覇者の戦塵における七一号電探の謎

林[艦政本部開発部長]譲治

T.『覇者の戦塵』と電探

 技術者の視点から戦争を考える。この従来に無い観点で書かれている『覇者の戦塵』シリーズは、1991年1月の「北満州油田油田占領」にはじまり最新作の「反攻ミッドウェー上陸戦」まで現在まで13冊を数える。『覇者の戦塵』がじつは架空戦記ではなく長編SFシリーズであることを理解している人は意外に少ないが、仮に架空戦記として数えても一つの世界観で8年以上続いているのは本シリーズだけである――世界観がない架空戦記もありますしね、世の中には。
 さて北満州で油田が発見されるところから、日本と言う国の産業基盤に技術レベルの向上と歴史の改編――あえて改編としておこう――を描いて来たのが本シリーズである。何より重要なのは、テクノロジーの底上げだけでなく、それによって引き起こされるであろう旧思想と新思想の相克を描いているところであろう。最新作においてもレーダーの利用で善戦する部隊の一方で、稚拙なレーダー運用で苦戦する部隊の対比などが見られるのもそうした一例だろう。当たり前のようであるが、技術に関して確かな視点が無い限りこうした描写はできるものでは無い。
 『覇者の戦塵』では初期の頃からレーダー開発については触れられていたが、それが作品中で重要な役割を果たすのは、「撃滅・北太平洋航空戦」以降からである。この世界における日本のレーダー開発については、本作品以降から部分的に述べられ始める。だが何気ないように見えるそれらの断片的な情報をつなぎあわせてみると、実に興味深いことがわかる。つまり『覇者の戦塵』の世界には然るべきレーダー開発史が存在していることが結論として得られるのだ。そしてそのレーダー開発史からは論理的必然として幾つかの展開が予想できる。
 本文は『覇者の戦塵』における断片情報から導かれるレーダー開発史を考察すると共に、その卓越した論理性から作家谷甲州について考えてみようとする物である。もとよりこれで作家谷甲州を語り尽くすことは不可能であるが、何等かの傾向を概観する事はできるかもしれない。
 しかし、レーダー開発史から作家谷甲州の一面を概観するとしても、はたしてどこから手をつけるべきであろうか?じつはその重要な手がかりは「撃滅・北太平洋航空戦」に登場する。この作品には初期の電探の描写とならんで、航空機搭載用の七一号電探が登場し活躍するが、じつはこの電探こそが鍵なのである。なぜならば七一号電探と言うレーダーなど史実には存在しないからである。
 「小説の中に登場する装置が史実に存在しないのは当たり前ではないか! 」という意見があるだろうことは十分に承知している。問題なのはそうした点では無い。じつは史実において日本にも航空機搭載型の電探は存在している。重要なのはまさにここだ。史実ではこれらの電探は空六号と呼ばれており、七一号電探とは呼ばれていない。なぜだろうか?

