おれはいつだって降下の前になると、あの震えがやってくる。(一度でいいからこういう書き出しをやってみたかった。RAHのファンの方ごめんなさい)
ご大層な書き出しで始まったが、別に強化防護服を着て衛星軌道から敵陣目掛けて垂直降下をやっている訳ではない。何をやっているのかと言えば、裏六甲の蓬莱峡でヘルメットを被りフラットソールを履いて、今回のパートナーであるガイドのH氏にザイルで確保(ビレイ)してもらってロッククライミングをやっているだけである。そう、今回の西日本百低山にEXと付けたのは山のピークを目指したものではなく、トレーニング用のクライミングの話。そう言った意味では、百低山なんでタイトルはふさわしくいのかもしれない。(ド素人が、こんな事を書いてもええんかな?ベテランの方、笑って許して)
何故こんな事をはじめたのかと言えば、ある年の夏、北アルプスを独りで縦走中に岩稜歩きをやっていて、その高度感に怖くなって引き返した経験があったからだ。グレードとしては、1級或いは2級くらいではなかったかと思う。因みに、RCC2の制定したグレードの1級と言うのは三点支持が不要で、2級は三点支持が必要になり、3級から上はザイルによる確保が必要となり、4級、5級と難しくなっていく(なんか、漠然としてよく分からん)。
ここ、蓬莱峡のグレードは3級、4級まではないと思う。故にここは初心者向きである。中国自動車道の西宮北ICでおりて、有馬街道の座頭谷に車を止めてすぐの所に蓬莱峡のロッククライミングの練習場がある。バスも止まるし、JR宝塚線(福知山線)なまぜ駅から西へ歩いたところで30分くらいの距離。真南に東六甲の大平山が見える。侵食作用によって見事な奇景が展開している。宏祐さん(清水[オフィサーズクラブオーナー]宏祐隊員)によると、かつて映画監督の黒澤明がここで映画のロケをやったらしい。
蓬莱峡の底に降りるとまるでバケツの底にいるような気がする。夏になると暑くてたまらないらしい。ここには、武庫川に流れ込んでいる大多田川が流れていて、一見、水は透明で澄んでいるように見えるが、上流は宅地になっていて飲料には適さない。夏になるとこの水が、お湯になる。
日曜日と言うこともあってか、7、80人程の先客がいて、順番待ちをしている。先ずは、装備を降ろしてフラットソールに履きかえて、滑り止めのチョーク(白墨ではない。石灰の粉である)を手につけて、空いている岩場でトラバース(この場合は、ホールドを求めて横に移動すると言う意味)の練習からはじめる。ホールドにはチョークが付いていてすぐに分かる、と教えられているが、フリークライミングの室内ウォールのようにホールドが赤や黄色、グレー、グリーン、ブルーとカラフルに色分けされている訳ではない。当たり前の事だけど。初めはどれも同じような岩肌に見える。それでも岸壁に取り付いてトレバースをする。10メートル程トラバースして気を良くしていると、「この辺から難しくなる」と言われた途端に落ちてしまった。100度近くオーバーハングしている。5.10a位のテクニックがないと難しいらしい。何度かトライしてみたが、へばりついているのがやっとだった。20分程そんな事をやっていた。
いよいよ岸壁にトライである。パートナーがガチャ(クライミングギア)をいろいろと取り出して、最終点検をしている。ザイル、ヌンチャク(シュリンゲを短めにした両端にカナビラをつけたガチャ)、エイトリング(数字の8のような形状をしているところからそう呼ばれるらしい。ザイルをこれにかけて、登下降時に制動効果をもたせる)、ナッツ(分からなければ、谷甲州著「遥かなり神々の座」を参照すること)、フレンズ(4枚のカムが常に開いた状態にあり、クラックに突っ込むときに引っ張ってカムを閉じた状態にして、クラックに突っ込んだときに放すとカムが開いて固定されるガチャ)等(なんやら、用語解説だけでページがうまりそう)。「これ全部使うんですか?」と筆者。「そうです」とパートナー。と言うことは、トップロープではなく、リードで練習するのか。
