……タナトス・コマンド中隊、通称タナトス戦闘団に実は女性隊員がいたことは知られていない。終戦時にカリスト軍がタナトス戦闘団に関する資料を破棄してしまったこと、彼女が実戦にはほとんど参加しなかったことなどが原因である。しかし、この一種独特の気風を持った中隊の中にあって、当時彼女の存在があらゆる意味で異彩を放っていたことは確かであった。
「あなた最近、ガラが悪くなったんじゃない?」
唐突に言われ、カロライン・佐山中尉はぎょっとして顔を上げた。久しぶりに同時に予定が空いたからと、友人ふたりと夕食を共にした時のことである。
「……なによハイディーいきなり。失礼ね」
「だって、ねえアリス」
ハイディーは肩をすぼめ、隣に座るもうひとりの友人とうなずき合う。
「仕草といい口のききかたといい、なんだか変わったわよ。前はもうちょっとお嬢様っぽかったんだけど」
「そんなことないってば、同じよ」
だが、その口調にはいささか勢いがなかった。佐山自身、自分がそう見られるようになった原因について、明確な心当たりがあったからである。
「まあ仕方ないわハイディー。あんな陸戦隊なんてとこにいたら、誰だってすさんじゃうとあたし思うわよ」
果たして、アリスにずばりと指摘されて佐山は思わず黙り込んだ。数秒かかってようやく反論の言葉を見つけ出し、口を開こうとしたが、その時にはすでにふたりは彼女を無視した盛り上がりモードに突入している。
「そうかぁ、陸戦隊じゃしょうがないわね」
「カリスト軍の問題児ばかりを集めたって噂立ってたでしょ。トップからして傍若無人を絵に描いたような中佐だし」
「そうそう、山下准将のお気に入りじゃなかったらとっくに軍法会議送りって人」
「山下准将ってあの物静かな人でしょ? 良識派に見えるのになんでかしらね」
「まったく、キャルったら良く続いてるわよ。あたしだったら早々に辞表出しちゃうわ」
「引き抜かれていった時、かわいそうだってみんなで言ってたんだものね」
「でもさあ、なんか最近ちょっとなじんでる気配ありって感じ?」
「駄目よ、あんなところになじんだら社会復帰できなくなるわよ」
「……あんたたち」
一瞬の隙を捕らえて、ようやく佐山が口をはさんだ。
「せっかく一緒に食事だっていうのに、人の部隊の悪口しか話すことないんなら帰るわよ」
「あらー、そんなすねないでよキャル。あたしたちあなたに同情してるんだから……ねえハイディー」
「うそおっしゃい。肴にしているくせに」
微笑むアリスを佐山はぐいとにらみつけると、肉……に見えるが原材料がなんなのかは不明である……をフォークでいささか手荒く突き刺した。さすがにまずいと思ったかハイディーもアリスも口を閉じ、佐山から眼をそらしてワイングラスを手にする。
「……それにしても、おいしいお酒がなくなったわねー」
ハイディーがそう言ったのは、しばらく沈黙が続いてからだった。
「仕方ないでしょ、戦争なんだから」
ひとりごととも会話のきっかけともつかない言葉だったが、まだおさまらない佐山は肉もどきをつっつきながらつっけんどんに応じる。
「イオやトロヤ群なんかは物資はほとんど配給制になってるって噂じゃない。本物のワインが飲めるだけ私たちは恵まれてるのよ。軍人やってるくせに贅沢言うもんじゃないわ」
「戦争か……」
なんとなく憂鬱そうにハイディーはグラスを揺らし、中のワインの影を眺める。
「一体、いつまで続くのかしらね……」
「知るもんですか。ミッチナーの親父にでも聞いたらどう」
「……なによその言い方」
相変わらずつきはなしたような佐山の口調に、今度はハイディーのほうがむっとなった。叩きつけるようにテーブルにワイングラスを置くと声を高くする。
「そりゃああなたにとっては戦争なんて宇宙の彼方の出来事でしょうね。なにしろ気楽なシングルだもの。でも、あたしは違うのよ」
ハイディーの夫は仮装巡洋艦の航宙士である。現在ただ今も外惑星宙域のどこかで、航空宇宙軍と追いつ追われつの死闘を繰り広げているはずだった。
「それがどうしたっていうのよ」
だが、佐山はそんなことなど斟酌しなかった。こちらも手にしていたフォークを置き、完全に受けて立つ体勢で言い返す。
「私には前線に行ってる夫がいないから、なんにも心配しないでいられるとでも言いたいわけ? 甘いわハイディー」
「なんですって?!」
「……ちょっと、ふたりともやめてよ」
間にはさまれた形のアリスが、いささか居心地悪そうにたしなめる。だがふたりは彼女のことなど見向きもせずにらみあった。
「あなたなんかになにがわかるのよ?」
やがて、ハイディーが鋭く言った。
「あたしは毎日神経をすり減らす思いなのよ。電話が鳴るたびに心臓が飛び出しそうになるし、メールも恐くてダウンロードできない……今にもあの人の戦死の連絡がくるんじゃないかとそればっかり。毎晩あの人が死体になって宇宙を漂ってる夢を見るんだから。上司とケンカしてれば済むあなたなんかになにがわかるの」