U.覇者の戦塵世界における海軍電探の発達史

 『覇者の戦塵』におけるレーダーに関する記述はシリーズ四作目にあたる「第二次オホーツク海戦」に早くも登場する。この作品が書かれたのは1993年であるという事実は十分に記憶されて良いであろう。本書ではすでに昭和一一年二月の段階で電波探信儀の実験が行われている。部外者でも噂が知られている描写から察するに、実験はそれ以前から着手されていたと判断すべきだろう。ちなみに史実において「電波を出す兵器など、闇夜に提灯を照らすような物である(敵にこちらの居場所を教えるだけだ)」という議論が海軍技術でなされていたのが、この昭和一一年であった。
 史実の海軍のレーダー研究に関してはすでに述べたように、基礎実験は行われていたものの必ずしも進捗状況は芳しい物では無い。大戦直前に確かに大きな進捗はあったものの、それも結局はドイツもやっていたから研究が認められたと言う面が強かった。ようするに海軍の戦略――と書くのは抵抗があるが――や戦術の必要性からレーダー開発が行われた訳では無い。一部の例外を除けば、用兵側にレーダーの必要性に対する認識も、その戦術的研究もまるで無かったわけである。
 ところが『覇者の戦塵』においてはレーダーはあきらかに用兵側の必要性により開発が進められている。「第二次オホーツク海戦」の描写によれば、海軍のレーダーはオホーツク海などで活動するソ連海軍を監視するために置かれている。寒さで真空管が割れると言う台詞があるように、その機械的完成度は高いとは言えない。恐らくは試作品に毛が生えたような物だろう。だが重要なのは、レーダーの技術開発と用兵側の必要性が噛み合っているという点にある。
 例えば「撃滅・北太平洋航空戦」ではソ連軍の攻撃は日本軍のレーダー施設に対する攻撃から始まっている。そして物語のなかでこのレーダーの存在が全体の流れを左右していることに読者は気がつくだろう。話の展開が合理的――海兵隊の某大佐の存在は、まぁ、ちょっと忘れてくれ――なので却って目立たないものの、新しいテクノロジーが戦術を変え、それによる新しい戦術がテクノロジーのさらなる発達を促すと言う構造を我々は読み取ることができる。
 さて、以上の事を頭に入れて『覇者の戦塵』における各種レーダーの描写を読んで行くと、そこには明らかなレーダーの開発史が背景にあることがわかる。『覇者の戦塵』に登場するレーダーはその登場する時期と場所に然るべき必然性があるわけだ。
 まずすべての出発点となるのが一一号電探である。この一一号電探とか二一号電探とか言う命名は、後に詳しく触れるが一号一型とか二号一型などという制式名称の略称と思われる。少なくとも小説を読む限りそう解釈するのが自然だろう。この辺は史実の電探の命名法と似ていると言えよう。
 『覇者の戦塵』を通して読んでみると、昭和一一年に「寒くて真空管が割れる」とか言っていたレーダー――電波探信儀――がこの一一号電探であるらしい。一一号電探は年単位で数えるほどの運用経験があると言う記述からもそれはわかる。少なくとも昭和一一年に実験段階にあったレーダーと一一号電探は装置として同一もしくは非常に近い装置であるのはまず間違い無いだろう。ごく自然に考えるなら、昭和一一年の実験装置を量産化した物がこの一一号電探であろう。
 この一一号電探だが、海上を移動する船舶だけでなく航空機の監視もできると言う描写がある。これはそのまま読めば一一号レーダーは対空・対水上の両用レーダーであり、「まぁ、凄い」てなことになるわけだが、じつはそれほど凄いわけではない。この場合の両用は、「万能」ではなく「未分化」と解釈するのが正しいのである。
 『覇者の戦塵』における世界の科学技術水準が原則的に史実と相似であるとすれば、一一号電探のアンテナから発信される電波はビームの幅が狭く、上下に広がった扇状のファン・ビームとなっていると考えられる。一般にレーダー電波のビームの形はビームの幅は波長に比例し、アンテナの開口に逆比例する。「第二次オホーツク海戦」の描写から考えれば、一一号アンテナは大きさが家ほどもあると言う。当然ながらアンテナの幅は巨大に成り、それに反比例して電波ビームの幅は狭くなり、上下方向には広がることになる。空や海面から何かが接近してもファン・ビームであれば確実に相手を捕捉することができるだろう。監視目的には一一号電探の電波ビームはファン・ビームであると考えるのが合理的であると思われる。
