此の山は以前にも何度か登ったが、冬に登るのは初めてである。稲村ヶ岳は兎も角、山上ヶ岳はご存知の方も多いと思う。奥吉野の大峯山といえば山上ヶ岳をいう場合が一般的であるが、深田百名山では八経ヶ岳となっている。当然ながら大峯山脈に大峯山なんてピークの山は存在しない。ここは山岳密教、修験道の根本道場として役ノ行者が約千三百年前に開き、現在なお厳しい戒律のため、女人禁制を守り続けている全国的にも有名な山である。シーズン中は修験者や林間学校の生徒なんかでごった返す。そんな意味では日本の登山発祥の山と言えるのではなかろうか。日本でこれより歴史的に古い山は、神代から伝わる伯大山ぐらいであろう。
平成四年十二月三一日、六時半に家を出る。冬山となるとどうしても重装備になるので、根性も体力もない筆者は山小屋泊まりを決め込んだ。前日に山小屋に電話してみると、例年になく積雪はないが冬山なのでピッケルとアイゼンは持って来いとのことだった。八時一〇分、近鉄阿部野橋駅発の特急『吉野』に乗車。池波正太郎の真田太平記を読みながら九時一〇分に下市口駅に着く。九時一五分発洞川(どろがわ)温泉行きのバスに乗車。満員である。全乗客が五〇リットル程度のザックを抱えた登山者ばかりで、なんとなく登山専用バスといった感じがする。天川川合で一〇名程の登山者が下車。一〇時四五分に洞川温泉に到着。靴紐を締め直して十一時に出発した。鉛色のどんよりとした曇空に粉雪が舞い、山々の山頂付近はガスっていて見えない。温泉街のアスファルト道路を歩いているとオバさんに呼び止められた。「稲村小屋に泊らはるの」「はい」と筆者。「これから上がって一五時に小屋を開けるから、皆にも言うといて」とオバさん。洞川の温泉街を抜け、稲村ヶ岳を示す標識に標識に従い、よく整備された緩やかな一般道を登りだす。アベックを一組追い越した。一〇分程歩くと五代松鍾乳洞にたどり着く。いつ来ても鍵が掛っていて中には入れない。入場料も要るらしい。暫く歩いていると足が重くなって、やたらと疲れる。たかが一二、三キロの装備に情けないじゃないか。法力峠に到着したのは十二時二〇分だった。皆ここで昼食をとっている。筆者もパンを食べてテルモスから珈琲を注いで飲む。寒い。十二時五〇分スタート。食事をしたので足取りがやたらと軽い。晴れていれば大日山や稲村ヶ岳が木々の間から拝めるのだが、ガスっていてなにも見えない。十三時五〇分に稲村小屋に到着。当然のことながらまだ開いてはいない。レンゲ坂谷を登って来た二人組に十五時にならなければ小屋は開かないことを教えてやった。レンゲ坂谷はコースがかなり荒れているらしい。小屋が開くまではあと一時間以上あるので、その間にザックをデポして稲村ヶ岳までをピストンする。積雪二〇センチ、トレースがしっかりと付いている。稲村ヶ岳に行くまでに大日山と呼ばれる特徴のある岩塔のような、海抜一六八二メートルの山があり、狭い頂上には二つの御社があり大日如来が祭られている。トレースは付いているが梯子や鎖場の連続で積雪もあり足場が悪いので今回は見送った。そして大日山の南斜面は通称『大日のキレット』と呼ばれ、深く鋭く切れ込んだ断崖絶壁である。しかしガスっていて下までは覗けない為にかえって幻想的な雰囲気が漂っていた。このキレットを越えて鎖場を過ぎ稲村小屋から三〇分程の距離に海抜一七二六メートルの稲村ヶ岳のピークがある。ここには不要とも思われる展望台がある。聞くところによると、山上ヶ岳は女人結界があるために林間学校で引率されて来た女子生徒達が行けない。だからこの山に来るので道がやたら整備されて、展望台まであるのだそうだ。さて稲村ヶ岳の山頂からは三六〇度の山岳展望が楽しめるはずだが、あいにくとガスで何も見えない。
