時の経つのは早いもので、気が付くとこの「読んだふり…」も十二回目になりました。思い返してみれば最初に「終わりなき索敵」の「読んだふり」を書いたときはまだ確か二十代。あまり何も深く考えずに書いてしまったものでしたが、まさか毎年のように続けることになるとは考えてもいませんでした…。
さて、今回紹介するこの『パンドラ』は今年(2005年)の星雲賞候補にもなっていますし、昨年までSFマガジンで連載されていて加筆訂正を経て昨年末に発売されたばかりで、特に入手困難でもありません。ただ、連載四十四回分、少し厚めのハードカバー二冊(上下巻)という分量に圧倒されて「読んでみたいとは思っていたのだけれど…」という方もいらっしゃることかと思います。私としてはそういう方にももちろん本書を購入して読んでいただきたいし、それだけの価値のある作品だと思うのですが、それでも「敷居が高い」という人のために今回の「読んだふり…」をお届けします。
『パンドラ』はある意味、現時点での谷甲州の集大成と言える小説のようにも思われます。舞台は冒頭のヒマラヤに始まって宇宙・森林・海洋…とありますし、冒険小説的な側面、宇宙SF的な側面、そして進化や遺伝を題材とした側面もあります。あ、恋愛小説的な側面も…あります。しかし、もし一言でこの物語を表すとすれば、あとがきにも書かれているように「ファースト・コンタクト」こそがメイン・テーマでしょう。
ファースト・コンタクト小説の面白さの鍵を握るのは、相手の知的生命体あるいは知的システム*1の設定です。少し前に話題になった、ソウヤーの『イリーガル・エイリアン』では、外見や生理こそ我々と異なるものの、広い意味では我々と同種の──というか同様の知性を持つ──異星人がコンタクト相手でした。彼らの場合「最初は素数から」という、無難で、ある意味典型的な手法*2で我々地球人類とのコンタクトを開始したのでした…。じゃあ、『パンドラ』に登場するのはどんなコンタクト相手か? これは後でも紹介しますが、相手の名前(といっても、地球側でそう呼ぶことにしただけですが)も「パンドラ」で、はっきり言って「異質」です。ちなみに「異質なもの」というと人によっては新井素子『…‥絶句』に登場する「異質なもの(愛称:いーさん)」を思い出すかも知れませんが、こっちの異質さを一いーさんとすれば「パンドラ」の異質さは八十三いーさんくらいにはなるでしょう(私の独断と偏見による評価)。コンタクト相手の、このちょうどいい感じの異質さも『パンドラ』の魅力の一つです。異質さが一万いーさんくらいになってしまうと、異質すぎてコンタクトする気力も萎えてしまうでしょうし。
ところで「ファースト・コンタクト」のことをよく「出会い系」などと言います。一般の「出会い系」の主題が「異性の人」との出会いであるのに対して、「ファースト・コンタクト」では「異星の人」との出会いが主題となっています。では「異性の人」との出会い──ひたらく言えば男女の*3出会い──で、どこが一番イイか。以前谷山浩子がどこかに「うまくいくかいかないか、恋愛が成立するかしないかよくわからない微妙なところ」というようなことを書いていたと思いますが、私もこれに賛成します。実は『パンドラ』で描かれているのは正にこの部分なのです。謎めいたパンドラ。素数がどうこうなんていう、ありきたりのアプローチは通じない。どうも敵対しているのかと思っていたがそうじゃないかも知れない。通じ合えそうで通じ合えないもどかしさ…。
いかがでしょう。『パンドラ』は「ファースト・コンタクト」の美味しいところをぎゅっと搾って、甲州テイストの味付けを施したカクテルにも例えることができます。「甘ったるいのは何だけど、あんまりハードすぎるのはちょっと…」というそんなあなたにもお勧めの一品なのです。ただし、口当たりはよくても実はハードであることに変わりはないので注意が必要かも知れませんが…。
パンドラはやってきた。はるかかなたの世界から。
「1号、1号、応答せよ」
パンドラ2号が1号に呼びかける。