 この事から推測できるのが一一号電探の使用する周波数帯であります。結論を言えば恐らくPバンド、概ねVHF帯となるでしょう。波長としてはメートル波と呼ばれる物です。理由は二つ。一つは対空用と言う用途にあります。レーダーの方程式等から単純に考えればレーダーの波長が短いほど分解能は向上します。ですからUHF帯のLバンドとかSバンドの方が分解能としては有利。いわゆるセンチ波レーダーの類ですね。しかし、センチ波の場合、大気中での伝搬損失や水平線下へ回り込む「回折」がVHF帯のように期待できないため遠距離捜索には不利と言う特徴があります。
 史実でもこの点から大戦末期でも長波長の対空レーダーがマイクロ波の対空レーダーと共に用いられています。もっともこの場合のマイクロ波導入は対空射撃レーダーの含みも有りますが。
 一一号電探で長波長を用いるもう一つの理由は技術的な物です。史実でも『覇者の戦塵』でも戦前の電子機器の中心は真空管であったのは皆様ご存知の通り。ところがこの真空管が本格的に使われ始めたのは史実によれば、我国では大正年間、概ね第一次世界大戦終了後のことです。海軍艦艇に真空管式の送信機がはじめて採用されたのが1922年(大正11年)ですから、一一号電探の開発時に真空管が割れるのもむべなるかなですね。短波が遠距離通信に使えると言うことが無線界のトレンドになるのが23年(大正12年)、最初の短波送信機が制式化されるのはさらに三年の後です。それでも周波数は20MHzが限界でした。波長1メートルで300MHzの周波数ですから、極超短波への道はまだ厳しいわけです。
 当時の通信関係の文献によれば、従来の長波帯の送信機などでは真空管と水晶発信子で特に問題は無かった。しかし、短波しかも波長が短くなると、つまり周波数が高くなると水晶の精度、真空管の材料の質、部品の安定性などの問題が顕著になったといいます。特に周波数変動の問題は深刻。例えば100の物が5%ずれても誤差は5に過ぎませんが、10000の物が5%ずれると誤差は一挙に500になってしまう。短波を扱う技術的問題は突き詰めるとこの点に収斂します。
 しかし、これはあくまで短波レベルの話。超短波はより高度な技術的問題を突き付けます。史実でも超短波無線電話機が曲がりなりにも実用化されたのは30年(昭和5年)になってから。それにしても周波数は40MHz程度に過ぎない。こうした事から考えても『覇者の戦塵』において一一号電探に極超短波のマイクロ波が使用されている可能性はかなり低い。しかし超短波ならかなり現実的となるでしょう。
 ちなみに史実には実際に一一号電探と言う陸上設置型の電波探信儀が存在します。使用波長3メートルのこの電探がはじめて実験を行ったのは昭和16年のことでありました。『覇者の戦塵』に遅れること5年であります。
 さて「第二次オホーツク海戦」に従うと海軍の電探開発は一一号電探から技術の蓄積に従いそれぞれの用途に従い分岐した発展を遂げて行く。
 一つはマイクロ波を使用した電探の登場。生憎とマイクロ波という表現はなぜか『覇者の戦塵』では使われていない。それらしい電探に対する表現は常に「波長の短い」である。この件に関しては艦艇搭載型の水上見張電探に関する描写が最新刊に至るまで「性能の安定しない波長の短い電探」としたことなどいささか検討が必要な部分である。私個人の予想としては一四号電探は対水上と対空射撃電探に発展し、同時に一四号電探の艦載型が名称不明の対水上電探ではないかと思われるのだが、これについては後述する。
 波長の件はおいといて、電探発展のもう一つの流れは一四号電探に代表される地上設置型電探の系譜と二一号型電探に代表される艦船搭載型電探の系譜である。
 「第二次オホーツク海戦」の記述から推測すると、まずすべての電探のプロトタイプとなるVHF帯の一一号電探がある。そして一一号電探の経験と周辺技術の進歩から、これを小型化した物が作られ、これが艦艇搭載型の二一号対空見張電探の原型となったと思われる。記述では二一号の原型機はありながら、どういうわけか一一号と一四号の間をつなぐべき一二号と一三号が存在しない。試作された電探はすべて占守島に送られると記述されていることからして、これはいささか不自然だ。
