読んだふりをするための
「平成悪党伝」

花原[私を「まちゅあ」と人は呼ぶ]和之

 昨年に続いてハードボイルド作品の紹介です。今回取り上げるこの「平成悪党伝」ですが、私などはタイトルから想像すると…なんとなく「ねずみ小僧」というかなんというか、そういう方面のいわゆる「義賊」モノを連想してしまうのですが、いかがでしょう?
 いわゆる非合法行為をしてはいるものの、弱者を助けて巨悪に立ち向かう何者かの話、というイメージを受けます。実際は…この本の裏表紙にあるように「企業ハードボイルド」というほうがしっくりくる話なのですが。ちなみにうちの相方は、私が読んでいるのを横からちらっと見て「『蘇える金狼』みたいな話?」と言ってました。こっちのほうは映画を(テレビ放送で)断片的に見たような見ていないような…という感じなので(確か詐欺師の話だったと思う)なんとも言えませんが、どうなんでしょうかねえ。──そういえば、この「平成悪党伝」も(場面を少し修正すれば)「火曜サスペンス劇場」とかなんとかの原作にもできるような気もします──宇宙にもヒマラヤにも、それどころか外国にすら行かないし。
 内容の紹介の前に、本の外観を見てみましょう。まず、表紙は拳銃が二挺で──というよりも、異なる拳銃の持ち方をしている手を組み合わせた構図で──しかもそのそれぞれの絵の大きさが違ったりしているのもあって、ちょっとなんというか落ち着かない感じです。拳銃と言えば、帯のほうにも「一挺の拳銃がサラリーマンを豹変させた!」とありますから、ドンドンパチパチな話の予感がしてきます。ちなみにこの帯には「トクマ・ノベルズ創刊21周年特別書下し作品」とあるのですが、「20周年」ではなく「21周年」だからか「特別」という言葉がちょっと浮いている感じがします。なお、この帯の後ろ側には「エミリーの記憶──時空のはざまに生きる男と女を描く14の物語」と「凍樹の森──大陸へ渡った男たちの不屈の闘いを描く超弩級冒険巨編」という甲州作品の紹介もあります。本書と、この二作品が同時期に出版されていることを示すこの帯は、当時の谷甲州の活動範囲の広さを物語っているという点で、ある意味貴重なものと言えるのかも知れませんね…。

主な登場人物

玖珂寛治
主人公。中堅のゼネコン・大倉建設勤務のサラリーマン。この性格と行動パターンは、ひょっ……とすると、若き日の谷甲州に通じるところがあるのかも知れません(もちろん、このあたりの根拠は全くありません。念のため)。主人公と言えば主人公ではあるはずなのですが、やや短気すぎたり、流されてるというかのせられている側面が多いような気がするあたりがちょっと弱いかも。
笠谷美由紀
影の主人公。玖珂の恋人。そんなに出番が多いわけではないのだが、この人が出てくると玖珂がピリッとするような気がする。もう少し鍛えれば!?玖珂に替わって十分に主人公を張れる人物だと思う。
花瀬
ささいなことからの喧嘩のあと、トカレフを玖珂に譲ってこの話の発端を作った単なるチンピラヤクザなのだが、なかなかいい味を出している脇役。余談ですが、甲州作品の名脇役──ラムやロッド(タナトス戦闘団)とか源爺(エリコ)とか──を一堂に集めた物語を作るとなかなか楽しいような気がします。…ただし、収拾がつかなくなる可能性のほうが大きいかも知れませんが。
梁川
大倉建設社員。玖珂の直属の上司として彼とともに北関東の某県での営業活動を担当。以前はその某県で小さな土建会社を経営していた。鷹揚で温和そうな表情と剣呑な表情をあわせ持つ、いぶし銀の人物。
沢田部長
 玖珂と梁川を某県に派遣した大倉建設のやり手の部長。彼のふるまいから感じられるのは「とにかく(あっちもこっちも…というよりもあんなことやこんなことまで)精力的」というところ。「バリバリ」という擬態語がよく似合う感じ。バイタリティにあふれすぎていて、個人的にはあんまり一緒に仕事したくないタイプ。
栗原社長
栗原土建の社長。典型的な小悪党。でっぷりと脂ぎった、いろんな意味で近くにいて欲しくないタイプ。
栗原敏明
 栗原社長の甥。暴力とともに(肉体的に)成長してきた男だが、門脇(低く飛ぶ鳩)ほどの迫力もしぶとさもない。玖珂による表現を借りると、この男は「性格が破綻している」らしい。ちなみに「破綻」とは「やぶれほころびている」という意味であるが、性格がやぶれたりほころびたりしていると、関り合いになってしまった人にとっては迷惑極まりないので、この男はいかなる意味においても近くにいて欲しくないタイプと言える。
吉岡課長
玖珂の直属の上司。隠居部屋と陰口を叩かれる三課の課長。特技は説教…というよりも説教にのみ自分の存在意義を見出しているようである。たぶん、小さなネタで一時間や二時間説教するくらいは朝飯前、というタイプかと思われる。自分の上司にはいてほしくないタイプだが、意外とあちこちにいそうなタイプでもある。

