完了してしまった。流石プロである。宇山氏は撮影に専念している。顧問の先生や学生さん達が喜んでいた。その間、筆者は邪魔にならないように彼らの作業を見物していただけである。
 作業完了後、早速全員で好勝手にビレイして登る。関大OBの一人が、小指を擦りむいてしまい、擁璧に点々と血痕が付いてしまう。このルートを「血痕ルート」と呼ぶことになった。25メートルのトラバースをやっていると林氏が「300メ
ートルの岩壁やと思え」と言ってアドバイスしてくれる。バランスを崩して落ちてしまった。「カニノヨコバイから落ちてもた」なんて冗談を言っていると、「そんな難しいカニノヨコバイやったら誰も登らへん」と言われる。そらそーだ。このトラバースを大根おろしトラバースと命名した。垂壁でもない傾斜のついた処なので、昼から夕方まで遊んでいると全員、足がガタガタになってしまった。フラットソールを履くのすら辛い状態。垂壁やハングだと腕がパンパンになるのだが。帰りに、江坂に立ち寄って15メートルの室内ウォールを登るがフラフラである。
 火曜日、仕事が終わって江坂で練習していると、林氏に、「ビレイしたるから5.9登ってみぃ」と言われ、登る。今まで5.8までしか登ったことがなかっただけに不安。300メートルの岩壁だと思えと言われ必死である。難しい。ムーブが分からない。が、登りきれた。気を良くした筆者は無謀にも5.10aに挑戦した。が、しょせん無謀だった。「そう簡単に10aを登られたらたまらん」と言われる。奈良の県境に近い京都の笠置の木津川の川原でボルダーリングをやるからと誘われる。林氏に「もしかして、独りで行かさんようにしてるのと違います?」と聞くと「僕の見ている処でやってほしい」とのことだった。彼の立場になれば当然の事だろう。行くことにする。
 土曜日、笠置の木津川の川原でテントを張る。参加者は林氏に大井氏、竹内嬢、林氏の弟さん夫妻の他、石原氏:職業コピーライター。特技、格闘技のエキスパート、刃物オタクである。時久氏:不動産屋、野草にやたら詳しい人。平林氏:よく分からん。それに筆者。皆で鉄板焼きを食べ、ワインを飲んでドンチャン騒ぎ。オートキャンプは信じられない位に贅沢な装備が可能である。
 翌朝、アルファ米とキムチやベーコンなんかで焼飯を作る。野菜炒め、それにホットケーキの朝食。凄いボリュームだった。あせち氏(初対面で漢字が分からない)がやって来た。キャプテンあせち:職業、民間航空会社の旅客機機長、海自にいたときP3C対潜哨戒機のキャプテンをやっていたらしい。
 木津川の上流へ10分ほど歩くと、巨石がゴロゴロとしている。家族連れやグループなんかが酒盛をやったりしているので、近くでボルダーリングをやると、滑り止めのチョークの粉が飛んで迷惑が掛る。邪魔にならない所で、ボルダーをやる。宇山氏が、おフランスの金髪美人の奥さんを連れてやって来た。皆は上手に登っている。やっぱり筆者が一番へたくそだ。竹内嬢が大井氏にビレイしてもらって登っているが、何時まで経っても完登出来そうにもない。「おまえ、腰のハーネス外して直接ザイルを首に巻け。一寸でもテンションかけたら思いっきり引っ張たる」と大井氏。夫婦間のほほえましい会話である。このエリア、数十のボリダーが点在し、百近いルートがOCSを中心に開拓されている。フィンガー(指が入るくらいの細いクラック)に、指を突っ込んで登っていると「下手に落ちたら、指が残置しますから気を付けてください」と林氏。キャプテンあせち、彼は、このルートをオンサイトで完登したが、筆者は悪戦苦闘、手を延ばしてホールドを取りそして、落ちる。「あの男あそこまで手が届くか」と、あきれ顔の石原氏。ねばったが、結局完登出来なかった。筆者の今のグレードでは無理だった。
 しまった、タイトルのリードの話が書けなくなってしまった。ボリス・ヴィアンの「北京の秋」って知ってる?



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