「そういう人を選んだのはあんたでしょ」
対する佐山は冷然と応じる。
「しかも、ご主人が死ぬのはあんたの責任じゃないじゃない。だったらそのくらい耐えなさいよ」
「ひどい人、なんてこと言うの!」
「キャル、言い過ぎよ」
見かねてアリスが割り込んだ。だが佐山は眼だけで彼女を黙らせると、ハイディーに視線を向けた。
「ハイディー、不幸自慢は私の趣味じゃないけどこの際言わせてもらうわ。私がなんで毎日隊長とケンカしてるかあんた知ってるの? あんたみたいな人が出る確率を少しでも減らすためなのよ」
「……?!」
身構えていたハイディーは、その言葉に虚を突かれた顔になった。そんな彼女を見据えて佐山はさらに言いつのる。
「陸戦隊の事務仕事は私が一手に引き受けてるのよ。当然、隊長たちが作戦に出る時にも、武器から資材から手配するのはみんな私。つまり、私が甘えて手を抜いたりミスをしたりすれば、それだけあの人たちが迷惑するのよ。ただの迷惑だったらいいけど、実戦では命に関わるかもしれないわ。そうしたらハイディー、悲しむのは誰だとあんた思う?」
「…………」
ハイディーはなにか言おうとし、結局何も言わないまま唇を引き結んだ。その顔には怒ったような、とまどったような表情が浮かんでいる。アリスはどうしていいか分からない様子で、おろおろとふたりを交互に眺めていた。
「おまけに……」
そこで佐山は不意に下を向いた。ボトルを手にすると自分のグラスに勢い良く注ぐ。
「おまけに、私は陸戦隊で唯一作戦に出ない隊員よ。つまり、私のミスや手違いが原因であの人たちが全滅しても、私だけは絶対に死なないわけ。物語なんかではよく自分のミスの代償は自分の命で払うのが戦場だなんて言ってるけど、私は違うのよ……そして、二度と帰ってこない人たちを、家族が泣くのを見ながらいつまでも待ち続けなきゃならないんだわ。そんな思いするくらいだったら、嫌われ者になっても隊長とケンカしたほうがましよ」
そう言うと彼女は口を閉じ、ワインを一気にあおった。
「……キャル」
「なによ」
「あなたの隊長たちは知ってるの? あなたがそんな風に考えてること」
「知るわけないじゃない」
ハイディーの問いに、彼女は肩をすくめて笑ってみせる。
「大体、知ってもらってなんになるっていうの。それで作戦に出る回数が減るわけじゃないでしょ」
「……それもそうね」
ハイディーは黙りこみ、小さくため息をついた。佐山もそれ以上は何も言わず、空になったワイングラスを眺めている。
「……結局、いつもいちばんつらいのは待ってるほうなのよね」
しばらくしてから、アリスがぽつりとそれだけ口にした。
翌日、佐山が隊長のオフィスへ入っていくと、珍しいことにダンテがいた。ランスとなにやら話し合っている。
「あら隊長がいらっしゃるなんて。明日はカリストが爆撃されるんじゃないかしら」
彼女の軽口にダンテは露骨に嫌な顔をしたが、賢明にも沈黙を守った。代わってランスが口を開く。
「中尉、出撃が決まった」
「トロヤでしょう?」
さらりと佐山は応じ、仰天しているふたりを尻目にダンテのデスクの端末に歩み寄った。持ってきていたメモリカードを入れるとファイルを読み出し始める。
「……おい中尉」
ようやく口がきけるようになったダンテが、語気鋭く佐山に迫った。
「なんでそんなこと知ってるんだ。俺たちだってさっき言われたばっかりなんだぞ」
「いい質問ですね、隊長」
眼ではディスプレイ画面を追いながら、彼女はまるで教師のようにダンテに向かって指をふってみせる。
「お教えしましょう。知ってるんじゃなくて予測したんです」
「予測?」
「ええ。隊長からの指示を待ってるだけではなにをするにも間に合わないということに、私ようやく気付いたんです。それで、指示をもらわなくてもある程度動けるように予測プログラムを作ってみました。実際に使うのは今回が初めてですけど、この分だとうまく動いているようですね」
「一体どんなしくみなんだ? そのプログラムというのは」
やや用心深くランスが尋ねた。またトラブルの種じゃないだろうな、という懸念が口調にはにじみ出ている。
「基本的な考えは太陽の活動予測や株式相場予測なんかと同じです。できる限り多くのデータを集めて分析して、先の動きを予測します。ただ、軍の作戦なんかを正確に予測できるほど信頼性のあるデータを、しかも一定量集めるとなるとそこらのネットワークに流れているような情報だけではいささか苦しいので、若干特殊な細工が必要になりましたが」
「特殊な細工だと?」
眉をしかめてダンテがつぶやいた。一方の佐山はすました顔で出てきたファイルを素早くチェックし、ふたりの上司に示す。
「というわけで、今回予測が見事に当たりましたので、事前に出発予想日から逆算した仮スケジュールを組んでみました。具体的な作戦や動員の規模が分からないのでおおざっぱですが、それでも参考程度にはなると思います。」
「おい中尉、特殊な細工ってなんなんだ」