十五時一〇分稲村小屋に引返すと、既に小屋は開いていた。一泊二食付で五千五百円、素泊りで二五〇〇円。自炊するつもりだったが、味気ないFD(フリーズドライ)よりも、朝食に雑煮とオトソが出ると聞くと、筆者もやはり日本人である。五五〇〇円を払い、受付を済ませる。この日は四〇名程の泊り客がいた。
十七時五〇分にこの小屋恒例のカレーライスの夕食。電気がないので二つのガスランタンを灯しているが結構明るい。山談義の後、二一時に就寝。カビ臭い湿った布団であるがテントでシュラフにくるまって寝ることを思えば極楽である。布団が足りない場合(実際によくある話だ)を想定してシュラフも持参したが必要なかった。寝ようとすると、話し声や、イビキを往復でかく者や、歯ぎしりのやかましいのがいて寝つけない。
翌朝、平成五年の元日を迎える。朝の五時から初日の出を稲村ヶ岳から拝もうと皆が起きだしたが、筆者は寝正月を決め込んでいた。六時四〇分に山小屋の御主人、赤井氏に起こされた。赤井氏の息子さんが石油コンロで雑煮の餅を焼いている。テーブルを並べ朝食の用意。目の前に昨日のアベックがいるので、どちらからともなく話し込んでいた。彼らは朝食後、稲村ヶ岳をピストンしてレンゲ辻からレンゲ坂谷を降るらしい。冗談で山上ヶ岳に誘ったが断わられた(同行を求められれば、こちらが断わった)。白味噌雑煮に御節料理、御飯の朝食。そして赤井氏に御神酒を注いで頂き新年を祝う。食後、珈琲を沸かしてテルモスに入れて八時三五分に山上ヶ岳を目指す。まぶしい朝の光に思わず目を細める。白銀の世界。無風、快晴、気温氷点下三度。昨日の天気が嘘のようである。歩いていると汗ばんでくる。レンゲ辻まで緩やかな登り降りがあって、所によっては湧水が道を横断して凍結している。足を滑らせると数十メートル下の谷底まで止まらないと思うとゾッとする。九時二十分にレンゲ辻に到着。ここから先は宗教上の理由により女人禁制で、結界を破らないように英語と日本語で書かれた看板がたてらている。山上ヶ岳まで高度差が二百メートルあり、梯子場が連続する急な登りである。既に三名の登山者が取り付いていた。ザックに腰をかけて十二本ツァッケのアイゼンを装着。女人結界へと入る(いくら今井通子や田部井淳子のオバさんでもここまでは来れまい)。小稲村の岩峰を北側斜面から取り付く。夏場なら兎も角、露岩に雪が付着し凍結していては、アイゼンやピッケルがないと登のが困難だ。雲一つ無く、太陽光線に反射し白銀にきらめく樹氷が何とも美しい。頭上左前方にあの有名な『西の覗』が見える。北西方向間近に、和泉山脈、金剛山や城山、二上山、六甲の山や淡路島まで見下ろせる。更に南西に大日山や稲村ヶ岳、南に弥山がくっきりと見えた。最後の梯子を登り終えると標識があり、左は日本岩、右に山上ヶ岳頂上やお花畑がある。取り合えず頂上を目指す。お花畑は雪が積もっても風で飛ばされる為に積雪はない。かつて山開きの前に此でテントを張って風で飛ばされそうになり、どえらい目にあったことがある。
誰もいない静かで雲一つ無く、澄みきった大気。素晴らしい山岳展望。こんな贅沢な気分は下界では味わえない。この為に登って来たのだ。古代人がなにを崇敬して神々としたのか、また山伏が、修験者が、何を求めているのかが分かるような気がする。