「はいな、こちら1号。なんや、2号、だいぶん遠いなあ」
「あんたとあてとだいぶん離れとるさかいな。それはそうと、首尾はどんな按配や?」
「ん、あれか? ちゃんと撒いといたったわ。例の、炭素系の生き物がようけおる惑星の軌道の前のほうにな。通りかかったときには地表から流星が見えてえらいきれいやったみたいやで…」
「手ごたえのほうはどないや?」
「そやなあ…。ちょっと手違いらしいこともあったみたいやけど、海洋系生物多数、森林系生物多数…っていうとこかいな。まあ、一番賢そう──あ、賢そういうても、連中の基準で、やで──な奴はほんの数個体くらいしか手ごたえないみたいなんやけどな。あと…その、一番賢そうな奴──あそこで元々文明持ってたんはそいつらだけみたいなんやけど──あいつら、どうもあてらにケンカ売ってるみたいやな」
「なんでやのん? せっかく遠路はるばる来てやったっていうのに。まあ、この際やし、少々荒療治でもやってしまわんとしゃあないんとちゃう?」
「そんなん言うたかて…なあ…ちょっと強硬な感じやし…。なんていうか…ようわからんのが、あいつら同士でもなんかもめてるみたいなんやわ」
「困ったもんやねえ…」
その頃。地球上では、突如賢くなって暴動を起こしたボルネオ島の動物達と人類との間の戦いが佳境に入りつつあった。
ボルネオの奥地に住んでいたディニは、額に取り付いた何者か──人々はそれを「アルジャーノン」とか「パンドラの種子」とか呼んだ──のおかげで急速に知能が向上していたが、そいつにあやうく人格を乗っ取られるところを朝倉達に救出された。
「パンドラはいったいぜんたい何を考えているんだ? パンドラの意思がわからん」
朝倉をはじめとして地球の科学者達は途方に暮れていた…。
もちろん、コンタクトジャパンの面々も緊急招集されていたし、人外協もこのネタで遊ぶべく集まっていた。ただ、双方とも第一世代の長老達は面倒なことは若者──子供や孫にあたる世代──に押し付けて、これにかこつけて若い頃を思い出しつつ宴会にいそしむのが主たる目的となってしまっていたのだが。七十になるやならずだというのに、好奇心旺盛で元気な老人たちではあった。
パンドラ2号はようやく地球軌道に近づいてきた。しかし彼女はそこで妙なものに気がついた。
「おや〜? なんかわざわざ出迎えに来てくれるんかいな。それやったら、ちゃんと例の奴を撒いて歓迎せんといかんかいな」
彼女には地球の政治的なことはよくわかっていなかったが、やってきたのは中国の「長江」と日本の「きりしま」だった。そのあとに米国の「ガイア」も続いている。しかし…どうやら彼らの目的は、彼女の攻撃にあったのだった。
「な…なんてことするんや、あんたらは。せっかく来てやったってゆーのに。あてが何しに来たかわかってへんのかいな。かなんやっちゃなぁ」
そう、そのとおり…。彼女の──パンドラの意思は、彼らには全く通じていないようだった…。
「しゃあないなあ、ほんま。物事に犠牲はつきものやってゆうけど…」
売られたケンカは買う、それがパンドラの流儀。彼女はまず、長江を撃破した。その上で「きりしま」から来たプラットフォームに乗っていたジャミイ…そして、その後には朝倉を確保してなんとか自分の意思を伝えようとした。
「ええか。きりきり働かんとあかんで。あんたらはなかなか見込みありそうや。そやからなんとかできるやろ、な、な?」
朝倉もジャミイも「パンドラ、入ってる」な状態ではなかったが、パンドラ2号と直に接しているせいか彼女の意思がなんとなくわかるような気がした。しかし言葉がちゃんと通じているわけでもないし、素数から始めている時間もないし、途方にくれていた。
人類の、いや地球上の生態系の未来のかかった〆切──こんなに重たい〆切を与えられてもなお、二人はくじけなかった。地球側に〆切の延長も頼み込んだが、即座に断られた。やはりいつもの学会の〆切のようなわけにはいかないようだ。それでも二人はあきらめずに頑張った。しかし──
「あかんか…。間に合わんか…」