ダンテの問いかけを佐山は無視し、ランスに事務的な視線を向けた。
「ただ、いちばん気になる輸送艦と推進剤なんですが……多分、いきなり備蓄不足や出し惜しみとかになることはないと思いますが、状況が状況なので少し気になります。ですので副隊長、これはお願いですけど、いつもより早めに決定していただけませんでしょうか?」
「あ、ああ、分かった」
「中尉……」
「あと、このスケジュールはプリントしておふたりに渡しますので、検討して具体的につめたらまた私まで戻してください。その段階で各方面との折衝に入りますので。なるべく早めにいただきたいところですけど、無理でしたら連絡をください。なんとかします」
「……具体的にはどのくらいで戻せばいい?」
「そうですね、来週後半くらいだと助かりますが……」
「おい、佐山中尉」
「それだときついな中尉、もう一週間くれ」
「んー……わかりました。じゃあそのかわりに……」
「佐山中尉!」
佐山どころかランスからまでも無視されたダンテは、とうとう声を荒げた。佐山はようやく気付いたような顔で彼を見る。
「なんですか隊長。ちゃんと聞いておいてくださいね、これは隊長のために作ったシステムなんですから」
「そんなことはどうでもいい。どんな細工とやらをやらかしたんだか教えろと言ってるんだ」
その台詞に、彼女の眉が吊りあがった。どんとデスクを叩いて正面からダンテに向き直る。
「どうでもいいとはなんですか。一体誰のせいでいつもいつも事務処理がぎりぎりになると思ってるんです? 隊長は普通の指揮官の何分の一かのお仕事しかしていないんですから、このくらいはまじめにやってもばちはあたらないでしょう」
「何だと?!」
「中尉、俺たちが心配してるのはだ」
口論に突入しかけたふたりの間に、素早くランスが割って入った。
「一体どんなデータからこの予測を組み立てたかということだ。行き先や出発予想日まで分かるような情報があるような場所というと、かなり限られてくる。違うか」
「ああ、それについてならご心配なさらないでください」
ランスの後ろでダンテがふたことみことなにかつぶやき、不機嫌な顔でデスクに歩み寄るとどっかりと座り込んだ。そんなダンテを横目でにらみながらも、やや語調をやわらげて佐山は応じる。
「このプログラムにはロッドも協力してくれていますから、セキュリティも含めてそのへんについては万全です。もし向こうが察知して逆探知しようとしても、すぐに対応できるようになっています」
「奴もぐるか……」
「ぐるだなんて人聞きの悪い」
ダンテがいまいましそうに舌打ちすると、すかさず彼女は言い返した。
「ロッドは隊長がどういう人か良く知ってるから手伝ってくれるんです。もっとも、時々私を世間知らずの女の子扱いするのが気に入らないといえば気に入りませんけど」
「……つまり、そういうことをやってるんだな?」
ダンテを制して、ランスが念を押す。プリンタから書類が出てくるのに気付いた佐山は、そちらへ向かいながら悠然とうなずいた。
「大丈夫ですってば。少なくとも、私が根っこだということは相手には絶対わかりません」
ランスのため息にダンテのうなり声が重なった。書類をチェックしていた彼女は、それを耳にして思い出したように振り返る。
「……そういえば隊長」
「……なんだ」
「お願いですから、オフィスにいる時くらいは言葉づかいとか態度とか、もう少し紳士的にしていただけませんか? 昨日友だちに、陸戦隊に行ってからガラが悪くなったなんて言われて私恥ずかしかったです」
「…………」
ダンテは凶悪な顔で黙り込んだ。ランスはここで笑ったものか頭を抱えたものか判断しかねている。そんな上司たちの反応にはまったくおかまいなく、佐山は書類をダンテのデスクに置いて一礼した。
「そんなわけで、おふたりともよろしくお願いします。申し上げておきますが、ここまでやってまた遅れたら今度こそ容赦しませんからね。武器であろうが食料であろうが、不足したままで出発していただきますので、それがいやだったらきちんとやってください……よろしいですね隊長」
「…………」
「よろしいですね!」
「分かった、中尉」
答えたのはダンテではなく、ランスだった。
「分かったから、少しふたりでこれを検討させてくれ。なにかあったらすぐに連絡するから」
「副隊長にそう言っていただけると安心です」
佐山はにこりと笑い、ではよろしくお願いしますと言ってきびすを返すとオフィスを出ていった。
ドアがしまった瞬間、それまで沈黙していたダンテが猛烈な勢いで悪態をつきはじめた。
「まあ、落ち着けよ隊長」
苦笑しながらランスが彼をなだめた。
「彼女も彼女なりに一生懸命なんだろうさ」
「あの女の味方をするつもりか? ランス」
ダンテは吠えた。
「遅れたら容赦しないだと? きちんとやれだと? どういうつもりだ。俺をガキだとでも思ってるのか?」
……多分そうだろうとはランスには言えなかった。言えばどういうことになるか大体想像がついたからである。