お花畑を横切ると海抜一七一九メートルの山上ヶ岳の頂上を示す石碑が立っているが、だまされてはいけない。本当の頂上はここから一〇〇メートル程南に行った目立たない薮の中に一等三角点が設置されている。かつては御本堂を大改修した時に、資材運搬用の木製のヘリポートがお花畑の南の角にあったが既に撤去されていた。一〇時二〇分に御本堂の角でアンパンかじって水を飲み休憩。初日の出を拝む為に大晦日からテントを張っていた登山者がいた。綺麗な初日の出を拝めたとの事。彼が立ち去った後、御本堂の前に張られたツェルト(簡易テント)の中から読経が聞こえて来る。何なんだこれは。
一〇時五〇分、アイゼンを片付けて下山する。途中『西の覗』に立ち寄る。ここは絶壁になっていて、シーズン中は命綱一本で絶壁の縁から腹這いになって「親に孝行するか! 心を入れ替えるか!」などと山伏がやっているのである。命綱を緩められて落されそうになって、大の男が悲鳴に近い声で誓うのだ。岩を触った事のある山屋ならいざ知らず、余人には恐ろしい。男子たるもの、こんなぶざまなところを女には見られたくはない。女人禁制……ねぇ、気持ちは分かる。「心臓の弱い方や高所恐怖症の方は御遠慮下さい」との看板がある。そしてここには平成二年に、今なにかと話題の皇太子殿下が立ち寄った記念の石碑がある。西の覗を後にして東の視界が開けると、北北東の彼方に加賀の霊峰、白山が拝めた。年にいくらとない大変な幸運に恵まれたものだ。暫く見とれていた。さて鐘掛岩から、陀羅尼助茶屋の手前までは木製階段の急な下りが続く。結構恐いので、筆者はひそかに『地獄への階段』と呼んでいる。段数を数えた者は死ぬと言われている(勿論嘘です)。此の辺りは道の両側に無数の供養塔が林立して、ちょっとこの世のものとは思えない雰囲気がする。洞辻茶屋から少し降ると役ノ行者の『お助け水』と呼ばれる水場がある。この水場は結構枯れていることが多い。昔はこんな事はなかったらしいが、原因は森林伐採とも気候変動の影響とも言われている。一本松茶屋を経て一ノ世茶屋を降るとすぐに朱塗の大峯大橋に出る。そこから先は女人結界の外に出る。茶屋、つまり休息所が多いのは女性の浸入を厳重に監視しているからである。前回の予告で女性には難しい雪山ハイキングとしたのはこの為だ。
バス停を目指して歩いていると、母公堂(役ノ行者の母親が祭られている)の前で呼び止められた。オトソや甘酒があるので飲んで行けとの事だった。有難く頂く。たいへん美味しかった。ここから少し歩くと日本名水百選(以前ニュースステーションで名水百選を特集していたが、それによると保健所の水質検査とは無関係に、まわりの景色を基準に環境庁が選んだらしい。結構バイキンが混ざっている例が多いらしい)の一つゴロゴロ水が湧いている。一リットル汲んでバス亭まで歩く。十五時四〇分のバスまで後二時間も待たなくてはならない。FDのホウレン草や牛肉を全部入れてゴロゴロ水で具がやたらと多すぎるサッポロ一番みそラーメンを炊いて年越しならぬ年明けソバを食べた。
帰りの電車の中(禁煙車)。例のアベックの後ろの席だったのでシートを回転させて余った行動食(チョコレート、クッキー、チーズそれに今朝沸かした珈琲)なんかを食べながら話し込んでいた。レンゲ坂谷の降りは道が寸断されていて歩き辛かったと言うので「そやから山上ヶ岳に行こ言うたやんか」と言うと、「正月早々そんな罰当たりなことでけへんわ」との返事だった。山上ヶ岳山頂での読経の話をすると、大峯大橋でザックを担いだ御坊さんが、山上ヶ岳から降りて来るのを見たとの目撃証言を得た。