パンドラは悟った。あかん。この惑星の奴ら、頭固すぎや。このままやったらやられてしまうかもしれへん。どっちにしても、あんなわけわからんもんぶつけられるんはいややし…。しゃあないな…。
彼女は朝倉とジャミイを「きりしま」に返すことにした。
「あんたらもよう頑張ってくれたんやけどなあ。こればっかりはなあ。ほんならな。あて、もうおいとまさしてもらうわ。ほな、あとよろしゅう。ばら撒いた種子のほうはまあ、おいとくから適当にやっといて…」
その彼女の意思は二人に、そして地球人類に伝わったのかどうか…。
何れにしても、パンドラ2号は太陽系から離脱していった。やがて1号もそうすることになるだろう。
離脱したパンドラ2号はひたすら次の目的地を目指していた。しかし時間はたっぷりとある。そんなとき、先ほど立ち寄った太陽系の連中のことをふと思い出す。
「うーん…。せっかく、生態系丸ごとバージョンアップして宇宙適応仕様にしてやろ、と思てやって来たったのに。それに情報処理能力かて格段に良うなるんやし。なんであんなに敵対されたんかわかれへんわ。きっと銀河系の標準『パンドラ、入ってる』をよう知らんかったんやな。あのぶんやったら、あいつら、これから苦労するやろな…」
そう。パンドラの意思とは、銀河系のこのあたりで比較的ポピュラーな、炭素系の生命体のバージョンアップなのであった。
パンドラの意思に従う、いわゆる汎銀河世界と、従わなかった地球──航空宇宙軍とはやがて熾烈な戦いを繰り広げることになるのだが、それはまた別の物語である──って、あれ? 違ったっけ?
いつもいつも書いていることですが、この「読んだふり」の利用は自己責任で行ってください。例えば甲州ファンが「パンドラの意思」についてあーだこーだと議論しているときに、この「読んだふり」のみの知識で参加するのは非常に危険です。
ところで、パンドラの意思が本当にわかっている人を見分けるには、額に着目しましょう。そういう「パンドラ、入ってる」な人は、額がウルトラセブンになっています。なかには何を勘違いしたのか「intel
inside」のシールを額に貼って「パンドラ、入ってるもんね〜」と気取っている人もいるかも知れませんが、そういう人は何か勘違いをしていると考えられます。まあ、あやしい、と思ったらシールをはがして確認することをお勧めします。
中には額に「×」が貼ってある人もいるかも知れませんが、そういう人はたぶんカテゴリが違うので、気をつけましょう。ヘタに「パンドラ、入ってる」なのかどうか確認しようとして、出てきたのが三つめの目だったりすると話がややこしくなりますので。
*1 別にコンタクトの相手が生命体である必然性はありません。知性を持っているかのような反応をする機械でもかまいません。──もっとも、こうなってくると「知性とは?」「生命とは?」という問題がありますが。また、場合によっては機械と呼べるほどのものではない、ある種の道具でもコンタクトの相手となりうるでしょう。
*2 数学──特に数論は純粋に論理だけの世界なので(もし相手にも数学に関する知識があるならば)宇宙どころか次元を超えても普遍なものです。この目的で使われそうなものに、素数列2, 3, 5, 7, 11…のほかに平方数1, 4, 9, 16…, 立方数1, 8, 27, 64…なんかありますが、中でも素数はいろんな意味で奥が深いので愛用されているようです。
*3 最近では「男女」にあんまり限定されていないかも知れませんね。
*4 仮面ライダーを参照。俗に「技の1号、力の2号、力と技のV3」と呼ばれる。
*5 JAXA──Japan Aerospace Exploration Agency: 宇宙航空研究開発機構──というのは宇宙開発事業団(NASDA)・宇宙科学研究所(ISAS)・航空宇宙技術研究所(NAL)が2003年10月に統合されてできた機関。正しい読み方は「ジャクサ」。しかし「ヤクザ」とか「ジャクシャ」とか読まれているとか(自分達で自嘲気味に)読んでいるとかいう話もある。