ハーネスを装着し、ヘルメットを被り空いている岸壁に行き、確保の仕方から教わる。岸壁にリングボルトが2本埋め込まれていた。それにカラビナをつけて、シュリンゲを通して一度ねじって(シュリンゲをねじる事によって片方のボルトやカラビナが外れても、残りで確保できるが、ねじらなければ一方が外れれば確保できない。図解したほうが分かりようだろうな。残念)それにカラビナを掛けてハーネスにつけてセルフビレイする。筆者はエイトリングにザイルを通してパートナーを確保する。パートナーはリードで登っていく。ザイルを送り出して、残り少なくなって暫くすると「ビレイ解除」と上からパートナーの声がする。ザイルの残りからすれば、この岸壁は40メートル以上はある。リングボルトからカラビナ、シュリンゲを外してビレイ解除。今度は上のパートナーによって筆者が確保されて、残置ハーケンやクラックからヌンチャクやフレンズを外しながら登っていく。フリークライミングの室内ウォールと比べると、遥かに登りやすい(グレードが低いから当たり前である)。皆がアイゼンを履いて登っているので、最初はルートにアイゼンの前に突き出した2本のツァッケの跡がついて、やがて同じ処を行くために花崗岩に馬蹄型の穴があく。この岩場はそんなアイゼンの白い跡でいっぱいである。自然破壊と言えば自然破壊である。半分ほど昇ったところでホールドが無くなった。カンテにしがみついて上にホールドはないかと捜していると、上から「足を開いて左へトラバースして、チムニーに身体を入れる」とパートナーの指示があった。成程、確かに3、4メートルのチムニーがある。チョークをつけて、足を左へ延ばして、手を延ばしてホールドを取りに行く。こんな時は身長が高い(腕や足が長い)ほうが、より遠くのホールドを取りに行けるので絶対的に有利である。チムニーに身体を入れてバッキングアップ(チムニーなんかで背中を岩に押しつけて登る方法)で登って行く。上に着くと、2本のリングボルトと松の木にシュリンゲを通して確保されていた。ビレイを解除してザイルを束ねて一般道を小石なんかを下に落さないように、注意して歩いて降りる。そして、別の岸壁で順番待ちをして登る。午前中はそうやっていくつかのルートを登った。
パートナーのH氏の知り合いが結構来ていた。彼はアイゼンを履いた知り合いを見つけては、「何を自然破壊に来てますねん」と冗談を言っていた。アメリカでは、岩に傷をつけたりするような登り方をやったら、罰金ものらしい。そこで、岩場を傷つけない、ハーケンやボルトを使わないで登るクリーンクライミングが生まれたらしい。話は少し外れるが、聞くところによると、関西のクライマはマナーが悪い。岸壁にボルトを打っても、すぐにハンマーでたたき落される。ボルトなんて5ミリ位しか埋め込まれていないから、ハンマーの一撃で落ちてしまう。クライミングの練習に来ているのは支点確保をあまり必要としない上級クライマーばかりではなく、筆者のような初心者だっているのだ。もっとも、ロッククライミングに限らず世の中、絶対等と言うことはない。上級者だって格好つけて支点確保せず、万が一墜落すればお釈迦である。数十メートル、或いは数百メートル墜落して、五体満足で生きていられる自信があれば、話は別であるが。故にボルトやハーケン等を抜いてはいけない事になっている。
お昼になったので昼食にする。毎度の事ながらフラットソールの紐を緩めると、ほっとする。フラットソールは、足とフラットソールを隙間無く密着させるために、いっぱいに締めあげて履く。
お昼になると、日向は鍋底の暑さになる。真夏だと鍋底の熱さになるらしい。
アルファランの水筒に入れた水が湯になっていた。エスビットで珈琲を沸かして、パンを食べる。H氏は水筒にアイソトニック飲料を1/3ほど入れて、凍らせて残りを満たして飲んでいた。少し戴いたが、冷たくて美味だった。
昼休み、暫くはトラバースをやって遊んでいたが、難しいところでやはり落ちてしまった。
昼休みも終わり、また別ルートを登り始める。緩やかにオーバーハングした処は、今の筆者のテクニックでは無理である。トラバースするしかない。しかし、筆者があたふたとトラバースしている前を、自分の体重よりも重たい荷を、何の確保もなしに天井ハング(180度のオーバーハング)をボッカしている奴がいる。見上げた根性だ。だれあろう蟻さんである。時々、ローダンの後書きにかえて、で、松谷健二さんが、蝿や蜂のホバリング能力や、戦闘能力について誉めておられるが、蟻のクライミング・テクニックだって凄いと思う。5.14bどころではない。彼らにとって、大気や重力はどのように感じられているのであろうか。少なくとも、人間が感じているのとは、また違ったものだと思う。 上に着いて立ってみると、右も左もナイフエッジの絶壁。正直なところ、ビレイを解除すると怖い。ここは20メートル位しかないのだが。これでは当分岩稜歩きは出来ない。
さて、一通りのルートを登り終えて、懸垂降下をする。始めて降下をやったのは、三田の不動岩だったが、あれも怖かった。今から思えばお笑いである。懸垂降下は楽である。エイトリングにザイルをつけて、エイトリングとハーネスを安全管付のカラビナで着けてやればよい。このとき、注意すべきことは、エイトリングの下側のザイルを放してはいけない。制動が効かなくなり、そのまま下まで落ちてしまう。