あらすじ

(本書の事件から数年後、花瀬談)

 ああ、玖珂の旦那の話だったな。
 あの旦那も今じゃ偉くなっちまったからかちょいとばかしまるくなっちまったが、若い頃は──まだ若いが、もっと若い頃は──あれでカタギのサラリーマンがつとまるとは思えんくらい無茶をやる人だった。まあ、俺も若い頃は無茶苦茶をやってはいたが、こっちは所詮ヤクザだ。まあ、玖珂の旦那の場合、結果的にはあの無茶苦茶さ加減がよかったんだろうが…。
 なんといっても、俺が最初に会ったのは、旦那に喧嘩をふっかけられたときだからな。カタギの衆が自分一人で…こっちも一人で歩いているからとはいえ…ヤクザに喧嘩をふっかけたりするか、普通? ああ、最近じゃもっと若いガキのほうが無茶苦茶してるってか? ふっ…あんなのは俺に言わせりゃ自分で自分のケツを拭くこともできんガキがいきがってるだけだ。だいたい若い頃から徒党を組んでしか喧嘩できねえなんて、情けないことこの上ない。
 何の話だったっけ? …そうそう、玖珂の旦那に最初に会ったときの話だったな。そういや、あんときに旦那にやったトカレフは今頃どうなってるかねえ。あの一件がなかったら旦那も今みたいにはなってなかっただろうし、ひょっとしたらあの美人だけど気の強いカミさん…美由紀とかいったっけ…ともうまくいってなかったかも知れねえよな。
 あの一件で俺が知ってるのは、旦那に某県の某市まで呼び出された時からあとの話だから、俺も全部を話せるわけじゃないんだが…そうそう、なんとかいう身体がでかいだけの脂ぎった若造…栗原とかいったっけ…を締め上げにかかったのが最初だったな。あれはなかなかに痛快だった。トーシロとはいえ掛け値なしの悪人を痛めつけるってぇのは、こう…ふだんの、カタギをいたぶるのとか同業者(ヤクザもん)相手の喧嘩(でいり)とは違って、なんかいいことをしてる気分になるからか、ずいぶんと熱が入ったのを覚えてるな。まあ、玖珂の旦那はさすがに一応はカタギだからかちょっとひいてたみたいだが、なに、あんな×××野郎は少々きつめにいたぶってやったって死にゃあしないんだ。
 あのあと、そいつの伯父とかなんとかいう栗原土建の社長を呼び出して酒をたらふく飲ませてやってあっさり二百万ほどせしめた時には、俺にも運が向いてきたかと思ったな。…もっとも、せっかくの俺の取り分を利息もなしで旦那が「貸せ」と言ったときには目が点になったもんだ──まあ、別の意味ではなんか誇らしかったがね。さすがに俺の見込んだ旦那だ、と思ったもんよ。ちょいとばかし、ヤクザとしてのしていくにしては金の使い方とかシノギのやり方とかがおかしかったが。…って、ああ、まあ、旦那は一応はヤクザにはならなかったんだったかな。今でも「惜しかったなあ」と思うけどね。
 そういえば、そのあと旦那は、さらわれそうになった女──美由紀──を助けるためにモノホンのヤクザ相手に大立ち回りをした、というのも聞いたな。トカレフも何発か撃ったらしい。あれだけやっておいて、サツの世話にならないように立ち回ったんだから、カタギにしておくには惜しいとあんたも思うだろ? そんときに旦那が持ってた、某県での競合企業だとかいうイワキ工業関係の裏の資料とやらだってうまく使えば一億は稼げたはずなんだが、結局はなんか条件を付けて旦那の会社の上司に預けてしまったらしいし…。どうもなあ…玖珂の旦那はなあ…拳銃(チャカ)の扱いといい立ち回りといい、基本的なスジはいいんだがなあ…。
 あの一件のあと旦那はどう動いたんだか、会社の中で仕事はしないが給料は取る、というほとんどヤクザな立場をせしめたっていうし、ほんとスジはいいんだよな。カタギにしとくには惜しいよなあ、まったく。
 そうそう、あと、玖珂の旦那に聞いた話からすると、俺にはあのカミさんもなかなかスジがいいんじゃないかと思うんだよな。なかなかきっぷもいいらしいし、旦那よりも現実的らしい。例の大立ち回りの後、会社を辞めようとした旦那を思いとどまらせたのも彼女なんだそうだ。その時のセリフがふるってるよな。「尻尾をまいて逃げ出すの? いじめられるのが嫌だから、先にやめる気なの? 見損なったわ。勝てる相手でないと、喧嘩できないっていうのね」だとさ。
 旦那が結婚してから尻にしかれてるはずだよな。