 考えられるのは二つ。一つは一二号と一三号電探は二一号電探の原型機であって、その目的を達成したので量産のための制式化がされなかった場合。これは対空見張としては一一号で十分で、対水上見張電探として一四号電探の開発スケジュールが軌道に乗っていたならば有り得なくは無い。対空見張用電探の新しいのが必要になれば二一号を陸上に揚げれば済むからだ。
 もう一つはたぶん一一号を改良した一二号や一三号は存在するが、占守島には無い場合だ。一一号電探を改良するとすれば、艦艇搭載を視野に入れたなら、真っ先に着手されるのは小型化である。一二号は一一号の性能を維持したままの小型化。一三号はその性能向上型あるいは、さらなる小型化あるいはその両方だ。この場合、考えられるのは一二号電探や一三号電探は可動性があると言うことだ。じつは史実にも一二号と一三号という電探が存在し、一一号が地上固定なのに対し、この二つはトレーラーに搭載されて移動が可能であった。もしも『覇者の戦塵』の一二号と一三号電探も同様な物ならば、他の島なり場所に移動された可能性はある。海兵隊などの部隊の移動に合わせてレーダーも移動できるのだから、これはこれで貴重な戦力となろう。
 さてともかく地上設置型電探から進歩して艦艇搭載用に二一号が開発される。これはさらに改良されて潜水艦に搭載できる二三号電探になる。これはアンテナを潜水艦の通信用の短波檣に乗せると言う物だ。
 余談ながらこれはまったくの私事であるが、実は拙著でもまったく同じ機構を使ったことがある。そのころ積読が溜まっていて『覇者の戦塵』も積読の中にあったため、谷甲州先生も同じ機構を使っていたとはまるで知らなかった。私はあの機構を伊号潜水艦の船体構造図の資料を入手して知ったのだが、先生もその程度の資料は入手済みということなのだろう。じつに大変な方であります。
 それで二一号電探と二三号電探であるが、注目すべきなのはこれらの電探は波長が共通と言う点だ。『覇者の戦塵』の中でも二三号電探は潜水艦に搭載することを前提に開発されたとあり、記述を読む限りではアンテナの形状などが二一号と異なるらしい。波長が同じと言うことは可能性として、機構の多くが共通であることが考えられる。本シリーズの底流には工業製品の量産と言う視点があることを思えば、機構の共有化は十分に有り得る想定だろう。同時に信頼できる対空用電探として二一号型は、かなり完成度の高い装置であることも考えられよう。
 また運用面の問題もある。艦隊司令部に電探情報を担当する参謀がいることから考えても、電探を扱える人材が養成されているのは明らかだ。なぜならば海軍官衙では艦隊司令部の編制についても然るべき規則により定義されているからだ。主に艦隊令などがそれに当たるが、電探担当の参謀がいるということは、電探と言う兵器に関して海軍に関連法規が存在することを意味するのである。
 二一号一族の電探は二三号では終わらない。二三号はさらに航空機搭載の対空レーダーとしての七一号電探にまで行き着く。当然、七一号電探の波長もそれ以前の物と同一である。具体的にどれくらいなのか推測の域を出ないのだが、本文中の記述などを参考にすると有効範囲五〇浬となり、八木アンテナの形状や特性が史実のそれと大きな隔たりが無いと仮定するならば、電波の波長は概ね二メートルほどであると思われる。これは主に史実における一三号電探の性能を参考にしている。
 ここで興味深いのは先の量産の問題とも関連するが、電探の開発体制である。二一号電探を開発し始めた時点で、潜水艦はともかく果たして航空機搭載までを考えたかどうかは疑問である。これは単に技術的に可能かどうかだけでなく、運用する側に航空機に電探を搭載しなければならないような必要性があるかどうか、早い話が航空機電探のニーズがあるかどうかという問題である。『覇者の戦塵』における航空機開発や運用思想が史実と近い物なら、艦攻搭載の航空用電探の必要性は二一号電探開発の段階で考えられていたとは思えない。何よりもプラットホームとしての航空機の能力が、電探搭載という可能性を著しく狭めていただろう。これは「第二次オホーツク海戦」の記述でも七一号電探が試作品であると言うことからもわかる。