用意が出来て、下に人がいないことを確認して、「ザイルダウン」と大声で叫び、束ねたザイルを下に投げる。安全を確認してから、懸垂降下する。薮があったので、障害物を避けるために、右へ振り子トラバースをして着地。続いて、H氏が降りてきた。ザイルを回収するには、一般的にはザイルを二つ折りにすればよい。1ピッチ50メートルのザイルであれば、降下時に使える長さは25メートルとなる(カタパルトで回収すれば50メートル使えるが)。本当はこのボルトにつけたシュリンゲは、回収されることはなく、一般に捨て縄とも呼ばれている。だから、ボロい捨ててもよいような、カラビナやシュリンゲを使えばよいのか、と聞くと、自分の命が惜しくなければ、
と言って怒られた。もっともである。MADE IN JAPAN
のカラビナは使用しないほうがよいと言われた。かつて、室内ウォールで日本製のカラビナで確保していたら折れてしまった。更に、補助用にしていたのまでが、折れてしまったらしい。なんとも怖い話である。いくら値段が安いからといっても、使えない。年金を貰うまでは生きていたいと思う筆者であった。話が脱線してしまった、エイトリングなしで、カラビナを復数個組み合わせて、垂直降下する方法なんかも教えてもらったが、あくまでもエイトリングを無くした時の非常手段である。
脱線ついでに、この日見た恐い話を二つ。
その1、別のグループのオバちゃんが、ビレイヤーとなってパートナー(男)
を確保していた。見ると、リングボルトのリングが楕円形(新しいリングボルトのリングは円形、楕円形になっているのは墜落したのを受け止めて、変形した物で、抜けやすく壊れやすい)になったやつに、カラビナを掛けてシュリンゲをねじらずに通していた。パートナーが上級者で、墜落しなかったのが幸運である。降りてきたパートナーがこの確保を見て、脅えていた。
正しいビレイ | おばさんのビレイ |
スリングをねじってカラナビに通せば、一方が外れても、もう一方で確保できる。 | スリング(シュリング)の一方をねじってないためどちらか一方のボルトが外れたら、おしゃかである。 |
その2。二十代前半位の男と、女二人のグループがいた。女の子一人が上にいて、男の子が下にいて、そして明らかに初心者と分かる女の子が懸垂降下していたが、何を思ったのか、降下している女の子がホールドを求めてクライムダウンを始めた。それを上にいた女の子がホールドを指示している。そして、下の男は確保すらしていない。これは、道具を頼らずに、確保なしのフリーソロと同じで、普通は落ちたら死ぬ。恐いことをしていると、皆が思って見ていると、女の子は降りることも登ることも出来なくなって、岸壁にしがみついてしまった。見かねていると、H氏が男に女の子を確保するように指示を出したが、何を考えているのか彼は、女の子の真下で確保しなければならないところを、斜めに確保してしまった。「そんな事をすれば、ビレイヤーが飛ばされる」とH氏が注意した矢先に女の子が、落ちて、ビレイヤーの男が2メートル程飛ばされた。しかし女の子はとっさに岸壁にしがみついて無事だったが、脅えて動けないことにかわりがない。結局見かねた見物人の一人が、女の子を上で確保して上げたが、気の毒に彼女は上に着いた途端しゃがみ込んでしまった。あれでは、喉はカラカラ、手足はガクガク、パニックだ。降ろすときは、トップロープで降ろして無事だった。
カラナビでハーネス につけて、自己確保する。 |
エイトリングより下のザイルを引っ張っているとブレーキがかかり墜ちないが、下から荷重がかからなくなると、墜ちてしまう。 |
以上の二点から教訓を求めるとすれば、クライミングを始める前に、初心者には、先ず安全から教えること。一歩間違えれば、直接命に関るだけに、素人や登山歴何年なんて、いいかげんな者や、独学でやろう(志は立派だと思う)などとしないで、プロにレッスンを受けるのが安全確実。プロは金で買えるが、命は買えない。死人や怪我人が出なかったのは、たまたま運が良かっただけである。
「確かに余計なことやったかもしれんが、事故ったら救急車を呼ばなあかんのは、こっちやで」とH氏が言った。そう、何かあれば動けるものが救助を呼ぶ。当たり前の事である。
終わってみると、腕はパンパン、指紋は無くなる、熱いものがもてない、物が握れない。情けない限りだが、充実していた。
日がな一日、クライミングに耽る。