あとがき

トカレフではない この小説は「談合」「談合破り」を取り扱っています。本文中には「公共工事における談合は、建設業界にはつきものだった。どれほどマスコミにたたかれても、たとえその存在が国際問題化しても、なくなることはない」とあって、談合の意義!?や弊害についてもちゃんと説明があります。現実がどうなっているのかはともかく、このあたりのリアリティはかつて実際に建設業界で働いておられた甲州さんならではのものでしょう。なお、この本のどこにも「この話はフィクションで…」という記述はないので、ひょっとすると現実の事件を題材にしているのかも知れませんが。(←いや、もちろん、あからさまにフィクションのつくりではありますけどね)
 甲州作品では宇宙とか、外国の限られた地域──ヒマラヤとかシベリアとか寒いところが多い──といった、なかなか行けない場所が主たる舞台になっていることが多いようです。まあ、前回紹介した「マニラ・サンクション」の場合は、普通に行くことも可能な東南アジアの都市が舞台になっていましたが…。この点から見ると、今回の物語の場合、玖珂の行動範囲も東京から北関東に限定されていて、海に潜るわけでもないし、山に登るわけでもないという、甲州作品では例外的といっていいくらい我々にも行きやすい場所が舞台となっている、そういう意味でも特筆すべき作品と言えるかも知れません。その気になれば比較的気軽に舞台となった盛り場や神社を訪れることもできるでしょう。…もっとも、本文中に特に場所が特定できそうな記述はないし、仮に訪れたからといって何があるわけではないでしょうが。
 さて、いつも書いてますが、この「読んだふり」で本当に読んだふりをされる場合は自己責任で行って下さい。なお、私見では「平成悪党伝」を実際に読むことなく「読んだふり」をする方法の一つとして、玖珂を見習って、盛り場でチンピラヤクザに喧嘩を売ってみる…というのがあります。その結果、限りなく運が良ければ玖珂のようにトカレフを入手してめくるめく人生が開ける…かも知れません。──もっとも、そんなことはほとんどないでしょうし、どちらかというとトカレフによって人生に終止符を打たれる可能性のほうがまだ高いでしょうから、あんまりお勧めはしませんが。


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