 七一号電探の開発期間はさほど無かったわけであるが、それでも必要な能力の物を開発している。恐らくは既存品の改良だろうが、そうした手段で現場が必要とする機材を短期間で開発できる体制があの世界の日本にはあるらしい。縦割り行政の弊害で、右手のやっていることを左手が知らないのが、現実の日本だった。史実における電探研究開発体制の混乱を思うとき、ここで暗示される開発システムの意味はけして小さく無い。

V.七一号電探の意味するもの

 さて一一号からはじまって七一号電探までの流れを概観してみた。ところで冒頭でも述べたようにここに大きな謎がある。それはどうして航空機搭載の電探が七一号電探と呼ばれるのであるか?という問題である。恐らくは七型一号電波探信儀と言うのが制式名称で、七がプラットホームが航空機であることを表し、一が制式順なのだろう。そこまでは比較的簡単に予測がつく。だが問題なのはどうして航空機搭載が七なのか?である。
 作品世界と史実を単純に比較してもあまり意味があるとも思えないが、史実における海軍の電探の番号は図のような物で、六までしか定義されておらず、しかも航空機用は空六号など別の制式名称がついていた。特に不可解なのが五番で、これはPPIスコープ付の航空機用電探の番号なのだが、これは他の番号付与とは観点がずれている。要するに史実における電探の番号体系は、少しも体系化されていないということだ。
 もしかすると日本人の多くはこうしたナンバーシステムの構築が徹底的に下手なのかもしれない。これは電探だけでなく潜水艦や駆逐艦あるいは無線機など、ほとんどの場面で体系的な番号システムの設計に海軍は失敗している。これは単に戦前だからでもないようで、戦後でも私の個人的な経験から言っても、体系的に物事を考えられる日本人はあまり多くない。もちろんこれで結論を引き出すのは危険であろうが、体系的な思考ができないのはあるいは国民性なのかもしれない。
 話をもどすと、史実の命名方に従う限り、電探に七型という番号がつけられる可能性は無い。つまり『覇者の戦塵』世界では独自の電探の分類体系が存在することになる。気にしない人は気にしないだろうが、しかし、独自の体系化とは、並の作家では到底思いつかない視点であり、かつ並の作家では構築することはできないのである。体系を作り出すためには、体系的な思考が必要だからだ。
 それでは『覇者の戦塵』における海軍の電波探信儀の分類はどうなっているのであろうか?まず一と二であるが、一が陸上設置型の見張用電探、二が艦載型の見張用電探であるのは、まず間違い無いところであろう。一号四型はアンテナの形状や波長が短いと言う記述から恐らくマイクロ波レーダーであろうし、そうであれば水上見張専用であると思われる。一方、一一号は対空見張も兼ねるとあるから、見張用レーダーは対空・対水上という用途による分類はなされていないらしい。これは対空・対水上両用レーダーを踏まえての処置と思われる。
 ところで『覇者の戦塵』では「二一号より波長が短いが機械的信頼性に欠ける水上見張電探」が存在している。奇妙なことにこの艦載型の水上見張電探には制式名がない。ただ対空見張用の二一号と二三号は存在していることから考えると、空いている二二号が対水上見張電探である可能性は否定できない。恐らくは一四号電探の技術的な経験から艦載型にされたものが、二二号となる水上見張電探なのであろう。ただまだ機械的な信頼性など完成度が高くないために、二二号電探というような制式名が与えられていないだけかもしれ無い。
 このように一と二に関しては何となくわかるような気がする。問題なのは三、四、五、六の四種類である。航空機搭載型の見張用電探が七なのであるから、この四種類はプラットホームとして航空機は考えられない。分かりやすさを考えるなら三と五が陸上設置型の何か、四と六が艦載型の何かとなるだろう。つまり電波探信儀に見張以外の二つの機能を持たせる予定があるということだろう。
 見張を対空と対水上に分けないとすると、何が考えられるのか?
 まず「第二次オホーツク海戦」のレーダーによる射撃支援の描写から考えるなら、二つの機能のいずれかは射撃管制用レーダーとなる。見張用電探が対空と対水上での分離を考えていないとすれば、射撃管制用レーダーも対空射撃と対水上射撃の区別はないと考えるべきだろう。相手の位置がわかれば射撃に使うと考えるのはごく自然の思考法であるから、三号電探は陸上設置型の射撃用電探、四号は艦載型の射撃用電探であろうと思われる。残された機能は一つ。見張と射撃支援意外に電探に与えられる機能は何だろうか?すぐに思い付くのは飛行場などの航空機支援である。しかし、プラットホームによる分類という点から考えると、整合性があまり感じられない。それに航空機関連なら先に航空機用の番号を与えるはずだ。
 ここでヒントとなりそうなのが「反攻ミッドウェー上陸戦」における逆探知に関する会話である。逆探知という言葉が割と簡単に会話に登場するということは、この世界において比較的広く認識された概念であることを示している。この世界でも「闇夜に提灯」と言うような人がいるかどうかは知らないが、少なくとも逆探知の意味は知られている。であれば電探というより広く電波兵器の番号として逆探知装置――あるいは電子戦機材一式――に番号を割り振ることは十分に考えられる。つまり先の例に従えば五号が陸上設置型の逆探知装置――というよりほとんどエリント機材だね――であり、六号が艦載型の逆探装置となるだろうか。このようにすれば一から六までで陸海の電波兵器の番号は完結し、それ以外の用途に関しては七番以降に振ることができるわけだ。
 もっとも言うまでもないことだが三から六までの番号割については私の推測であることをおことわりしておく。シリーズの新刊でまったく異なる体系が現れることは十分にありえるだろう。
 ここまで七一号電探に関する仮説を色々と考えてみたわけだが、一つ重要なことがある。それは谷甲州が『電探に関する分類体系を作った』という事実である。
「電探の分類体系があることがどうかしたか?」という意見をお持ちの方もいるだろう。確かに純粋に小説だけを読むならば、七一号電探が二三号でも五六号でも何だって構わないと言うこともできよう。じっさい作品中で七一号が一七号でも内容が変わるわけではない。
 じっさい問題としていわゆる架空戦記の中にはヨーロッパに作品世界に無関係に343空が現れたりするものや、その他にも軍隊内の番号体系の標準を無視しているか作品世界と整合性の無いものが多い。それでも話そのものは成り立ちはする。その点では番号体系などどうでも良いという立場もあるだろう。
 先に谷甲州の『覇者の戦塵は』架空戦記ではなくSFと書いたが、それはまさに体系の有無が明らかに証明している。分類体系が存在するということは、とりもなおさず作者が小説の舞台となる「世界を構築している」ことを意味するのだ。分類体系を構築するという行為は、世界を構築するという作業に必然的に伴う物だからである。なぜならば分類体系の構築というのは、広義の思想が無ければ不可能だからである。そして架空の世界の話を書く上で、世界観やそれに伴う世界構築という過程を踏まない限り思想が生まれるわけが無い。
 一般に架空戦記と呼ばれるものは、はっきり言って戦闘場面における可能性を描いている物であり、じつは戦争も戦略も描かれてはいない。そして『覇者の戦塵』が架空戦記ではなくSFであるのは、いわゆる架空戦記における戦闘描写が目的であるのに対して、戦闘描写が世界構築の結果であるという点にある。言葉をかえれば『覇者の戦塵』は世界構築が先にあり、その世界がたまたま戦争に至ったわけである。
 つまり世界構築の有無こそが『覇者の戦塵』がSFであることの証であり、世界構築という困難な作業を行えるところに作家谷甲州の力量があるのではなかろうか。




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